連載|DJ OSSHY|TOKYOの未来に恋してる!

第61回 【対談⑲ 湯川れい子×DJ OSSHY[後編]】

2023.12.8

第61回 【対談⑲ 湯川れい子×DJ OSSHY[後編]】

湯川さんはディスコ・ブームの時はよく踊りに行かれたのですか?(DJ OSSHY)



それがもうその頃になるとまったく行かなかったんですよ。のちにアン・ルイスさんに「六本木心中」なんて曲の歌詞を書いておきながら(笑)(湯川れい子)



[前編]からの続き)


DJ OSSHY さて、私が12月14日(木)にゲスト出演させていただく木曜塾ですが、この日はどのような催しになりそうですか?

湯川れい子 木曜塾というのは、私が最高顧問をさせてもらっているジュエリーブランドが主催しているトーク・イベントで、音楽に限らず、私が好きな各界で活躍されている方をお招きして、いかに楽しく生きるか、という知恵を頂く時間なんです。第1回目は小泉純一郎先生に出ていただきました。100人も入るかな、というくらいのスペースで行っていまして、お客さまとの距離も1メートルくらいしか離れていないんです。

DJ OSSHY え、そんな距離感で元首相と!

湯川れい子 そうなんです。ですので、さすがに警備の面を考えまして、小泉さんの時は一般告知を全くせずに行いました。

DJ OSSHY とても贅沢な時間が過ごせるトーク・イベントですね。

湯川れい子 はい。しかもお招きしているのはとてもユニークな方々ばかりで、向こう半年のゲストが東儀秀樹さん、加藤登紀子さん、イルカさん、コシノジュンコさんなどが決まっています。その中でも来年5月は日本のレニー・ブルースとも呼べるスタンダップコメディアンの松元ヒロさんをお迎えするんですが、松元さんは『テレビで会えない芸人』というタイトルで映画化されるなど、テレビに出ない芸人さんなんですね。そのなかなか観ることができない松元さんに“憲法くん”という話をしてもらう予定です。彼は日本国憲法の前文から9条まで空で言える人で、その憲法の何がどう素晴らしいのか、憲法のどこが切り取られてなくなっちゃうんじゃないかとか、憲法を擬人化して楽しく興味深く伝えてくれるんです。めちゃくちゃおもしろくて、涙がこぼれてくるほどですので、貴重な回になるはずです。

DJ OSSHY 湯川さんのお話を伺っているだけですごく興味がそそられてきました。小泉元首相はじめ、これまでにも江原啓之さん、和田秀樹さん、鎧塚俊彦さん、クミコさんら錚々たる顔ぶれの方が出演されてきていますね。



湯川れい子 クミコさんに出ていただいた回は、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」を歌ってもらいました。会場にいらしたたくさんの方々が涙を流されていたのが、とても印象的でした。

DJ OSSHY こんな豪華なゲストの方々と違って、私はDJすることしかできないんですが、よろしいんですか?

湯川れい子 もちろんです。OSSHYさんには木曜塾で、ぜひシルバーディスコを再現してほしいんです。非常に知的で好奇心の強いお客様がいらして下さるんですが、座ったままでディスコと言われても、お客様たちは一体何をすればいいかわからないと思うんです。でも、きっとこの対談記事(の前編)を読まれたらわかるような気がしますので、ぜひOSSHYさんも宣伝を兼ねてアピールしてくださいね(笑)。シルバーディスコを体験してもらって、ご家庭に持ち帰ってもらい、おじいちゃんやおばあちゃん、お子さんを含めて家族でディスコを楽しんでもらえたらと思います。あと、クリスマス・シーズンでもありますので、この日参加された方全員でクリスマス・ソングを1曲歌おうという企画も立てました。ちゃんとハーモニーもつけて、私が歌唱指導もします。私が率いている東京女声合唱団にも参加してもらおうと考えていますので、どうぞお楽しみに。



DJ OSSHY 盛りだくさんの楽しいイベントになりそうですね。がんばります、よろしくお願いいたします! さて、湯川さんと言えば、日本における洋楽に最も貢献されてきた音楽評論家ですが、 キャリアの出発点はロックではなくジャズだったと伺っています。

湯川れい子 はい。そうなんです。ジャズという音楽にはまり込んだのは'54年、'55年くらいで、当時、私は高校2年生くらいでした。今井正さんとか山本薩夫さんとか、大映の映画監督たちが松竹や東宝などが取り決めた5社協定に縛られて映画を撮るのは嫌だと言って、独立プロダクションを立ち上げられていました。その女優募集の新聞広告を見て試験を受けたら合格したんです。まだ女性の仕事のモデルケースがまったくない時代で、女性がお金を稼げると言ったら大げさに言えば水商売をするか、女優さんになるかくらいしかないような頃だったんですね。母を食べさせたいという気持ちがあったので、私は女優を志したんです。

