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40周年解説ドキュメント[Part 2 : 1985-1987]
40年に及ぶTM NETWORK活動史を、作品、ライヴ、同時代における重要トピックと共に総括するドキュメンタリー。Part 2では、2nd~5thアルバムのリリース、「Get Wild」のヒット、コンサート規模の拡大などを経てTMが大きく飛躍していくブレイク期を一挙に解説。
アーティスト写真/『TM NETWORK WORLD HERITAGE』ブックレットより
ブレイク前、TM NETWORK葛藤の時代となった1985年
TM NETWORKの1985年は、2ndアルバム『CHILDHOOD’S END』からはじまった。タイトルが示す通り、SF作家アーサー・C・クラークの長編小説『幼年期の終わり』からのインスパイアを受けた一作だ。テーマは “世界の音めぐり”、“作品集的アルバム”だったという。タイトル候補が『Reality In The Wonderland』だったことからも、メンバーの過渡期的な心境の変化、葛藤がうかがえる。
「この時に、僕があまり言うことを聞かなくてEPIC・ソニーのプロデューサー小坂(洋二)さんにへそを曲げられてしまって(苦笑)」(『TM NETWORK 30th 1984~ the beginning of the end』ツアーパンフレットより)と、小室哲哉が語っている通り、本作は当時主流であったJ-POP以前のニューミュージックやシティ・ポップ的な世界観と、SFライクに革新的なTMサウンドという狭間で揺れ動いた。
当初は、歌謡曲的なセンスを持つ「8月の長い夜」がシングル候補だったが、次世代ヒットへの渇望へとこだわった結果、新たに「アクシデント(ACCIDENT)」を生み出すことになったという。
その思いは、作詞家の起用にもあらわれた。1983年、小室と木根尚登がプロデュースしていたSERIKA with DOGで歌詞を手がけていた作詞家・松井五郎は、その後、安全地帯との出会いからヒットメーカーとなるが、小室は1985年の勝負作「アクシデント(ACCIDENT)」で満を持して作詞を松井に委ねた。「1974(16光年の訪問者)」のいわゆるSF路線とは真逆の、ニューミュージックであり現実的なラブソングである。そして、ヒットへ向けて答えの出ないプロモーション行脚がはじまった。スーツケースで17泊、地方の新聞社、テレビ&ラジオ局を転々とするなど暗中模索の時期である。
残念ながら当時でのブレイクへは至らなかったが、時を経た2024年、コンサートツアー『TM NETWORK 40th FANKS intelligence Days ~STAND 3 FINAL~』にて、アレンジを一新、リプロダクションした「アクシデント(ACCIDENT)」が後半一番の盛り上がりに披露された。こうしてリベンジを果たしたことは、TM 40年間のヒストリーにおいて大きな意味を持つ展開となった。本作は小室曰く、1985年当時「生楽器の暖かさとシーケンサーの正確なリズムが融けあったサウンド」(スコア集『VISION MELODIES』より)という、TKならではのヒットの真髄をこれでもかと集約したナンバーだったのである。
TMならではのライヴ・エンタテインメントの原型
アルバム『CHILDHOOD’S END』に収録され、後に12インチシングルでもリリースする初期人気チューン「DRAGON THE FESTIVAL」。本作で小室は、プログレッシブ・ロックのダイナミズムをサウンドでイメージし、歌詞では南米探検、黄金郷を求めアマゾンを彷徨う冒険家を主人公とした。映像を想起させるサンプリングは、ロキシー・ミュージックにいたブライアン・イーノを意識したもの。歌詞世界の音楽への没入感を高めるダイナミックな手法を具現化していく。
小室は当時、音楽誌『PATi▶PATi』にて未来小説「Electric Prophet」を連載していた。舞台は22世紀、建築家デューク・ファーナム、謎の東洋人シルバー、ロックミュージシャンのテディ・ランドルというキャラクターが登場する。誰にでもある運命的な出会いをテーマとしたという物語は、9月27日から11月27日にかけて行われた全国ツアー『DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK』のコンセプトにも通じたものだ。
