アンディは’83年頃、マドンナと共演しているのよね?(コリーン・ドリュワリー)
え!? ほんとですか、それはすごい!(DJ OSSHY)
一緒に出演したファンク・バンドが絶対ビッグになると思っていたら彼女のほうがスーパースターになってた(笑)(アンディー・コーネル)
([前編]からの続き)
DJ OSSHY おふたりは大の親日家としても知られていますが、あらためて日本の好きなところ、日本人の好きなところを教えていただけますか。
コリーン・ドリュワリー ’87年に初めて日本を訪れたんですが、それから何度となく日本に来ることができて本当に幸せです。’87年に産まれた赤ちゃんが今年で37歳になるわけですから、その間に日本は大きく変わってきたと感じています。例えば、’87年当時、自分は日本のなかではすごく背が高いと感じていたんですけれど、今ではすごくちっちゃくなったなっていう風に感じるぐらい(笑)、日本人の体格も変わってきましたよね。また、社会も変わってきているように思います。でも、日本はその新旧のバランスみたいなものを取るのが本当に上手ですよね。そう感じた体験を先日もしました。
DJ OSSHY そうなんですか。教えてください。
コリーン・ドリュワリー 新宿駅の近くで、大きな看板がある横にすごく小さなお寺があって、そこでおばあさんがお参りしている光景を目にしたんです。そのエリアが持つ歴史が、うまくバランスを取りながら進化しているように感じました。ロンドンをはじめ、世界の大都市はだんだん同じような雰囲気になってきていますが、日本はいまだに古き良きものと新しいもののバランスを取ることにチャレンジしているような気がしています。私は、日本はそういうところがすごく好きで、こんなに何度も日本に来ることができて、本当にありがたいことだと思っています。
DJ OSSHY 素晴らしい。コリーンさんはよく日本を分析してらっしゃいますね。
コリーン・ドリュワリー ありがとうございます。私は4歳の時から日本に行くことをずっと夢見てきたんです。私の叔母が素敵な着物を着た芸者さんの人形を持っていて、その人形が本当に好きで、見た瞬間に欲しくてたまらなくなって、いつか欲しいとねだったんです。そうしたら叔母はいつ死ぬかわからないから、今あげるわとその人形をくれたんです。着物を着ることも夢でしたし、その人形みたいなメイクをするのもずっと夢でした。ですから、初めて日本に来た時に、夢が叶ったと実感したんです。“侘び寂び”ついての本も読みました。すべてを理解したとは思えませんが、例えば昨日もちょっと外に出てみたら、みんながお花見をしていて、季節や自然と触れ、それに感謝する心を日本のみなさんは持っていると感動を覚えました。空が曇っていても、みんなが桜が開花するのを待ちながら楽しい時間を過ごしている様子を目にすると平和に感じます。日本も消費社会にはなっていると思いますが、この平和で自然と季節の移ろいを愛する気持ちと消費社会との矛盾が私にはおもしろく感じられるんですよね。
DJ OSSHY アンディさんうなずいてますね。
アンディー・コーネル 日本は伝統とモダンのバランスを取るのがとてもうまいよね。最初に日本に来た時、キャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル 東急)に泊まっていたんだけど、時差ボケがひどくてね。でも、朝食は食べなきゃと思って、レストランに行ったら、政治家やビジネスマンがたくさんいて、自分たちはなんでここにいるんだろうとちょっと居心地の悪さを感じたりもした。朝食を食べながらビジネスミーティングもしているテーブルもあって、そこで、偉い人が怒鳴ったり、熱弁したりしていて、その光景を見て、日本ってすごいなと圧倒されたんだけど、その偉い人が、ふと外に出て、レストランの外にある池に10分、15分と佇んだまま、鯉に話しかけていたんだ。彼自身が瞑想状態に入ったというか、リラックスした感じが伝わってきた。こういうことはロンドンでは絶対に起こり得ないから、すごく印象に残っている。戦闘モードに入っている時に、いきなり鯉に話しかけてリラックスさせるなんてことは起こらないので、そういった何層にも折り重なっている日本の人たちの感情や暮らしに魅力を感じるんだ。