DJ OSSHY まずは音楽よりも女優だったんですね。

湯川れい子 はい。その当時は食べていくことで頭がいっぱいで、音楽に関心を深めていくのはあとからなんです。ある日、独立プロの研究生のうちのひとりの友人が八頭身で、モデルとしてもやっていけそうな美人なんですけれど、彼女に誘われて銀座の事務所に行った帰りに、今の時間はあそこでダンスできるから行かない? と誘われて連れて行かれたのが、銀座の松屋の近くにあった金馬車。大きなキャバレーで、昼間はダンスホールとして営業していたんです。お店に入ると、たくさんの人が当時流行していたマンボを踊っていて、ステージでは後に大作曲家になられた浜口庫之助さんがアフロ・クバーノをバックに歌ってらっしゃいました。ハマクラ先生がまだ歌手として活動されていた時代でした。でも、私はダンスなんて踊れないし、まだ高校生で半袖の白いセーターに学校のスカートかなんか履いている垢抜けない感じで、その場にいることじたいが恥ずかしかったんです。

DJ OSSHY ディスコでもそうした光景はよく見受けられました。



湯川れい子 踊れないからテーブルに座って所在なさげにしていたら、踊らない? と誘われて。みんなマンボを踊っていましたが、キャバレーの営業が始まる18時前くらいになると最後の1曲はチークタイムになるんです。その日、初めてナンパされた不良大学生にいきなり身体を引き寄せられて、しどろもどろになって。かといって、蹴飛ばすわけにもいかないし(笑)。その男性はやがて私のボーイフレンドになるんですけれど。

DJ OSSHY 若者が集まって踊るダンスホールが、やがてディスコになっていくわけですが、チークタイムの光景は当時も今も変わっていませんね。

湯川れい子 そうですか。私は独立プロ運動に参加したりしていましたから、昼間から米軍の占領政策の言いなりになって、こんなところでダンスを踊っているなんておかしいわよって、彼に言って逃れようとしたんです。そうしたら彼は、どうして? ジャズはアメリカが産んだ最高の芸術なんだよ、黒人たちの血と汗と涙で誕生したのがジャズなんだ、ジャズを知らないの? と言い出したんです。全然知らない! と答えたら、じゃあ本物のジャズを教えてあげるから、明日同じ時間にここに来いよ! って言われて、ふーんと思ったんですが、気になっていたので翌日、正直に行ったんですよ。



DJ OSSHY すごい、映画のような展開!

湯川れい子 そうしたら手首を掴まれるようにして、有楽町の駅前にあったバラック仕立ての小さな喫茶店にいきなり連れていかれたんです。コンボというお店で、ガタピシのドアを開けて入ったら、もう耳をつんざくような聴いたことがないような音楽があふれていて、黒人の人がいっぱい座って一心不乱に聴き入っていて。これが今、ニューヨークやシカゴで出てきているビ・バップというジャズで、従来の白人を踊らせるためのジャズではなく、黒人がアイデンティティを見出すために自己主張をしている即興演奏なんだと彼が教えてくれたんです。これがジャズなの? と確かめたら、そうだよ! って。そうしたら次はブラインドフォールド・テストをやるよ、当てた人はコーヒー無料になるからと言われて、また盛り上がって。ちょうどLPが出てきた頃でしたね。このベースのソロはチャーリー・ミンガス! アルト・サックスはチャーリー・パーカー! とか、みんなプレイヤーの名前を叫ぶんです。つまり、店で流れているLPでジャズを誰が演奏しているのか、ジャケットも見ずに耳だけで判断するゲームで、これはすごい世界だなあと圧倒されました。

DJ OSSHY コンボには日本人のお客さんもいたんですか?

湯川れい子 はい、いました。まだ無名だった秋吉敏子さんとか渡辺貞夫さんもいらっしゃいました。なぜか早稲田の大学生だった(大橋)巨泉さんが仕切っていたんですが、ジャズにやたらと詳しくて。特に女性ヴォーカルについては詳しかった。そこで私は、いきなりモダン・ジャズに出会って、その魅力に鷲掴みにされたところから、今の私のキャリアが始まっているんです。

DJ OSSHY そんなエピソードがあったとは! そこではジャズの生演奏もあったんですか?

