2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME

佐野元春『VISITORS』|1984年5月21日|1984年<春・夏>サブカルチャー

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コラム

2024.4.12

文/安川達也(ウェブマガジンotonano編集部)


日本音楽シーンの未来を変えた『VISITORS』の衝撃


 ’83年3月18日。中野サンプラザ。<Rock&Roll Night Tour>最終公演のアンコールで佐野元春は発売されたばかりの新曲「グッバイから始めよう」を演奏した。終わりは、はじまり――。ステージの最後に、しばらく東京を離れ、NYに行くと発表する。『SOMEDAY』の大成功でまさにこれから日本のロックシーンの頂点へと駆け上がるタイミングだった。唐突なメッセージに、ファンは驚き、不安を抱きながらも、「待っていてほしいんだ」の言葉を受け止めるしかなかった。『BACK TO THE STREET』(’80年)『HEARTBEAT』(’81年)『SOMEDAY』(’82年)3枚のアルバムでロックンロールの本質を受け継ぐ楽曲を発表してきた佐野。彼がその母国に向かう姿にどこか誇らしさを抱き、その背中を見送る。4月になると初のコンピレーション作品『No Damage』が発売された。佐野の音楽を欲したファンがレコード店に押し寄せ、さらにそれまで彼の音楽に触れることもなかったリスナー達にも大歓迎され5月は『No Damage』がアルバム・チャートの首位を独走。元春シンドロームのニュースを、佐野はすでに新しい生活が始まっていたNYのアパートでひとり聞くことになる。


佐野元春
Compilation Album
『NO DAMAGE -14のありふれたチャイム達-

1983年4月21日発売


 ’84年3月21日。大滝詠一のアルバム『EACH TIME』が発売されると佐野ファンはざわついた。エヴァーグリーンな曲がズラリと並ぶナイアガラサウンドの神髄。佐野元春・杉真理・大滝詠一による『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』(’82年)の記憶も新しいなか、NYにいる佐野の動向が否応にも気になる。フィルムコンサート、ラジオ、雑誌等の媒体を通じてファンへの発信が途絶えることがなかったが、まだ新曲は届いていなかった。マンハッタンブリッヂにたたずんでいるのかもしれない。日本不在の佐野の姿を勝手に想像するのもこの頃のファンの特権だったような気がする。


佐野元春
7inch Single(Vinyl)
side-A「トゥナイト」 
side-B「シェイムー君を汚したのは誰」

1984年4月21日発売


佐野元春
12inch Single(Vinyl)
side-A「トゥナイト」(Special Extended Club Mix)
side-B「トゥナイト」(Instrumental Version)

1984年4月21日発売


 ’84年4月21日。佐野元春の約1年ぶりとなるシングル「トゥナイト」が発売された。400日ぶりの新曲は“14のありふれたチャイム達”を愛聴するBoysやGirlsの渇望を癒すには充分すぎるほどキャッチーでポップなナンバーだった。「待っていてくれてありがとう」と言われたような、歌詞にもNYが登場するまさにマンハッタンから届いた佐野からの手紙のようなシングル。それでもメロディアスのなかに潜むどこか乾いた質感は明らかにそれまでにないアプローチ。同時発売された12インチシングルという聞き慣れないフォーマットに刻まれた「トゥナイト(Special Extended Club Mix)」は大胆にリズムが強調されていた。このわずか1か月後、新しいアルバム『VISITORS』全編を耳にした多くのファンが度肝を抜かされる。第二期・佐野元春はとっくにスタートしていたのだ。




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