DJ OSSHY そう言っていただいて、日本人のひとりとしてとてもうれしいです。外側から日本を見た視点というか、とても新鮮な発見でしたね。その初来日当時、スウィング・アウト・シスターは英国の音楽シーンでどんなグループであろうとしたんでしょうか。
アンディー・コーネル 当時の自分たちがシーンの中でどういうような役割を担っていたかというような、自分たちを客観的に見ることはすごく難しいんだけれど、ひとつ言えるのは、シーンの一部として取り込まれていたのではなく、常にその外側にいたっていうことかな。ある意味、意図的にそうしていたというところもあった。そういうスタンスというのは、とてもマンチェスター的な考え方で、当時、自分たちの周りにいた人たちは誰もが音楽をやりたいけれど、音楽業界のメインストリームの一部にはなりたくないという姿勢だったんだ。人と違った音楽をやりたい、作りたいという気持ちを持って活動していたと思う。でも、今の時代のミュージシャンは、自分たちの頃とは変わってきていて、他の人がやっていることと似たようなことをやりたいというような傾向になってきているように感じるな。
DJ OSSHY 今度はコリーンさんうなずいてますね(笑)。
コリーン・ドリュワリー 私は当時両親が持っていた古いレコード、中古レコード店で見つけた中古のジャズ・レコードなどをよく聴いていました。チャーリー・パーカーやサラ・ヴォーン、ブルーノートのアルバムを聴きながら、そういったクールなジャズをもっとシンプルにしたヴァージョンの音楽を作ることで、シーンも形成していきたいと思い描いていたんです。アンディはウェザー・リポートやブラジルのジャズなどを聴いていて、私はジャズのほかにもモータウンなどのソウルも好きだったので、その中間となるような新しい感じのハイブリッド・サウンドを作ろうとしたんです。その結果、「ブレイクアウト」などが支持されて、シャーデーやカリマといったグループと並んで、そのシーンの一部になれたことは幸運でしたね。ただ当時、レコード会社からはシンセポップを作ってほしいという要望が寄せられていました。私たちの音楽はジャズすぎると突っぱねられたこともありました。
DJ OSSHY やはり自分たちの信念を曲げないで音楽を続けていくということが何よりも大事なんですね。ちょうどその時期、おふたりはア・サーティン・レイシオにも参加していて、’86年発表のアルバム『フォース』でコリーンさんはヴォーカル、アンディさんはピアノやシンセを担当されていました。スウィング・アウト・シスターとの活動が重なり合ったおもしろい時期だと思うんですが、『フォース』1枚だけの参加になって、スウィング・アウト・シスターの活動に専念するようになっていったのは、自分たちだけでやっていけると自信を持てるようになったからでしょうか。
アンディー・コーネル 過去のことを話すときは、こういう時にこういうことが起こって、その時にこういうことを考えていたという、しっかりとした受け答えができればいいんだろうけど、実はそのときはまったく何も考えてなかったんだよね(笑)。ただ流れに乗って、流れるままになんとなくそっちの方向に流されていたとしか言いようがなくて。特にその時代のバンドは非常に流動的で、今日このバンドでプレイしていたけれど、明日にはそこを辞めて次のバンドで活動しているというのは珍しくなかったんだ。何か明確な信念があって、それに向かって邁進したということもなかったし。でも、ひとつ言えるのは、コリーンの声そのものがスウィング・アウト・シスターだと思っているので、彼女が歌えば、例えばぼくがヴァン・ヘイレンの曲を演奏しようが、彼女が歌えばそれはスウィング・アウト・シスターになる。リスナーがコリーンの声によって、スウィング・アウト・シスターの曲だと気づくように、彼女の歌声は特別なんだ。
コリーン・ドリュワリー 私はチャカ・カーンのような優れたシンガーではないと自覚していますが、まるでしゃべるように歌う、しゃべるトーンと歌うトーンを同じようにすることだけは心がけています。自分に正直に声を出すことが一番大事で、だからこそ聴いてくれる方たちの心に届くと思うんですよね。そういえば、アンディはその頃、マドンナと共演しているのよね?
