2024年5月号|特集 大江千里『1234』

【Part1】佐橋佳幸と伊東俊郎が語る『1234』のレコーディング

対談

2024.5.13

インタビュー・文/細川真平 写真/山本マオ


伊東俊郎(左)、佐橋佳幸(右)


大江千里の傑作『1234』には、何人かの重要なキーパーソンがいる。ひとりは当然アレンジャーである故・大村雅朗だ。しかし、彼の意向をダイレクトに表現していたのが、ギタリストの佐橋佳幸であり、エンジニアの伊東俊郎であることは間違いない。彼らが『1234』のサウンド面をしっかりと支えたからこそ、この作品が高く評価されたといってもいいだろう。今回はこの二人に大江千里作品のレコーディングの秘密や聴きどころなどを、ミュージシャンとエンジニアの視点で深く考察してもらった。


“プリプロダクション”という概念が生まれたのが、このアルバムあたりから



――佐橋さんと伊東さんが最初にお仕事をされたのはいつでしょうか?

佐橋佳幸 UGUISSが解散したのが1984年の暮れで、’85年に(渡辺)美里がデビューするんですが、そのときにアレンジャーの清水信之さんから、「高校(東京都立松原高等学校)の後輩がデビューするから、1曲ギターを弾きに来い」って言われて弾きに行きました。そこにエンジニアでいたのが伊東さんでした。小室てっちゃん(哲哉)が書いた「きみに会えて」(’85年の渡辺美里のデビュー・アルバム『eyes』に収録)のギター・ダビングでしたね。

伊東俊郎 僕はそのときのことは憶えていなくて……初めて千ちゃん(大江千里)のソロを佐橋が弾きに来たときのことは憶えています。

佐橋佳幸 千ちゃんの最初のヒット曲になるのかな、『未成年』(’85年)に入っていた「REAL」という曲で、やっぱり(清水)信之さんに呼ばれてギター・ソロを弾きに行きました。そのときですね、伊東さんと初めていっぱい話をしたのは。どっちも今は無き一口坂スタジオ(千代田区)じゃないですかね。あのころ、信之さんと伊東さんはけっこう一緒に仕事してない?

伊東俊郎 うん、しているね。

佐橋佳幸 信之さんも同じ高校の先輩ですから、我が校はみんな伊東さんにお世話になっている感じですね(笑)。「REAL」のときに伊東さんが僕のことを面白がってくれて……そのあと伊東さん、けっこう僕のことをいろんなところで宣伝してくれたでしょ?

伊東俊郎 そうだったね(笑)。

佐橋佳幸 「伊東くんから聞いたよ」と言って仕事の依頼が来ることも多くて。「REAL」がヒットしたことも良かったんでしょうけど、千ちゃんのレコーディングにもちょこちょこ呼んでもらえるようになりましたね。でも、一番がっぷり四つに組んだというか、初めて全面的に参加させてもらったのが『1234』なんです。それまでは部分的な参加だったり、あとは千ちゃんが美里に書いた曲ではよく弾かせてもらっていましたけど。

伊東俊郎 そうでしたね。佐橋はアイディアが豊富なんですよ。アレンジャー的なこともできるし、後にプロデューサーとしても活躍されますけど、そういう能力もあったので、全部任せて弾いてもらうという感じでした。

佐橋佳幸 すごく嬉しかったのは、初めて伊東さんに録ってもらった音を聴いたら、外国の音みたいだったんです(笑)。僕は欧米のロックで育っていますから、「そういう音がしたらいいな、しているかな?」と思いながらやっていたんですけど、「あ、そういう音で録れてる、やった!」って。それから仲良くなっていくにしたがって、伊東さんとアイディアを出し合って、プロデューサーやアレンジャーがいるのに、二人で勝手に進めることができるようになっていきましたね。



――『1234』では故・大村雅朗さんが全曲のアレンジをされていますね。

佐橋佳幸 伊東さんは大村さんと組むことも多かったんじゃないですか?

伊東俊郎 エピックのアーティストで、大村さんがアレンジをする場合は、だいたい僕がやっていましたね。

佐橋佳幸 大村さんのご指名ですよね。佐野(元春)さんのデビュー・アルバム(’80年の『BACK TO THE STREET』)なんかもそうでしょ?

伊東俊郎 そうですね。美里も全部そうだし、千ちゃんも。それ以外もいろいろ。

佐橋佳幸 伊東さん、いつ寝ていたの?(笑)

伊東俊郎 さあ(笑)。

――『1234』はどういうふうに制作が進んでいったのでしょうか?