湯川れい子 いえ、小さな店でレコードだけでした。ジャズの最新LPを米軍の兵隊さんたちが持ち寄ってきたり、米軍のPXで買ってきてもらったりして、お店でかけていたんです。ソニー・ロリンズやマイルス・デイヴィスなんかを夢中になって聴いていた頃で、まだエルヴィス・プレスリーが出てくる前ですね。

DJ OSSHY つまり、最新のジャズを聴きたいならば、そのコンボに行けということですよね。70、80年代のディスコもある意味、まだ広まっていない、ラジオではかかりそうもない最新の曲をプレイしていたことを考えると同じような役割を果たしていたと言えそうです。

湯川れい子 はい。ディスコはメディアとしての機能もあったと思いますね。例えば、KC&ザ・サンシャイン・バンドなんかは、70年代にディスコから人気に火が着きましたし。

DJ OSSHY 湯川さんはMUGENやビブロスは行かれていたとお話いただきましたが、その後のディスコ・ブームの時はどうだったんですか? 踊りにいかれたんですか。


アン・ルイス
「六本木心中」
作詞:湯川れい子/作曲:NOBODY/編曲:伊藤銀次
(1984年)


湯川れい子 いいえ。もうその頃になるとまったく行かなかったんですよ。のちにアン・ルイスさんの「六本木心中」なんて曲の歌詞も書いておきながら(笑)。70年代の初めの頃のビブロスはニューヨークのSTUDIO 54みたいにエントランスで服装チェックがあって、ダサい格好をしていると入れてもらえなかった。あと、ビブロスには皇族の方などもお見かけしましたね。時代だなと思って、びっくりしました。あ、そうだ、レッド・ツェッペリンが来日をした際にも一緒にビブロスに行きましたね。

DJ OSSHY ええ!?

湯川れい子 彼らが'71年秋に初来日した際はずっと一緒に帯同していたんですが、大型ロックの初期でめちゃくちゃなエネルギーでしたね。特にドラムのボンゾ(ジョン・ボーナム)など、彼はえらい酒乱で、色んなところで騒ぎを起こしてくれましたが、ロバート・プラントとジミー・ペイジもステージから降りたら殴り合いのケンカを始めて。もっともこのふたりは演奏についてのケンカでしたね。

DJ OSSHY やっぱり噂は本当だったんですね。

湯川れい子 びっくりしますよね。止めに入って、一体どうしたの? とたずねたら、ロバートが、俺が歌っている時に、このバカはタバコを吸いやがった、ギターのネックにタバコを挿して弾いているから、もう俺はもう苦しくて歌えなかったと言うんです。ヴォーカルを何だと思っているんだ! あれはお互いが憎いというわけではなく、お客さんの前で音楽のクオリティを下げたくないという一心でのケンカだったと思います。



DJ OSSHY まさにロックの歴史に立ち会われていますが、湯川さんはザ・ビートルズの来日の際も彼らが宿泊していたホテルに“潜入”したことで有名ですが(笑)。

湯川れい子 え? 有名なのかしら(笑)。

DJ OSSHY その後はオノ・ヨーコさんとも親交を深められますが、先日、ザ・ビートルズの最後の新曲と言われる「ナウ・アンド・ゼン」がリリースされ話題になりました。湯川さんはこの新曲についてはどう感じられましたか?

湯川れい子 「ナウ・アンド・ゼン」の前にオノ・ヨーコという女性がいかにすごい人なのか、今だからこそ多くの人に認識してほしい、という話をこの場を借りてさせてください。ジョン・レノンの「イマジン」はヨーコさんがいたから生まれた曲ですが、そのリリースと同じ'71年に、「私は今さら男女同権なんて言っているんじゃないの。元々生まれながらにして同権なのよ」と。そうではなくて、男性の中にもある女性性というものを、もっと取り入れないといけないということを言っているんだ、と。さもないと人類の未来はないって、今から50年以上も前に、ヨーコさんは私たちに警告をしていたんです。そのことを徹底的に理解させられたのが、ジョンだったんですね。


ジョン・レノン
『イマジン』
(1971年)


DJ OSSHY というのは?

湯川れい子 ヨーコさんはジョンの中にある強い男性性に気づかせると同時に、女性性を引き出していったんですね。ジョンに子供の体というのは100%食べ物でできていることを理解させて、玄米を粉にしてパンを焼かせたり、ショーンの面倒を見させたり。たぶん西洋社会で、私が記憶する限り、男性が人前で赤ん坊をおんぶして歩いた姿を見たのはジョンさんが初めてですね。ヨーコさんはジョンと徹底的にディスカッションして、自分の考えを彼に理解させたんだと思います。だから、「ナウ・アンド・ゼン」を聴くと、ジョンが、何をヨーコさんに感じていたのかということが歌詞に表れているように思います。


ザ・ビートルズ
「ナウ・アンド・ゼン」
(2023年)


DJ OSSHY 確かに今では男性が赤ちゃんを抱っこしているのは当たり前の光景ですが、当時は衝撃的だったでしょうね。男は社会に出て働くもの、女性は家のことをするという凝り固まった常識を疑うことはなかったでしょうから。ジョンは「ナウ・アンド・ゼン」にどんな思いを込めたのですか?

