2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME
マイケル・ジャクソン|1984年2月28日|1984年<春・夏>サブカルチャー
コラム
2024.4.1
文/安川達也(ウェブマガジンotonano編集部)
マイケル・ジャクソン、グラミー8冠の衝撃
1984年2月28日。マイケル・ジャクソンが史上最多のグラミー賞8冠。このニュースが世界中にかけめぐったとき、アメリカ音楽界の最高栄誉の音楽祭=グラミー賞が日本でも一般層まで認知されたといっても過言ではないはず。日本レコード大賞のアメリカ版。音楽史的にはその逆の言い方のほうがグラミーには失礼ではないだろう。授賞式後の記者会見で持ちきれないグラモフォン(蓄音器型トロフィー)を抱きかかえながら浮かべるマイケルの笑顔が世界中に配信されたが、「84.2.28」はグラミー最多戴冠だけではなくマイケルが音楽ジャンルを超越し正真正銘の“キング・オブ・ポップ”になった瞬間でもあった。
マイケル・ジャクソン
『スリラー』
1982年12月発売
’82年12月に発売されたマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』は、70sディスコフィーヴァーを承継するダンサブル&ソウルフルなエネルギッシュなスタイルに、80sメインストリームを予感させるロックテイストなアーバンコンテンポラリーの融合。追随を許さない圧倒的なダンスに裏打ちされたビジュアルパワーを全盛MTVと共振させた『スリラー』は、もはや音楽作品を超越する新時代のアイコンとなった。’83年~’84年の全米アルバムチャートで37週間1位、’84年の時点で『スリラー』はアメリカ国内史上初の2000万枚のセールスを突破(’24年現在3400万枚)。日本でも空前のヒットとなり’84年度の年間LP、カセット、CDチャートのトップに輝く3冠を達成。数多くの『スリラー作品が店頭にズラリと並んだ。
写真/山本マオ
アルバム『スリラー』からの最後のシングルで表題曲「スリラー」では、『ブルース・ブラザーズ』(’81年)『狼男アメリカン』(’82年)のジョン・ランディス監督を迎え、約14分のショートフイルムを完成させた。制作費は当時ののミュージックビデオの平均制作費の10倍の約1億2000万円。MTV視聴者はマイケルの狼男への変身とゾンビ・ダンスに度肝を抜かされる。「スリラー」の映像は、もはやミュージックビデオも枠を超えた伝説となり、のちに音楽ビデオとして史上初のアメリカ国立フィルム登録簿入り。米国議会図書館ではフィルムが永久保存されることになった。
Michael Jackson「Thriller」(Official 4K Video)
マイケル旋風ともいえるアルバム『スリラー』がもたらした数々の偉業のハイライトこそが「84.2.28」第26回グラミー賞だった。12部門にノミネートされ、年間最優秀アルバム『スリラー』を含む当時歴代最多の8部門に輝いた。前作『オフ・ザ・ウォール』ではR&B部門のみの受賞だったマイケルが、わずか3年後にエディ・ヴァン・ヘイレンをリードギターに迎えエポックナンバーとなった「今夜はピート・イット」で総合部門ともいえる年間最優秀シングルと、男性ロック・ヴォーカルを受賞。さらにタイトル曲「スリラー」で男性ポップ・ヴォーカルを受賞した意味はとてつもなく大きい。同時に「ビリー・ジーン」でR&B2部門を受賞したこの時点で、マイケルは音楽賞のフィールドでも黒人音楽と白人音楽の頂点に立ったことを誇示したのだ。ちなみに最優秀楽曲賞はポリスの「見つめていたい」、最優秀新人賞はカルチャー・クラブが選出された。
[第26回グラミー賞『スリラー』とマイケル・ジャクソンの受賞結果]
①最優秀アルバム賞=『スリラー』マイケル・ジャクソン/クインシー・ジョーンズら
②最優秀レコード賞=「今夜はビート・イット」マイケル・ジャクソン/クインシー・ジョーンズら
③最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス=「スリラー」マイケル・ジャクソン/クインシー・ジョーンズら
④最優秀男性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス=「今夜はビート・イット」マイケル・ジャクソン
⑤最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンス=「ビリー・ジーン」マイケル・ジャクソン
⑥最優秀R&Bソング=「ビリー・ジーン」マイケル・ジャクソン
⑦最優秀プロデューサー=『スリラー』クインシー・ジョーンズ/マイケル・ジャクソン
⑧最優秀アルバム技術賞:クラシック以外=『スリラー』ブルース・スウェディエン
◎最優秀児童用レコード=『E.T.ストーリーブック』マイケル・ジャクソン/クインシー・ジョーンズ
マイケルは『スリラー』でグラミー8部門独占ではなかった!?
「マイケル・ジャクソンが『スリラー』で8部門独占」という記事を今でも目にすることはあるが、これは正しくはない。じつはマイケル個人が『スリラー』関連で受賞したグラミーは7つだ。最優秀アルバム技術賞を受賞したエンジニア=ブルース・スウェディンを含むと『スリラー』が生み出したグラムフォンが計8つとなる計算だ。マイケル愛好家や80年代洋楽マニアの間では周知だが、マイケルは『E.T.ストーリーブック』によって最優秀児童向けレコードを受賞しているので、合わせて個人計8部門受賞になる。ちなみにこの最多記録に並ぶのは同じく8部門を受賞したサンタナ(第42回|2000年発表)だけだ。
マイケルのグラミー新記録樹立の影に隠れる形になってしまったが「1984.2.28」はもう一組のロックグループが注目された。じつはこの前年にはTOTOが『TOTOⅣ~聖なる剣』でやはり史上初の6部門を受賞して称えられていた。しかしわずか1年後、マイケルの『スリラー』で主要部門を独占したことで、あっさりとグラミー主役の座を奪われた……のはやはり一般層に届いたニュースまで。『スリラー』収録曲の大半(「ベイビー・ビー・マイン」「ガール・イズ・マイン」「今夜はビート・イット」「ヒューマン・ネイチャー」「レディー・イン・マイ・ライフ」)はスティーヴ・ポーカロ(シンセサイザー)、デヴィッド・ペイチ(シンセサイザー)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)、スティーヴ・ルカサー(ギター、ベース)らTOTOのメンバーが演奏していたのは音楽業界の常識。TOTOに白羽の矢を立てたクインシー・ジョーンズの期待をうわまわるその絶大な貢献度から「事実上の2年連続グラミー賞の主役はTOTO」という声も会場のあちらこちらから聞こえたという。ちなみに名曲「ヒューマン・ネイチャー」は作曲、編曲、演奏のほぼ全てがTOTOといっても過言ではない。Why? Tell'em that it's human Nature__。
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