佐橋佳幸 このアルバムは、音楽的な実質のプロデュースというか、仕切りはすべて大村さんでしたよね。

伊東俊郎 そうですね。大村さんのアレンジのスタイルというのは、最初打ち込みで楽曲の骨格を作って、仮歌を入れるなどしたら、いったんそれをすべて棄てて、生のベースやドラムでレコーディングしていくというやり方なんです。『1234』で言えば、骨格をすべて棄てたところに佐橋が来て、リフやソロや生ギターなどを入れていくわけです。そこに新しいアイディアも加わっていきますね。例えば「平凡」のイントロの生ギターのパターンなんかは、佐橋が考えたものだよね?

佐橋佳幸 そうそう。録音するときに何かアイディアを思いついたら、伊東さんと相談して勝手にやっていた。大村さんに、こうしろとかは言われなかったよね?

伊東俊郎 言われなかった。

佐橋佳幸 「この二人に任せとけば大丈夫じゃね?」って感じだったよね(笑)。でももちろん、最終的にそれがOKかどうか、僕らのアイディアが採用されるかどうかというのは大村さんの判断でした。

伊東俊郎 頑張って一晩かけてやっても、そのままポンと棄てられるとかよくあったよね。

佐橋佳幸 あったねえ(笑)。でも、だからこそ出来上がったらちゃんと大村サウンドになっているという、それが大村さんの凄いところでしたよね。面白いのは、「Rain」は僕が呼ばれたときにはもう松原正樹さんのギターが入っていて、僕にやることなんかないんじゃないかと思ったんですけど、それでも弾いてって言うから弾きました。あれは今思うと、ヒップホップの人がループを2種類足すみたいな、違うグルーヴのものがもうひとつ欲しかったんでしょうね。だから、「Rain」には松原さんと僕の両方のギターがずっと入っているんですけど、2本を伊東さんが上手に混ぜているんですよ。今とは違ってまだテープの時代だから、大変だったと思いますね。

伊東俊郎 僕がいったん編集したものを、大村さんがここは要る、ここは要らないという判断をして、カットしたり、差し替えたりしてやりましたね。



――『1234』は伊東さんの、レコーディングだけではなく、ミックスの手腕やセンスが光る作品でもありますよね。

伊東俊郎 このアルバムの特徴としては、基本の音数が少ないんです。構築の仕方が、ビートとコードと、リフを含めたギターというところに特化していますね。

佐橋佳幸 ドラム以外の打楽器は全部打ち込みですし。大村さんはそういう方針だったんだと思います。このアルバムは伊東さんが当時ホーム・グラウンドにされていた芝浦のスマイルガレージというスタジオで100パーセント録っていますけど、僕がリズム録りから参加した曲は全部、山木(秀夫)さんがドラムで、美久月(千晴)さんがベースで、西本(明)さんがキーボードで、僕を含めて4人だけだった記憶がありますね。1日2曲ずつぐらい録っていましたっけ?

伊東俊郎 それぐらい録っていたね。

佐橋佳幸 さっき伊東さんからも説明があったように、大村さんと伊東さんとプロラマーが打ち込みで一回シミュレーションして、それが何曲か溜まったら僕らが呼ばれるということだったんですよね。

伊東俊郎 そういう“プリプロダクション”という概念が生まれたのが、このアルバムあたりからなんですよ。

佐橋佳幸 そう、今じゃ普通ですけどね。

伊東俊郎 実際の作業としては、大村さんからまずこういう感じでやりたいという説明があって、それをもとにプログラマーの人が音を作って、そこに例えば松原さんがギターを入れて、仮メロを入れて、仮歌を入れて、ああじゃないこうじゃないとやっていく、そのうちに千ちゃんが詞を書き出す、詞の世界観がズレていたら直したり、(エピックのレーベル・プロデューサーである)小坂(洋二)さんと千ちゃんで詞を磨いていったり……そういうふうに、オケが完成してから詞を作るんじゃなくて、詞も含めてすべてをプリプロで作っていくんです。

佐橋佳幸 僕らが呼ばれる前に、そういう大変な仕込み作業を伊東さんたちがすべてやっている(笑)。コンピューターの自動演奏と千ちゃんの仮歌で、一回完成させているということですよね。

伊東俊郎 そこへ佐橋が来て、ムードをバンって作ってくれるわけです(笑)。

佐橋佳幸 基本、リズム録り以外は千ちゃんもずっと立ち会っていて、ここどうするっていう話になったときにはみんなで話し合っていましたね。

伊東俊郎 常に話し合いが多かったですよね、プリプロ、仮歌の時点から。一番大事なところで佐橋が来たり、バックグラウンド・コーラスを録ったりするときは、さらに時間をかけて。