アーティスティックなデザインに富んだツアーパンフレットでは、『IN TM BLOOD』として、“ぼくらはとてもヒューマンな街に住んでいる。ぼくらが暮らしているのは海底都市だ”という書き出しからSFライクなイントロダクションが描かれた。後のTMの30周年プロジェクト、そして40周年へもつながるブレないTM節だ。
驚くべきは、このツアーで当時日本初となる3トンに及ぶ大規模なムービングトラスを導入したことだ。大量の照明を円形につなげてステージ上空に吊るすことで、円盤型の宇宙船のようなタイムマシーンを表現した。サポートメンバーには、FENCE OF DEFENSEの山田亘(D)、西村麻聡(B)、のちにB’zを結成する松本孝弘(G)らが参加していたことから、TMならではのライヴ・エンタテインメントの原型が誕生している。
本公演において、TM NETWORKは、22世紀からタイムマシーンでステージに降りてきた未来人という設定であり、それは学術調査のために1985年にタイムスリップし、20世紀の世界へ文化的影響を与えることを示唆していたという物語のプロットとなっていた。この設定は、2012年4月に日本武道館で行われた『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』公演にもリンクしていく。なお、木根によるパントマイムなライヴパフォーマンスは、ハワード・ジョーンズの来日公演からの影響があったそうだ。
アルバム『CHILDHOOD’S END』の制作においては、SF的世界観と現実的世界観に揺れる葛藤があった。しかし全国ツアー『DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK』の成功でコンサートでの表現手法を得たことによって、これがTMの発展的なターニングポイントになるのだった。
アニメとのコラボレーション=ポップカルチャー開拓者としての先進性
1985年11月28日、ミニアルバム『TWINKLE NIGHT』のリリースもTM史においてはエポックなニュースだ。クリスマス向けのアルバムとして作られ、26歳の小室にとって初めての映画音楽担当作品となる、オリジナルビデオアニメーション『吸血鬼ハンターD』のサウンドトラックと並行して制作が進められた。当時、EPIC・ソニーにはアニメをビジネスにするノウハウが無かったため、TMや小室をプロモーションすること前提で企画を立案したのだ。これが結果的に現アニプレックスへと繋がる、ソニーミュージックにおけるジャパニメーションとアーティストのコラボレーションのはじまりとなった。まさにTM NETWORKによる、ポップカルチャー開拓者としての先進性のあらわれである。
『TWINKLE NIGHT』に収録された「ELECTRIC PROPHET (電気じかけの予言者)」は、TM NETWORKの歴史を語る上で欠かせない最重要ナンバーのひとつだ。小室曰く、本作はT・レックスからの影響が強かったという。基本3コード、E,F♯,Bで進んでいく展開。歌詞を書いた際、小室は「TMはいつの日か旅をしてまたこの曲の3コーラス目の主人公に戻っていくのではないかという気がしています」という発言を残している(スコア集『VISION MELODIES』より)。そう、実は21世紀への帰還は当時から描かれていたものだったのだ。憧れと夢が込められた、想いの強い語り口調の歌詞世界がドリーミーかつ金色の夢を艶やかに泳いでいく。
こうして、ランディング期間となったTM NETWORKの幼年期は終わりを告げた。今から振り返ると、1985年とはTM史にとって挑戦の日々となった、とても重要な年だったように思う。
1986年、FANKS(FUNK+PUNK+FANS)の発明
初の全国ツアー『DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK』の成功体験を経たTM NETWORKは、コンサート会場でダンサブルにライヴを楽しむファンからの影響を強く受けた結果、新たなヴィジョンとして造語による定義=FANKS(FUNK+PUNK+FANSを語源としたもの)を打ち出した。
TM NETWORKによる、幅の広い音楽ジャンルをFANKSと定義したのだ。
ファンクを、踊れるダンサブルなサウンドとして解釈し、ユニットの指向性として固定観念を常に壊し続けるパンキッシュなスピリットが込められている。さらに、それらを愛するファンを総括するファンネーム=FANKSへと昇華したのだ。ファンを巻き込んだ結束力こそが、現在でいうファンダムを生み出し、TMを以降のブレイク期へと導いたのである。