湯川れい子 ヨーコは出ていってしまったら、もう戻ってこない。でも、僕のためにいつまでもそばにいてほしいという、すごく素直な想いが込められた、とても美しい歌だと思います。あと、ショーンさんと私の息子が半年違いで生まれて、ご一緒にサマーキャンプに行っていた時代もあるんです。

DJ OSSHY 親交が深かったんですね。

湯川れい子 はい。それでジョンが亡くなった時は4才半だったショーンさんが、もう14才くらいだった頃、私がダコタハウスにおじゃましてキッチンでおしゃべりをしていたときに、ショーンさんがソニーのカセットテープレコーダーを持ってきて、この中にパパが残した曲が入っているんだよ! って、その場で再生してくれたんです。でも、これ音がひどすぎて、とても使えないよね、って。そのときに私は2曲聴かせてもらった記憶があるんです。が、本当に雑音がひどくて。でも確かにジョンの声でした。この音じゃ使えないわねって私も言ったことを覚えているんですが、やがてその音をビートルズがアンソロジーを作った時に、ヨーコさんが提供したと言われているので、そのうちの1曲が「ナウ・アンド・ゼン」だったんじゃないかなと思うんです。そして最新のAI技術によって、時を超えて50年後にザ・ビートルズの新曲として私たちに届けられたわけです。これは本当に感慨深いことですよね……。

DJ OSSHY 今日は貴重なお話を本当にありがとうございました。この対談の続きは12月14日の木曜塾でしょうか(笑)?

湯川れい子 いえいえ(笑)。木曜塾はシルバーディスコですから、OSSHYさん、ぜひ準備をよろしくお願いします!

DJ OSSHY はい!!


対談進行・文/油納将志 写真/島田香



●湯川れい子

東京都目黒で生まれ、山形県米沢で育つ。

昭和35年、ジャズ専門誌 『スウィング・ジャーナル』 への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。その後、16年間に渡って続いた 『全米TOP40』 (旧ラジオ関東・現ラジオ日本)を始めとするラジオのDJ、また、早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点によるポップスの評論・解説を手がけ、世に国内外の音楽シーンを紹介し続け、今に至る。

また、作詞家としては、代表的なヒット曲に 「涙の太陽」「ランナウェイ」「ハリケーン」「センチメンタル・ジャーニー」「ロング・バージョン」「六本木心中」「あゝ無情」「恋におちて」などがあり、『FNS歌謡祭音楽大賞最優秀作詞賞』『JASRAC賞』『オリコン トップディスク賞作詞賞』など、各レコード会社のプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクを数多く受賞。NHKで放映された手塚治虫アニメ主題曲「火の鳥」、WFP(国連食糧計画)支援のゴスペル曲「きずな」がスペシャルオリンピックス日本のサポート・ソングになり、話題を呼ぶ。またディズニー映画『美女と野獣』『アラジン』『ポカホンタス』『ターザン』などの日本語詞も手がけている。

著書には『エルヴィスがすべて』(ブロンズ社)、『湯川れい子の幸福へのパラダイム』(海竜社)、『幸福への共(シンク)時性(ロニシティ)―もっと豊かにもっと健康に生きるための26章』(海竜社)、『幸福への旅立ち(マハーサマーディ)―人生を完璧なものにするための20章』(海竜社)等があり、2004年10月には、聖路加国際病院名誉院長・理事長の日野原重明氏と共に、音楽が持つ根源的な力を医学、精神、芸術等様々な角度から分析し、分かりやすく解いた初の対論集 『音楽力』 (海竜社)が発売されている。

2016年1月に80歳を迎え、音楽評論55年・作詞家50年を記念し史上初!コンピレーションCD『音楽を愛して、音楽に愛されて』洋楽セレクション(ユニバーサルミュージック合同会社)・邦楽作詞コレクション(ビクターエンタテインメント)2タイトルが発売された。また同タイトルで音楽との軌跡をたどる1冊として、Special Issue 湯川れい子80th記念ムック本が、ぴあより発売された。