DJ OSSHY え!? ほんとですか、それはすごい!
アンディー・コーネル ア・サーティン・レイシオがツアーでニューヨークの伝説的なクラブ、ダンステリアで公演したとき、彼女がサポート・アクトだったんだ。まだアルバムもリリースしてなくて、デビュー・シングルの「エヴリバディ」(’83年)1曲だった頃で、彼女はまだ音楽だけで食べていけなかったからダンステリアでウェイトレスをしていた。今じゃ考えられないよね(笑)。ポスターにちっちゃく彼女の名前が書かれていて、彼女にとって初めてといっていいくらいのライヴだったんだ。初日のサポートは別で、ファンク・バンドが出演したんだけど、ぼくはこれはすごいバンドだ、彼らは絶対ビッグになる、とその時は思ったんだけど、実際には彼らはその後に名前を聞くことは二度となくて、マドンナがスーパースターになったっていう(笑)。おもしろいよね。
コリーン・ドリュワリー アンディはそのときキーボードで、マドンナから私はダンスするから、もっとはじっこに行ってほしいと言われたのよね(笑)?
DJ OSSHY マドンナ、新人なのに物怖じしてない(笑)、さすが!
アンディー・コーネル そうそう、だからぼくははじっこで小さくなって弾いていたんだ(笑)。
DJ OSSHY その光景が目に浮かぶようですね(笑)。ちなみにそのマドンナも含めて、将来的にコラボレーションしたいアーティストはいらっしゃいますか。過去には、ペット・ショップ・ボーイズがダスティ・スプリングフィールドと一緒に「とどかぬ想い」(’87年)で全英、全米で大ヒットさせていますが、レジェンド、新人含めて、一緒にやってみたいのは?
コリーン・ドリュワリー 私はデュエットするようなことはちょっと想像がつかないので、例えば自分たちが書いた曲をこの人に歌ってほしい、この曲をこの人に歌ってほしいみたいなのはすごくあります。いちどディオンヌ・ワーウィックに曲を書いたことがあるんですが、レコード会社の方があんまり気に入らなくてボツになったことはありましたね。
アンディー・コーネル 「とどかぬ想い」はすごく良かったけれど、ぼくはできれば’65年のダスティとやりたかったな(笑)。今だったら、エリカ・バドゥとやったら、何か新しいことができそうかな。実は、日本のドラマ主題歌になった「あなたにいてほしい」はダスティに歌ってもらうというアイディアも出ていたんだ。でも、その時、彼女の体調があまり良くなかったので、その話は流れちゃったんだけど。もし、彼女が歌っていたら、日本でのヒットはなかったし、こうして何度も日本に来ることもなかったかもしれない。まったく違ったストーリー、人生になっていただろうね。
DJ OSSHY そんな秘話があったんですか! 初めて知りました。10個、20個ともっとたくさん聞きたいことがあるんですが、時間がきてしまったので、最後の質問をさせてください。[前編]でトリオでやっていく上でのバランスを取るのが難しいとおっしゃっていたのが印象的で、それでもトリオからデュオへ変わり、40年近く絶え間なく活動を続けてこれらた理由、秘訣みたいなことがあれば教えていただけませんでしょうか。
コリーン・ドリュワリー そうですね、やっぱり1番大事なことは、お互いを尊重することですね。あとはおもしろい人であること、お互いを笑わせ合うことはすごく大事なことだと思います。一方で、お互いを認めながらも、こういうところはこうしてほしいという主張は明確に言わなければならないときもあるので、そのバランスが非常に大事になってくる。自分たちにとって良かったのはプロデューサーがいたことで、そのプロデューサーがレフェリーのような形で私たちの間に入ってくれてバランスを保つことができました。
でも、実際にはプロデューサーも自分のエゴがあったりとかして、そのエゴと向き合う必要もあったりしましたが。ふたりだと、お互いのアイディアをそれはダメだ、これはダメだって否定から入ってしまいがちなところもあって。先ほど3人のバランスもすごく難しいって言いましたけど、ふたりはふたりでやっぱりすごく難しいところがある。裁判所の判事みたいな、仲介してくれるようなプロデューサーの存在というのはやっぱり大きかったなと今感じています。これからもバランスをうまく保ちながら、アンディとずっとやっていきたい。そして、また日本に行けるようにがんばっていきたいと思います。
