2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME

【Part3】『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』発表|Eighties TIME~大滝詠一80年代ストーリー~

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解説

2024.4.15

文/小川真一


“ロンバケ”~風立ちぬ~第二期ナイアガラ・トライアングル!!!


 『A LONG VACATION』は、’81年3月21日にリリースされた。帯には「BREEZEが心の中を通り抜ける」の文字が大きく踊っている。あの永井博のアートワークによるジャケットが、レコード店の壁いっぱいに並べられているのは壮観だった。まるで春を通り越して、一足先に夏になったような気分だったのを覚えている。

 このアナログ盤LPと同じ日の3月21日に、カセット・テープ版が発売となっている。がしかし、コンパクトディスク(CD)は、発売のラインナップに入ってはいなかった。このことを疑問に思われる方もいるかもしれない。その答えは実に簡単で、’81年3月の段階ではコンパクトディスクそのものがこの世に生まれていなかったからなのだ。

 次世代の記録メディアとして、ソニーとフィリップスが共同開発したコンパクトディスクは、レーザー光を使ってデーターを読み出す。そのデータもデジタル方式で書き込まれたものであり、画期的な新方式であった。CBS・ソニーから世界初のCDソフトが発売されたのは、’82年10月1日のこと。この最初の50タイトルの中に、大滝詠一『A LONG VACATION』が選ばれている。邦楽部門では、記念すべき第一号となったのだ。

 当時はアナログ盤LPの価格が2500〜2800円。CDの価格は3500円と少し高額であった。まだ、CDを再生する装置も’82年10月に初めての民生機が発売されたばかり。CDが本格的に普及するのは、各社からCDプレーヤーが販売となりソフトの発売タイトルが増えた’86年頃からなのだ。このCDの普及に伴い『A LONG VACATION』はロング・セールスを続け、累計の出荷枚数は300万枚を突破していると言われている。まさに日本が誇るエヴァー・グリーンなのだ。


大滝詠一
『A LONG VACATION』

1981年3月21日発売


 3月21日に発売された『A LONG VACATION』は、アルバム・チャートの初登場は70位。そこからじりじりと順位を上げ、6月に入ると第4位にまで急上昇し売上も10万枚を突破する。これは発売前の目標枚数を達成したことになるのだ。ところが“ロンバケ”のパワーはこれだけではなかった。7月のチャートでも7位に留まり20万枚を記録。その後「君は天然色」がCMソングとして使われたこともあって、8月のチャートで2位に返り咲き30万枚の売上となり、9月にはさらに10万枚がプラスされる。結果として、アルバム・チャートには83週に渡ってチャート・インし、その間に合計60万枚を売り上げることとなるのだ。このような超ロングセラーは日本では珍しく、これは社会現象と呼んでもいいだろう。

 そういった間も、アルバム『A LONG VACATION』のプロモーション、ラジオ番組「スピーチ・バルーン」の収録、東京と大阪でのレコ発記念コンサート、CM制作と、相変わらずの多忙な日々を送っている。

 ’81年の7月には『A LONG VACATION』のスピンアウト企画として、『Sing A LONG VACATION』が発売された。このアルバムは、“ロンバケ”からヴォーカル・トラックを取り除き、シンセやピアノなどの楽器で主旋律を入れたもの。夏場の発売ということで「さらばシベリア鉄道」が除かれた全9曲仕様で、ジャケットの裏側に通し番号が付けられ、透明ヴィニール盤の1万枚限定でリリースされた。このアルバムも“ロンバケ”の余勢を駆って、すぐに完売となったのは言うまでもない。

 ’81年の大滝ワークで最も注目すべきなのは、夏に始まった松田聖子とのセッションだ。松田聖子の4枚目のオリジナル・アルバム『風立ちぬ』のA面(M-1〜M-5)は、すべて大瀧詠一の作曲、多羅尾伴内の編曲で占められている。大滝がこれほどまで女性歌手と密接な関係となるのは、シリア・ポールの’77年のアルバム『夢で逢えたら』以来のことだ。




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