2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME
ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』|1984年6月21日|1984年<春・夏>サブカルチャー
コラム
2024.4.19
文/安川達也(ウェブマガジンotonano編集部)
ボーン・イン・ザ・80s!? 王道サウンドの妙技ゲート・リバーブの時代
1984年6月21日。ブルース・スプリングスティーンの通算7枚目のアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』が国内発売された。その盛り上がりは日本にも届いていた。6月4日に発売されたアメリカでは、当時破格の125万枚のLPが初回出荷、最初の2日間だけで65万枚が売れ、4日間だけでプラチナ・ディスクを獲得した。発売初週でミリオン突破の原動力となったユーザー層はいわゆるファーストBOSS世代と言われている。若者の日常に光を当てドラマティックに描いた『明日なき暴走』(’75年)でロックンロールの未来をブルースと約束し、全米チャート1位に輝く2枚組大作『ザ・リバー』(’80年)で古き良きアメリカン・ポップス/ロックンロールを身体に染み込ませた硬派なリスナーたちとも言える。彼らが家に帰り、レコード盤のA面に針を落とした瞬間、1曲目のイントロから度肝……疑問を抱くことになる。このサウンドが僕らの知っているブルース・スプリングスティーンのサウンドなのか? これは世界共通の“違和感”だったのだ。発売から40年経った今では、BOSSクラシックとして70年代から80年代を一緒くたに扱われることも少なくないが、ブルースのキャリアのなかで「’84年」以前と以降では大きな違いがある。それは視覚以上に、聴覚、でだ。
ブルース・スプリングスティーン
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』
1984年6月21日発売
アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、アメリカが抱える普遍的な問題や身の周りで起こる事象を淡々と物語るアコースティック作品『ネブラスカ』(’82年)と同時制作進行されたアルバムだった。表題曲には社会問題となっていた行き場のないベトナム帰還兵の母国アメリカに抱く誇りと卑下が同居する屈折感情が描かれていた。ブルース本人の言葉を借りるならば「<ボーン・イン・ザ・U.S.A.>に出てくる男は神話的なアメリカのイメージを裸にしたがっている」。しかし、時は米ソ冷戦、ロス五輪を抱えるレーガン政権下の“強いアメリカ”のなかで、国粋アンセムと捉えることもできる♪Born in the U.S.A.~コーラス部分だけがクローズアップされ合衆国賛歌としてひとり歩きをはじめた。さらに、ビジュアル優位なMTV時代。映画『ランボー』のシルベスター・スタローンのような筋肉隆々な腕で拳を突き上げるミュージック・ビデオの映像インパクトはさらに誤った解釈を与えてしまう。ロック史上最も誤解されたナンバーとなった所以は、『ザ・リバー』から4年ぶりとなるEストリート・バンドとフル・バンド展開が作りあげた圧倒的なサウンド・インパクトにもあった。
Bruce Springsteen「Born In The U.S.A.」
アルバムのオープニングを飾った表題曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」。当時ミュージシャンの間で“夢の楽器”と重宝されたYAMAHA CS-80が鳴らす音色豊かなシンセサイザーのリフレイン。呼応するように響く力強いタイトなドラムにはすでに“魔法”がかけられていた。80年代初期~中期のメインストリーム・ロック特有の、スネアの残響音を瞬時にバッサリと切り捨てる人工的な過激サウンドともいうべきゲート・リバーブだ(最初にメジャーシーンで使ったのは英国エンジニアのヒュー・パジャムでフィル・コリンズとのスタジオワークで偶然に生まれたと言われている)。最新鋭シンセとゲート・リバーブ処理されたドラムの化学反応は、まるで国家掲揚で星条旗がポールを上がっていくようなある種の荘厳サウンドを生み出し、そのままブルースのさらに力強い歌声と一体化し、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の硬質なイメージを決定的にした。Eストリート・バンドが渾然一体となるサウンドを浴びてきたファーストBOSS世代は“違和感”を覚えるのは仕方がないことだった。一方、80年代BOSS世代はそれまでない高揚感を抱いた。
Bruce Springsteen「Dancing In The Dark」
全米最高2位を記録したアルバム先行シングル「ダンシン・イン・ザ・ダーク」の8ビートのロックンロールと16ビートのシンセによるダンスビートの融合は、前年『フラッシュダンス』(’83年)でポップ・ダンス・ミュージックに開眼したティーンネイジャーにはまさに旬なサウンドを鳴らすポピュラー・ソングとしてすんなりと受け入れた。ブルースがコートニー・コックス(のちに人気女優)とぎこちないダンスをするミュージック・ビデオも話題となり、プリンス「ビートに抱かれて」とMTVリクエストチャートで激しいトップ争いを展開。全12曲収録の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』からは7曲がシングル・カットされその全てが全米トップ10入りを果たした。
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