1986年、自ら提唱した音楽ジャンル=FANKSを具現化した新生TM NETWORKによるアルバム『GORILLA』は、シンセやサンプリングではない生音のホーンセクションを多用することで派手さと力強さを打ち出した。EPIC・ソニーの小坂が命名したという、TMらしくないワイルドなタイトルにもそんな思いがあらわれている。しかしながら、作詞では、全面的に女性作詞家をあえて起用しているというバランス感覚も、2024年というジェンダーギャップが重視される時代から振り返ると興味深い。
転機は、1986年4月にリリースした先行シングル「Come on Let’s Dance(This is the FANKS DYNA-MIX)」で訪れた。ブラックミュージックならではの16ビートのカッティングにシーケンスを重ね合わせた新たな方向性が、幸運の女神の前髪を掴むことになる。
本作が収録された3枚目のアルバム『GORILLA』は、ファンク、ソウル、モータウン、ディスコサウンド、ヒップホップを取り入れた作品性ながらも、小室哲哉は事前にほとんどの音色をNEC-9800によってパート別にフロッピーディスクでデモ音源を制作していた。ドラムパートはすべてドラムマシンのサンプリングであり、キーボード、ギター、ボーカルのパートは鍵盤での手弾き、コーラスは全パートをTMの3人のみでマルチトラック・レコーダーを駆使して制作したという。まだコンピューター黎明期だった時代。アイディアに富んだレコーディング手法へのチャレンジが、後の打ち込みサウンド全盛となる時代を先取りしていたのだ。
こうして完全に打ち込みによるデモ音源を作りながらも、レコーディング本番では、ドラムに青山純、ベースに伊藤広規、ギターに佐橋佳幸といった山下達郎バンドでも知られるメンバーが参加。そしてFENCE OF DEFENSEのギタリスト北島健二、トランペットに兼崎順一(元スペクトラム)、サックスにレニー・ピケット(元タワー・オブ・パワー)、コーラスには渡辺美里などが加わり、豪華メンバーによって音が差し替えられていく。肉体的なロックサウンドとして、ライヴ感ある盛り上がりに力が注がれていったのだ。
『GORILLA』収録曲のなかでも注目したいのが、当時としては画期的なラップチューン「PASSENGER 〜a train named Big City〜」だ。16部音符が羅列される複雑な構成のなか、イントロではLAのラッパーを、そしてエンディングではイギリス・ブリストルのラッパーをフィーチャー。当時無名だったブリストルの若者は、デザイナー菊池武夫のファッションショーへの出演のためにネナ・チェリーとともに来日していたワイルド・バンチ(ダディ・G、DJ Milo、ネリー・フーパー、ロバート・デル・ナジャ(3D))のメンバーであり、後に世界的に有名になるマッシヴ・アタックへと発展していくことになる。その後、ビョークのプロデュースを担当する音楽プロデューサー、ネリー・フーパーは、本作でワンフレーズ、キーボードでも参加していた。80年代初頭のTM NETWORKが海外と接点を持ち、同時代的に世界とシンクロしていたことを裏付けるナンバーと言えるだろう。
そしてターニングポイントとなったのが、1986年8月23日。よみうりランドEASTで行われた初の屋外コンサート『TM NETWORK FANKS "FANTASY" DYNA-MIX』だ。「FANKS」を冠にして、ダンサブルかつエネルギッシュなステージを展開することでファンタスティックな“真夏の夜の夢”を表現した素晴らしいロックショー。しかも、オープニングを飾った1曲目は、新曲「All-Right All-Night(No Tears No Blood)」。当時は未発表曲であり、ライヴ前日に仮の歌詞ができたという曲をプロトタイプとして披露した。常に新たな謎を投げかけ、次作へのキーワードを隠しコマンドのごとく伏線として張り巡らすストーリーテリングは、考察しがいのあるTMらしいライヴ・エンタテインメントの演出手法となった。
こうして、1986年を駆け抜けたTM NETWORKはブレイクへ向けて大きな舵をきったのである。
TMを象徴する代表曲、「Self Control(方舟に曳かれて)」
シアトリカルな物語性と、ジャンルを超越したダンサブルかつポップなサウンド。TM NETWORKによる最初の到達点は、1987年2月26日にリリースした4thアルバム『Self Control』であった。
