2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME

『フットルース』とウォークマン®|1984年7月14日|1984年<春・夏>サブカルチャー

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コラム

2024.4.26

文/安川達也(ウェブマガジンotonano編集部)


ケビン・ベーコンはウォークマン®でフットルース!


 ミュージックビデオ(以下MV)の内容が充実していれば、その曲もヒットするという方程式がMTV発欧米の音楽業界の常識となった80年代前半。“映像を制する者は音楽シーンをも制す”なか、先見に富んだアーティストたちはMVをもはや“4分間の映画”と位置付けるようになっていた。2時間の劇場公開映画のハイライトシーンを3分に落とし込んだトレーラーは、誰が観ても大抵面白そうに見えるもの。アーティスト&楽曲の魅力を伝えるためにMVでは同じような効果を出すために映像形成。カルチャー・クラブやデュラン・デュランの華やかなで凝ったストーリー仕立てのMVの質はやはり群を抜いていた。

 そんなビジュアル重視追い風のなか、ハリウッドは、面白いことにそんなMV効果を逆転発想した。つまり、3分間の音楽宣伝映像MVを、2時間にバージョンアップさせたのだ。もちろんそのことを声高に公言したわけではないが、スクリーンに映し出される映画は正直で、顕著だった。いわゆるMTVムーヴィーだ。必然的に空前のサントラブームも始まろうとしていた。シーンを牽引したのはインディ・ジョーンズシリーズの大成功でイケイケのパラマウント映画だった。看板プロデューサーにドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーを迎え、音楽監督はジョルジオ・モロダー、看板作品は’83年公開の『フラッシュダンス』。プロのダンサーを夢見る主人公アレックス(ジェニファー・ビールス)が、アイリーン・キャラが歌う主題歌「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」に包まれる。窓から陽が差し込むオーディション部屋の中、審査員の前で踊る印象的なラストシーンは、MTVムーヴィーの象徴となった。

©1983 Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. ©2019 Paramount Pictures.


 世界的ヒットとなった 『フラッシュダンス』の興奮が覚めやらぬ翌’84年7月14日、パラマウントからひとつのダンス映画が日本に上陸、全国一斉公開された(アメリカ公開2月17日)。「MTV に映画の未来を見た!」と公言した演出家ハーバート・ロスが手掛けたのは『フットルース』。シカゴ育ちの高校生(ケビン・ベーコン)が、ダンス禁制のスモールタウンに引越し、高校でダンスパーティを実現させるための青春ドラマ、というたった3行で記せる物語を1時間47分で繋いだのは、やはりロック&ポップス。 ケニー・ロギンスが歌った主題歌「フットルース」は’84年上半期の世界最大のヒット曲となった。



KENNY LOGGINS 「Footloose」1984 (Official Video)


 約半年公開が遅れた日本では’84年夏にサントラセールスが加速し、9月に入るとアルバムチャート1位に輝き80万枚のセールスを突破。年間チャートは1位がマイケル・ジャクソンの『スリラー』、2位がサントラ『フットルース』、3位がサザンオールスターズ『人気者で行こう』の洋高邦低現象を持続させた(前’83年の年間1位はサントラ『フラッシュダンス』)。

 同じダンス映画でも70年代の金字塔『サタデー・ナイト・フィーバー』('78年)はミラーボールの下でみんなが同じステップを刻んだが、80年代に入るとプライベート空間でリズムを刻むシーンが増えていった。ケビン・ベーコンはヘッドフォンステレオしながら器用にダンスし、いわゆるフットルースをかます。ジャケットでケビン・ベーコンが腰にぶらさげているオーディオプレイヤーのフォルムこそ、ウォークマン®だった(アメリカでは「Soundabout」の商品名で売られていた初号モデルという説がある)


オリジナル・サウンドトラック
『フットルース』

1984年5月21日発売


 ソニーの初代ウォークマン®「TPS-L2」が発表されたのは’79年。ザ・ナックの「マイ・シャローナ」が世界中を席巻し、日本では山口百恵の「しなやかに歌って -80年代に向って-」が街に流れている頃だ。音楽を持ち歩く新スタイルの話題性から発売当初から注目商品だったが、一般層にまで浸透し爆発的なヒットとなったのは、’81年に2代目ウォークマン®が登場してからだ。 徹底的にファッション性を意識し、外部デザインから設計されたこの新モデル「WM-2」は、可能な限りの小型化を目指し、初代よりも高さが24.5mmも低くなり、カセットケースと同等のサイズに、280gという軽さも実現。メタルテープにも対応した「WM-2」は当時の若者から圧倒的に支持されたのだ。




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