2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME

風の谷のナウシカ|1984年3月11日|1984年<春・夏>サブカルチャー

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コラム

2024.4.4

文/安川達也(ウェブマガジンotonano編集部)

©1984 Hayao Miyazaki / Studio Ghibli, H


それぞれの想いのなかで重ねる安田成美の歌声と主人公ナウシカの姿


 それは未来の話だった。繁栄を極めた人類は自然を征服。やがて“火の七日間”と呼ばれる大戦争で、栄華を誇った産業文明は崩壊する。舞台はそれからさらに1000年が経過。わずかに生き残った人類は、蟲(むし)と瘴気(しょうき)の森“腐海”に征服されようとしていた。風に乗り、蟲と心を通わせ、自然とともに生きる“風の谷”の族長の娘ナウシカ。人間同士の儚い争いに巻き込まれながらも、たった一人の力で未来の地球を救うために立ち上がろうとするが……。

 1984年3月11日。映画『風の谷のナウシカ』が公開された。『ルパン三世 カリオストロの城』(’79年)に次ぐ、宮崎駿監督の長編アニメーション作品第2作だ。のちに朋友となる鈴木敏夫が編集者として在籍する徳間書店の月刊誌『アニメージュ』に連載されていた宮崎の同名漫画を原作とする壮大なSFファンタジー(スタジオジブリ第1作は’86年『天空の城ラピュタ』)。興行収入は約14億円。90年代以降に数々の記録を塗り替え続けるジブリ作品と成績を比べることはもはや意味がない。公開から40年、記録以上に “記憶に残る” 作品として世代を超えて愛され続けている80年代アニメの金字塔だ。


『風の谷のナウシカ』
1984年3月11日劇場公開作品
原作・脚本・監督:宮崎駿
プロデューサー:高畑勲
作画監督:小松原一男
美術監督:中村光毅
音楽:久石譲
制作:トップクラフト


 リアルタイム世代の多くが、“ナウシカ”を想うときにアタマのなかで流れるメロディがある。「風の谷のナウシカ」。言わずもがな映画『風の谷のナウシカ』のシンボル・テーマソングであり、安田成美のデビュー・シングルだ。映画・出版・放送・音楽が一体となるメディアミックス(死語)に乗って、映画公開前にテレビスポットでも大量投下されたことで“風のように揺らぐ歌声”と“ナウシカ”の姿を重ねていく。周知、安田成美の「風の谷のナウシカ」が劇中で流れることは一度もなかった。“シンボル”の意味を多くのリスナーが劇場で知ることになるのだが、そのことで落胆した声は少なかったという(SNS時代の今では違う反応があったかもしれない)。劇中シーンと重ねることがないまま、リスナーそれぞれの想いのなかで安田成美の歌声と主人公ナウシカの姿を交錯させる特別な1曲となって、想い出が真空パックされたまま、40年という時を超えようとしている。

 はっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)を経て、数多くのヒット曲を手がける作詞家となった松本隆と、人気絶頂YMOのメンバー細野晴臣の10年ぶりの邂逅は’81年に「ハイスクールララバイ」(歌:イモ欽トリオ/作詞:松本隆/作曲・編曲:細野晴臣)というミリオンセラーを誕生させた。その流れは松田聖子のアイドル黄金期をも演出し「天国のキッス」「ガラスの林檎」(共に’83年/作詞:松本隆/作曲・編曲:細野晴臣)がチャートのトップを快走する。

 そして、’84年1月25日、安田成美「風の谷のナウシカ」が発売された。山口百恵、太田裕美、中森明菜らのヒット曲を手がけるトップ・アレンジャー萩田光雄がここでシンボル・テーマの世界観を決定づける見事なオーケストレーションを展開している。作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:萩田光雄は、後にも先にも皆無に等しい日本ヒットチャート史上「奇跡のクレジット」だった(安田成美の4thシングル「銀色のハーモニカ」は作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣・萩田光雄)。




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