アルバムのブックレットには、“踊ると叫ぶは自己表現の原点である。気持ちの赴くままに踊り、叫ぶことでカタルシスは得られる。自分で自分を押さえ込まないで。あらゆるものは何かにコントロールされているけど、僕らは君のSelf Controlからの解放のために本作を贈ります”という趣旨で英語のメッセージが書かれていた。これまでのTM史を一新する本作のテーマは“全曲新曲でのベスト盤”という発想だ。勝負を賭けた作品であり、タイトルナンバーの「Self Control(方舟に曳かれて)」は、最もTM NETWORKらしいナンバーで、TMを象徴する代表曲となった。
1987年6月24日に日本武道館で開催された一夜限りのコンサート『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』も、前年のよみうりランドEAST公演に引き続きターニングポイントとなる大切なライヴとなった。それは、TM NETWORKというアーティスト像の完成形である。
ヒーロー像を醸し出しダンサブルに歌うボーカリスト宇都宮隆、たくさんのシンセ&キーボードが積み上げられた祭壇に立つ司祭である小室、せつなさや親しみやすさをパフォーマーとして表現する木根。そして、踊り叫ぶことで自己表現する観客であるFANKSといったオーディエンスとアーティストを紡ぐネットワークの妙。大音量のサウンドに洪水のようなライティング。さらに、次の展開へのキーワードとなる謎めいた“バトン”の存在が気になった。
そう、ついに、TM NETWORKが時代の波に乗った瞬間だ。
本公演では、アルバム『Self Control』から披露された木根作曲のバラードナンバー「Fool On The Planet(青く揺れる惑星に立って)」の存在も大きかった。ファンの間で、木根作品のバラードは通称“キネバラ”と呼ばれ親しまれているが、実は、木根の作曲能力について小室はTMデビュー前から大きく評価している。
「Fool On The Planet(青く揺れる惑星に立って)」において木根は、1970年代の洋楽で人気だった“8分の6拍子”の作品を志向し、ここに小室による3連符を意識したアレンジ、宇都宮によるピュアネスに富んだ歌唱が加わることで、ファンタジックかつドラマティックな楽曲へと仕上がっていった。ここにTM NETWORK3人による至宝のトライアングルが完成するが、特筆すべきはコーラスワークだ。打ち込みやシンセポップのイメージが強いTMだからこそ、温かみあるコーラスをメンバー3人で歌うことにこだわってきた。こうしたアレンジやコーラスワークには、クイーンや、「アイム・ノット・イン・ラヴ」のヒットで知られる10ccの影響が強いという。
TM作品を数多く手がける作詞家・小室みつ子による歌詞世界、いわゆる、“周りにいる他人と違う事を言ったり、考えたりする変な奴を侮らずに温かく見守ろう。変な奴の考えや夢が、いつか本当になるかもしれない。不可能と思えることを現実にしてきたのは、夢を抱えてそれをあきらめなかった数え切れない変な奴達だから”、という意味を持つ“Fool”を主題としたリリックが持つメッセージ性あるパワー。歌詞を読みながら、メロディーを口ずさみながら聴いてほしいTM史上最高峰のバラード、それが「Fool On The Planet(青く揺れる惑星に立って)」なのだ。
また、もうひとつ忘れてはならないのがシングル「Self Control(方舟に曳かれて)」のミュージックビデオである。のちに映像作品『Self Control and the Scenes from “the Shooting”』としてリリースされた本作は、TM初期プロジェクトの最重要スタッフ、EPIC・ソニーの坂西伊作監督によって、ディストピアに荒廃した社会を背景に子どもたちがナンバリングされ笑顔を奪われ、それを取り戻すためのSF物語としてショートムービー化。TM NETWORKが結成時から構想していた音楽と映像の融合の完成形となった瞬間である。
大ヒットナンバー「Get Wild」が後年にもたらした影響
ついにヒットへの追い風が吹いてきた1987年。4月8日には、国民的ヒット曲となるシングル「Get Wild」もリリースされた。
TVアニメ『シティーハンター』エンディングテーマである本作。その人気は、1987年のリリース以後も、昭和〜平成〜令和の時代を越え、海外も含めて高いレベルの認知度を誇り、2023年9月にはオリジナル版「Get Wild」が再びエンディングテーマに起用された映画『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』が大ヒット。さらに、2024年4月25日にはNetflixで実写ドラマ版『シティーハンター』も全世界公開される。本作では、TM NETWORKによる新録楽曲となる「Get Wild Continual」が主題歌となる。
