2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME

【Part4】『EACH TIME』発表|Eighties TIME~大滝詠一80年代ストーリー~

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解説

2024.4.23

文/小川真一


1984年3月21日、ついに『EACH TIME』発売


 ついに時代がたどり着いた。’84年の3月21日にアルバム『EACH TIME』がリリースされた時に、このように感じたものだ。突然の贈りものように発売された『A LONG VACATION』とは違い、果てしないほどの期待と共に登場してきたのだ。発売日にアルバムを手にした時には、いい知れないほどの満足感を覚えた。

 前作の『A LONG VACATION』から3年。この間に随分と世相が移り変わっていった。スペースシャトルが打ち上げられ、スペンサー伯爵家のダイアナが英国王太子チャールズと結婚して話題を呼び、東京ディズニーランドが幕張にオープンし、ファミコンが販売されている。ざっくりと鳥観してしまえば、80年代に入ってからは華やかでアッパーな気配が濃厚になり、時代が浮かれ始めたと言ってもいいだろう。

 音楽で言うならば、ダンサブルでビートの強い音楽がもてはやされるようになった。その象徴が“キング・オブ・ポップ”マイケル・ジャクソンだ。その人気は国内でも凄まじく、’83年の『スリラー』の売れ行きは絶大だった。ミュージックビデオの追い風もあっただろうが、海外の音楽がこれほどまでのビッグなセールスを記録したのは、マイケルが初めてではなかっただろうか。

 と言った時代に、大滝詠一はどんなアルバムを届けてくれるのだろうか。様々な意味で期待が高まっていくのは当たり前だろう。


大滝詠一
『EACH TIME』

1984年3月21日発売


 ’83年の1月から、『EACH TIME』のレコーディングが始まった。当初は、大滝の誕生日である7月28日に発売する予定でスケジュールが立てられていた。かなりタイトな進行ではあるが自信はあったのだと思う。しかし、紆余曲折、奇奇怪怪、波乱万丈などもあり、仕切り直して翌年の’84年の3月21日に発売日が決まる。このおかげで、スペシャル・ボーナスともいえるライヴや、意外な名演が生まれることになるのだ。

 その話の前に、『A LONG VACATION』完成から『EACH TIME』のレコーディングに入るまでの動きを追っておこう。

 ’82年の1月1日発売には、うなずきトリオのシングル「うなずきマーチ」が発売になっている。80年代初頭といえば、狂乱ともいえる漫才ブームの時代。ツービートを筆頭に、島田紳助・松本竜介、B&B、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんちなどが人気者となった。その人気コンビの“あまり喋らない方”ばかりを集めてグループを組んだら面白いのではないか。そこで集められたのが、ツービートのビートきよし、紳助・竜介の松本竜介、B&Bの島田洋八の三人。きっと合いの手を入れるだけで、頷いてばかりいるのではないかと、うなずきトリオと名付けられた。

 この手のヴェルティ・ソングならば、やはり大滝詠一だろうと駆り出され、出来上がったのが「うなずきマーチ」(作詞・作曲:大瀧詠一、編曲:多羅尾伴内)。シングルのB面は、ナイアガラ・トライアングルの「A面で恋をして」をモジって「B面でうなずいて」だと言うオチまでついていた。


うなずきトリオ(ビートきよし・松本竜介・島田洋八)
「うなずきマーチ」

作詞:作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内(大瀧詠一の変名)
1982年1月11日発売


 もう1曲ノヴェルティ系では、中原理恵「風が吹いたら恋もうけ」が’82年の秋に発売になっている。もともとは演歌歌手の小高恵子に書き下ろした曲だったのが、ヴァラエティで人気が出てきた中原理恵のためにリメイクされた。笠置シヅ子の「東京ブギウギ」や美空ひばり「お祭りマンボ」の流れをくむ痛快なリズム歌謡。さすが大瀧詠一といった仕上がりになっていた。

 レコードこそ発売されなかったのだが、角川博が歌った「うさぎ温泉音頭」(オリジナル・タイトルは「宇佐木温泉音頭」)も見逃せない。水谷豊が主演したテレビ・ドラマ「あんちゃん」の挿入歌で、作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一、編曲:萩原哲晶という素晴らしいラインナップ。実はこの組み合わせには伏線があり、もともとはタモリのソロ・アルバムのために集まった面々だったのだ。この三人が、稀代の名曲、金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」を生み落すこととなるのだ。




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