2024年4月号|特集 大滝詠一 EACH TIME

【Part1】『A LONG VACATION』への道|Eighties TIME~大滝詠一80年代ストーリー~

解説

2024.4.1

文/小川真一


『A LONG VACATION』、そして『EACH TIME』へと続いていく架け橋


 『A LONG VACATION』は約3年前から準備が始まっていたという。“ロンバケ”の発売が’81年3月21日なので、3年前といえば’78年。つまりは『LET'S ONDO AGAIN』がリリースされた直後となる。そんな早い時期から構想が生まれていたとは、驚いてしまうばかりだ。

 この構想が具体的に見えてきたのは、イラストレーターの永井博と組んで’79年に作ったイラストブック『A LONG VACATION』(CBS・ソニー出版)からではなかったかと思う。当初はこの本に、シングル盤を6枚パッケージングして出すというアイデアもあったという。イラストブックのタイトルのヒントになったのは、リッキー・ネルソンの同名の曲で、’63年にインペリアル・レコードからシングル盤で発表されている。永井から最初に見せられたイラストにリッキー・ネルソンのポートレイトがあり、そこからの発想だったそうだ。アルバム『A LONG VACATION』、そしてさらには『EACH TIME』へと続いていく長い助走路はこうして生まれた。

 70年代後半の音楽事情について、少し触れておこう。

 キャンディーズが後楽園球場で解散し、ピンク・レディーが全盛期。ジョン・トラボルタが主演した映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が大ヒットし、ディスコ・ブームが沸き起こっていた。J.D.サウザー の「ユア・オンリー・ロンリー」やボズ・スキャッグスがもてはやされ、時代がAORへと移行し始めたのも、この時代からだ。蛇足ながら、大滝詠一『LET'S ONDO AGAIN』の発売日には、イエロー・マジック・オーケストラのデビュー・アルバムと、竹内まりやのファースト・アルバム『BEGINNING』が発売となっている。 

 ’78年当時の大滝詠一を振り返ってみよう。’77年の『NIAGARA CALENDAR』、そして’78年の『LET'S ONDO AGAIN』と、日本におけるノヴェルティ・ミュージックの金字塔ともいえる傑作アルバムを連続して発表したが、自身のレーベルの運営は順調とはいえなかった。3年間に渡る日本コロムビアとのレーベル契約が終了。福生のプライヴェート・スタジオにあった録音機材も、手放すこととなってしまうのだ。ある意味ここで吹っ切れたのだろうか。むしろ開放感をかんじていたのかもしれない。


大滝詠一
『NIAGARA CALENDAR』

1977年12月25日発売



 大きな転換期ではあったが、大滝詠一の才能を放っておくわけがなく、すぐさま色々な仕事が飛び込んでくる。’73年の「三ツ矢サイダー」の時代から付き合いのあるON・アソシエイツの大森昭男から声がかかり、日立の「オシャレさん」のCMを作ったのを皮切りに、大場久美子をフィーチャーした「ハウス・プリン」、資生堂の「MG5」などを連続して制作していく。ご存知のように、「ハウス・プリン」は77年に大滝がソロ・シングルとして発表した「青空のように」をリメイクした曲。福生の45スタジオで録音した曲を外部のスタジオでレコーディングしたらどうなるのだろうか、そんな実験もこめられていた。

 福生スタジオ時代の悩みは、作詞作曲、アレンジ、演奏に加えて、笛吹銅次の名前でエンジニアをすることだった。これが一番ハードだったという。CMの現場では、この役割を吉田保(吉田美奈子の実兄)などのプロに任せることができる。こういったことが、『A LONG VACATION』、そして『EACH TIME』へと続いていく架け橋になっていくのだ。

 当時は楽曲提供の依頼も多く、清水アキラや佐藤金造らが在籍していたお笑いグループ、ザ・ハンダースのために曲を書いている。グループ・サウンズのザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」をネタにした「シーサイド音頭」を企画するがボツに。この勢いで、ザ・ビーチ・ボーイズと民謡を合体させた「サーフィン音頭」を作るが、これもおなじくボツ。アン・ルイスのために「Summer Breeze」を書き下ろしデモを録るのだが、これもボツになってしまう。なかなか全打席ヒット、とはいかないものだ。ただしこの「Summer Breeze」は、『A LONG VACATION』収録の「Velvet Motel」へと転生していくこととなる。

 『A LONG VACATION』には他にも色々と、提供楽曲の改作があるのをご存知だろうか。アニメの声優たちが組んでいたグループ、スラップスティックのために書いた「デッキ・チェア」は「スピーチ・バルーン」として生まれ変わり、「海辺のジュリエット」はサビの部分の旋律が加えられて「恋するカレン」となっていく。「君は天然色」の間奏が、もともとはアニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」ように用意されたという話もお馴染みだと思う。

 この時期の提供楽曲は、まるでモノポリー・ゲームのように転生していった曲が多い。「失恋レストラン」をヒットさせた清水健太郎のために書いたのが、「ロンリー・ティーン・エイジ・アイドル」だ。タイトルはリッキー・ネルソンの’62年のヒット曲をもじったもの。これも残念ながらボツになるのだが、捨てる神あれば拾う神あり。この曲は西田敏行の’80年の歌手デビュー・アルバム『風に抱かれて』の中でリメイクされる。このアルバムには、大瀧詠一の「いかすぜ!この恋」のカヴァーも収められているが、当時の西田はエルヴィス・プレスリーの物真似をテレビでよく披露していた。

 転生ソングでもうひとつ面白いのが、’78年にテレビの音楽番組『サウンド・イン”S”』に出演していた四人組、ニュー・ホリデー・ガールズのために書いた「愛は行方不明」だ。同年の12月に福生の45スタジオで大滝自身のヴォーカルによるデモ・テープが作られているが、この曲が福生スタジオでの最後のレコーディングとなる。これを大村雅朗がディスコ・スタイルにアレンジし録音したのだが諸事情により世に出ることはなかった。


須藤薫
『CHEF‘S SPECIAL』

1980年6月21日発売
※「あなただけI LOVE YOU」収録


 この曲は’81年に須藤薫の手に渡り「あなただけI LOVE YOU」のタイトルで見事に蘇る。これぞまさに名曲の貴種流離譚。見事な出来栄えで、須藤の代表曲としてよく知られている。歌詞は大瀧詠一によって書き換えられているが、これがまた雰囲気があって素晴らしい。大滝のデモ、ニュー・ホリデー・ガールズ版ともに2021年に発売された『A LONG VACATION VOX』に収められているので、ぜひ耳にしていただきたい。

 須藤薫の「あなただけI LOVE YOU」は、 ’80年の2月にソニーの六本木スタジオで大滝立ち会いのもと録音される。レコーディングのスタッフはエンジニアもミュージシャンも『A LONG VACATION』とほぼ同じで、この年の春から始まる〝ロンバケ・セッション〟の最終リハーサルのような形になったという。

 最後にもうひとつエピソードを添えておこう。「あなただけI LOVE YOU」が好評だったこともあり、担当ディレクターからもう1曲須藤薫用の曲を書いてくれないかと依頼される。出来上がった曲を聞かせたところ、女性ではなく男性が歌うべきだとのアドバイスを受ける。そして大滝自身が歌ったのが「君は天然色」なのだ。これは『A LONG VACATION』を作るべきだという、音楽の神からの啓示であったのかもしれない。


大滝詠一
『A LONG VACATION』

1981年3月21日発売



【Part2】に続く)




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