対談進行・文/油納将志 通訳/長谷川友美 写真/島田香
取材協力/Billboard Live TOKYO/YOKOHAMA http://www.billboard-live.com/
DJ OSSHY「TOKYOの未来に恋してる!」は休載とさせて頂きます。
7年間のご愛顧ありがとうございました(otonano編集部)
Swing Out Sister スウィング・アウト・シスター
スタイリッシュな美学に貫かれた音楽センスで、デビュー38年を経た今もな世界中で絶大な人気を誇るUKポップ・デュオ。メンバーはアンディー・コーネル(キーボード)、コリーン・ドリュリー(ヴォーカル)。’86年にデビュー。シングル「ブレイクアウト」が全英4位(’86年11月)、全米6位(’87年8月)の世界的な大ヒットを記録。同曲を収録した1stアルバム『ベター・トゥ・トラベル』が本国全英チャート初登場1位(’87年5月)に輝く。音楽シーンに華々しく登場して以来、そのお洒落な音楽センスでファンを魅了し続けている。日本ではドラマ『真昼の月』(’96年)の主題歌「あなたにいてほしい(Now You’re Not Here)」が30万枚を超える大ヒットとなった。
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2024.4.27 | 《RADIO》interfm「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送(毎週土曜日放送) |
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▲諸事情によりイベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。
プロフィール
- DJ OSSHY (公式サイト www.osshy.com)
-
7月22日「ディスコの日」制定者。80′s ディスコ伝道師。
MCとミキシングを両方こなす、DISCO DJのスペシャリスト。
安心・安全・健康的でクリーンなディスコの魅力を全国に伝えている。
テレビ司会者の第一人者「押阪 忍」の長男。
親子で楽しめる「ファミリーディスコ」、高齢者向け「シルバーディスコ」など、 世代を超えて楽しめるイベントを開催。
東京スカイツリー、東京タワー、羽田空港、大型客船シンフォニー、 小金井カントリー倶楽部などでのディスコイベントのメインDJを務め、郷ひろみ、鈴木雅之、角松敏生との共演イベントも大きな話題を呼んだ。
売野雅勇 作詞活動35周年記念コンサートでは、総合司会を務めた。
民放テレビ初のディスコTV番組「DISCO TRAIN」(TOKYO-MX)を始めとした、ディスコ放送番組DJのパイオニアでもある。
【レギュラー番組】
・「DJ OSSHY DISCO TV」(BSフジ)毎月第3木曜日24:00~24:25
・「DJ OSSHY × まつきりな 推しナイト!」(BSフジ)毎月第4木曜日24:00~24:25
・「Family Disco」(JFN系列)全国FMラジオ放送
・「RADIO DISCO」(InterFM897)毎週土曜日15:00~17:45
・「横浜DiscoTrain」(FMヨコハマ)毎週日曜日15:48~15:57
他、2018年6月4日 テレビ朝日「徹子の部屋」など様々な番組に出演。
2021年9月22日には最新mix CD『 SURF DISCO 2 -NO SURF, NO LIFE.- mixed by DJ OSSHY 』をリリース。
2016年10月には、初の書き下ろし・エッセイ『ディスコの力』(PHP出版)を出版した。
今、日本で一番集客力のある、ディスコ世代に支持されているDJタレント。
DJ OSSHY公式サイト
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