佐橋佳幸 僕は、「ROLLING BOYS IN TOWN」のギター・ソロを録音した日のことは一生忘れないですよ。このときは千ちゃんはいなくて、夜、急に「ソロ弾いて」って呼ばれたんです。それで、何回弾いても、これは大村さんの口癖なんですけど、「違うんだよね~」って言われて。8小節のギター・ソロなのに5時間ぐらいかかったんです(笑)。その都度「違うんだよね~」って言われて、僕もだんだん落ち込んできて……伊東さんが、「次はこれやってみて」、「このアプローチやってみて」ってアドバイスしてくれて、ギターも持ち替えたりして、いろんなことやって、ようやくOKが出たら5時間経っていた。そのあと伊東さんがご飯に連れていってくれましたよね(笑)。でも、すごく良い音になっているし、これをやれて良かったと今でも思います。伊東さんには本当にお世話になりましたけど、この大変だったギター・ソロも含めて、このアルバムのレコーディングはすごく楽しかった覚えがありますね。

――全面的に参加した大江さんの初めてのアルバムですし、そこから得たことも多かったでしょうね。

佐橋佳幸 これは実は伊東さんにも言ったことがなかったんですけど、僕が松(たか子)さんと付き合いはじめたころ、うちに遊びに来たときにCD棚を見て、「なんで大江千里があるの?」って言うんです。「『1234』って、私すごく聴いていたんだけど」って。だから、「クレジット見てみなよ」って言ったら、「あなたが弾いていたの!?」って驚いていました(笑)。このアルバムがすごく好きだったんですって。

伊東俊郎 良かった、良かった(笑)。

佐橋佳幸 だから、『1234』は今でもすぐ出るところに置いてあります。それと、松さんが伊東さんとまだ面識がなかったころに、伊東さんが果物なんかをよく送ってくださっていたんですけど、「伊東さんっていつもいろいろ送ってくださるけど、どなたなの?」って言うから、「『1234』の人」って」答えました(笑)。

【Part2】に続く)






佐橋佳幸(さはし・よしゆき)
●音楽プロデューサー、ギタリスト。東京都目黒区出身。70年代初頭、お小遣いを貯めて買ったラジカセがきっかけで全米トップ40に夢中になり、シンガー・ソングライターに憧れ、初めてギターを手にする。中学3年生の時に仲間と組んだバンドでコンテストに入賞。高校受験を控えつつも、強く音楽の道へ進むことを志す。’77年春・都立松原高校に入学。一学年上のEPO、二学年上の清水信之という、その後の音楽人生を左右する先輩たちと出会う。デビューを控えた“EPO”とのバンドと並行して、ロックバンドUGUISSを結成。’83年にEPICソニーよりデビューする。解散後、セッション・ギタリストとして、数え切れないほどのレコーディング、コンサートツアーに参加。高校の後輩でもある渡辺美里のプロジェクトをきっかけに、作編曲・プロデュースワークと活動の幅を拡げ、’91年にギタリストとして参加した小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、’93年に手掛けた藤井フミヤの「TRUE LOVE」、’95年の福山雅治「Hello」等が立て続けにミリオンセラーを記録し、クリエイティビティが高く評価される。’94年には初のソロアルバム「Trust Me」を発表。“桑田佳祐”とのユニット“SUPER CHIMPANZEE”にて出会った、“小倉博和”とのギターデュオ“山弦”としての活動等、自身の音楽活動もスタート。’96年、佐野元春 & The Hobo King Bandに参加。’03年、EPICソニー25周年イベント<LIVE EPIC 25>の音楽監督。’15年、3枚組CD『佐橋佳幸の仕事(1983-2015)~Time Passes On~』をリリース。座右の銘は「温故知新」愛器はフェンダー・ストラトキャスターとギブソン・J-50。趣味は読書と中古レコード店巡り。UGUISSのデビュー40周年を記念したアナログ2枚組『UGUISS(1983-1984)~40th Anniversary Vinyl Edition~』が2024年4月リリース。

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伊東俊郎(いとう・としろう)
●レコーディングエンジニア、サウンド・プロデューサー。1955年、鹿児島県生まれ。1976年に音響ハウスに入社し、その後CBS/SONY、スマイル・ガレージを経てフリーランスとなる。大滝詠一、吉田美奈子、山下達郎、佐野元春、大江千里、TM NETWORK、渡辺美里、米米CLUB、HOUND DOG、爆風スランプ、THE STREET SLIDERS、THE BOOM、ゆず、木村カエラ、家入レオ、岡崎体育、DRUM TAO、本間昭光など、多数のアーティストのレコーディングやプロデュースに携わっている。


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