2017年9月には日本経済新聞『私の履歴書』にひと月連載される。2018年『女ですもの泣きはしない』(角川書店)、『新版 幸福へのパラダイム』(海竜社)、『音楽は愛』(中央公論新社)などの自叙伝が発売され話題を呼んでいる。

また2022年1月には、集英社より「時代のカナリア~今こそ女性たちに伝えたい!」発売され、各メディアでも多く取り上げられた。

近年は、平和、健康、教育、音楽療法などボランティア活動に関するイベントや公演も多い。


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DJ OSSHY 出演スケジュール



2023.12.01《EVENT》 【東京・銀座】DJ OSSHY DISCO R&B Night!
2023.12.02《RADIO》 interfm「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送(毎週土曜日放送)
2023.12.03《RADIO》 FMヨコハマ「横浜DiscoTrain」15:20~15:30(毎週日曜日放送)
2023.12.04《TV》 BSフジ「DJ OSSHY DISCO TV」24:00~24:25
2023.12.07《EVENT》 【東京都・中目黒】シルバーディスコ
2023.12.09《RADIO》 interfm「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送(毎週土曜日放送)
2023.12.09《EVENT》 【東京・六本木】Time Slip Party with 80's neo stars 2023
2023.12.10《RADIO》 FMヨコハマ「横浜DiscoTrain」15:20~15:30(毎週日曜日放送)
2023.12.13《EVENT》 【東京都・赤坂】Gallery Music Night Out "TIME WARP 2023"
2023.12.14《EVENT》 【東京都・新宿】湯川れい子 木曜塾
2023.12.16《RADIO》 interfm「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送(毎週土曜日放送)
2023.12.17《RADIO》 FMヨコハマ「横浜DiscoTrain」15:20~15:30(毎週日曜日放送)
2023.12.18《TV》 BSフジ「DJ OSSHY DISCO TV」再放送 24:00~24:25
2023.12.23《RADIO》 interfm「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送(毎週土曜日放送)
2023.12.24《RADIO》 FMヨコハマ「横浜DiscoTrain」15:20~15:30(毎週日曜日放送)
2023.12.27《EVENT》 【北海道・札幌市】DISCO NIGHT in ROYTON sapporo -THE FINAL-
2023.12.30《RADIO》 interfm「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送(毎週土曜日放送)
2023.12.31《RADIO》 FMヨコハマ「横浜DiscoTrain」15:20~15:30(毎週日曜日放送)
2023.12.31《EVENT》 【神奈川県・横浜】DJ OSSHY presents カウントダウン 2023-2024

▲諸事情によりイベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。



プロフィール

DJ OSSHY
DJ OSSHY (公式サイト www.osshy.com)
7月22日「ディスコの日」制定者。80′s ディスコ伝道師。
MCとミキシングを両方こなす、DISCO DJのスペシャリスト。
安心・安全・健康的でクリーンなディスコの魅力を全国に伝えている。
テレビ司会者の第一人者「押阪 忍」の長男。

親子で楽しめる「ファミリーディスコ」、高齢者向け「シルバーディスコ」など、 世代を超えて楽しめるイベントを開催。
東京スカイツリー、東京タワー、羽田空港、大型客船シンフォニー、 小金井カントリー倶楽部などでのディスコイベントのメインDJを務め、郷ひろみ、鈴木雅之、角松敏生との共演イベントも大きな話題を呼んだ。
売野雅勇 作詞活動35周年記念コンサートでは、総合司会を務めた。

民放テレビ初のディスコTV番組「DISCO TRAIN」(TOKYO-MX)を始めとした、ディスコ放送番組DJのパイオニアでもある。

【レギュラー番組】

・「DJ OSSHY DISCO TV」(BSフジ)毎月第3木曜日24:00~24:25
・「DJ OSSHY × まつきりな 推しナイト!」(BSフジ)毎月第4木曜日24:00~24:25
・「Family Disco」(JFN系列)全国FMラジオ放送
・「RADIO DISCO」(InterFM897)毎週土曜日15:00~17:45
・「横浜DiscoTrain」(FMヨコハマ)毎週日曜日15:48~15:57

他、2018年6月4日 テレビ朝日「徹子の部屋」など様々な番組に出演。

2021年9月22日には最新mix CD『 SURF DISCO 2 -NO SURF, NO LIFE.- mixed by DJ OSSHY 』をリリース。
2016年10月には、初の書き下ろし・エッセイ『ディスコの力』(PHP出版)を出版した。

今、日本で一番集客力のある、ディスコ世代に支持されているDJタレント。

DJ OSSHY公式サイト
www.osshy.com

公式ファンクラブサイト
osshyfan.com

公式オンラインショップ
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