そもそも「Get Wild」とは、アニメ制作サイドから“疾走感ある都会的なサウンド”を求められ、かつ劇中のエンディングシーンに合わせてうまくフェードインできるように、イントロが二段階で流れ出す構成を求められたという。こうして小室が具現化したサウンドと、映像が溶け合うドラマティックな発明と言える「Get Wild」は、後のアニメ演出にも大きな影響を与えることになった。そして大人も楽しめるアニメ主題歌のパイオニアとしても、「Get Wild」は時代を超越して歌い継がれている。
なお、「Get Wild」のビートを牽引するベースサウンドは、シンセサイザーYAMAHA DX7用の音源を、ユニゾンで鳴らしたものであり、小室がリアルタイム入力でNEC PC-98のCOME ON MUSICレコンポーザに打ち込んだものだ。弦ベースを使わなかったのは、当時人気だったユーロビート・サウンドの影響があったという。ゆえに、ベーシストが手弾きするのは困難であり、OKAMOTO’Sの敏腕ベーシスト、ハマ・オカモトですら演奏する際に「難しい!」とラジオ番組で評価していた逸話がある。
海外に負けない音作り、ワールドワイドなスタンスを持った作品の確立
勢いは止まらない。なんと、TM NETWORKは1987年にオリジナルアルバムを2枚リリースしている。しかも途中、シングル「Get Wild」や初のベストアルバム『Gift for Fanks』のリリースや2度のツアーを挟むという、驚異的な制作スケジュールだ。だが、この集中展開がTM NETWORKを世に知らしめることになる。11月11日リリース、初の海外レコーディングとなった5枚目のアルバム『humansystem』のオリコンチャート1位獲得へと結実したのだ。
TM NETWORKが結成時から構想していた、海外に負けない音作り、ワールドワイドなスタンスを持った作品、それが『humansystem』なのである。しかも、アルバムのリリース直前からスタートした最大規模となる全国ツアー『Kiss Japan TM NETWORK Tour ’87~’88』は、なんと全国40会場で全53公演を開催。さらに、翌年にはより踊れるセットリストへと一変した『KDD 001 - NETWORK LIVE ’88 KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX TM NETWORK ARENA TOUR』を8会場全13公演、ダンサブルな内容で駆け抜けていったのだ。
アルバム『humansystem』において、最も注目したい楽曲は、10月1日に先行シングルとしてリリースした「KISS YOU ~世界は宇宙と恋におちる~」である。小室は本作について「トレヴァー・ホーンがアナーキーになった感じで、デュラン・デュランのジョン・テイラーがパワー・ステーションを、"シックとセックス・ピストルズとハード・ロックの融合"を目指したコンセプトで作った」(ムック『TM NETWORK 30TH ANNIVERSARY SPECIAL ISSUE 小室哲哉ぴあ TM編』より)と、独自の感性で表現。ラップ、R&Bの要素を織り交ぜた先鋭的な作品となった。
大ヒットした「Get Wild」の次のシングルでありながらも、実験性の強いラップ曲をアルバム先行シングルとして敢えてリリースし、そしてアルバムではさらにロック色強めにアレンジを加えていくという挑戦的な姿勢は、のちのTM NETWORKの変幻自在な、アグレッシブな表現手腕へと火をつけることになった。
本作は、当時最新鋭のデジタル機材を取り入れ、ロサンゼルスと東京でレコーディングされた。マライア・キャリーやエリック・クラプトンら、数々の有名アーティストを手がけている世界的に著名なミック・グゾウスキーや、当時ロサンゼルス最大のマスタリングスタジオであったバーニー・グランドマン・マスタリングでバーニー・グランドマン自身がエンジニアとして参加し、ドラマーにはアヴェレイジ・ホワイト・バンドのスティーヴ・フェローン。ギターに、フランク・ザッパやミッシング・パーソンズ、デュラン・デュランのギタリストとして知られたウォーレン・ククルロなどとコラボレーションしたことは、ガラパゴスな音楽シーンにおいて刺激的だった。
アルバム『humansystem』のテーマは、“機械と人間の融合”であり、“人間関係”を主題とした曲が収録されている。初期TM NETWORK完成形と言える本作を振り返ると、現在でいうところのAIやSNSなど、今の時代にこそ通じるコンセプトワードや、社会的な課題が折り重なってくるからおもしろい。
こうしてTM NETWORKは、1987年に音楽トレンドの中心地であるLAレコーディングを経て、1988年、ついに憧れだったロンドンでの長期レコーディングへとコマを進めていく。このとき目指していた目標は、間違いなく世界だったのだ。
(【Part3】に続く)
Discography
ディスコグラフィー[1985-1987]
シングル
アクシデント(ACCIDENT)
《収録内容》1. アクシデント(ACCIDENT)
2. FANTASTIC VISION
アルバム
CHILDHOOD'S END
《収録内容》1. CHILDHOOD'S END
2. アクシデント(ACCIDENT)
3. FAIRE LA VISE
4. 永遠のパスポート
5. 8月の長い夜
6. TIME
7. DRAGON THE FESTIVAL
8. さよならの準備
9. INNOCENT BOY
10. FANTASTIC VISION
11. 愛をそのままに
シングル
DRAGON THE FESTIVAL (ZOO MIX)
《収録内容》1. DRAGON THE FESTIVAL(ZOO MIX)
2. 1974(CHILDREN'S LIVE MIX)
ビデオ
VISION FESTIVAL (journey to saga)
《収録内容》1. THEME[MV]
2. 1974[MV]
3. QUATRO
4. PANORAMAGIC
5. RAINBOW RAINBOW
6. JUST FOR YOU AND ME NOW
7. TAKE IT TO THE LUCKY
8. ELECTRIC PROPHET
9. DRAGON THE FESTIVAL[MV]
10. ACCIDENT[MV]
11. CHILDHOOD'S END[MV]
シングル
YOUR SONG ("D"Mix)
《収録内容》1. YOUR SONG("D"Mix)
2. YOUR SONG(Special Instrumental Disco Mix)
ミニアルバム
TWINKLE NIGHT
《収録内容》1. YOUR SONG(TWINKLE MIX)
2. 組曲 VAMPIRE HUNTER D
3. TWINKLE NIGHT(あるひとりのロマンティストの生誕)
4. ELECTRIC PROPHET(電気じかけの予言者)
シングル
Come on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)
《収録内容》1. Come on Let's Dance(This is the FANKS DYNA-MIX)
2. You can Dance
3. Come on Let's Dance(The SAINT MIX)
アルバム
GORILLA
《収録内容》1. GIVE YOU A BEAT
2. NERVOUS
3. PASSENGER
4. Confession ~告白~
5. You can Dance
6. I WANT TV
7. Come on Let's Dance
8. GIRL
9. 雨に誓って ~SAINT RAIN~
10. SAD EMOTION
シングル
GIRL
《収録内容》1. GIRL
2. 雨に誓って ~SAINT RAIN~
シングル
All-Right All-Night (No Tears No Blood)
《収録内容》1. All-Right All-Night(No Tears No Blood)
2. All-Right All-Night(Instrumental Mix)
ビデオ
FANKS "FANTASY" DYNA-MIX
《収録内容》1. OVER THE RAINBOW
2. ALL-RIGHT ALL-NIGHT(NO TEARS NO BLOOD)
3. FAIRE LA VISE
4. RAINBOW RAINBOW
5. 雨に誓って ~SAINT RAIN~
6. ACCIDENT
7. DRAGON THE FESTIVAL
8. GIVE YOU A BEAT
9. NERVOUS
10. COME ON LET'S DANCE
11. YOU CAN DANCE
12. ELECTRIC PROPHET
13. OVER THE RAINBOW
シングル
Self Control (方舟に曳かれて)
《収録内容》1. Self Control(方舟に曳かれて)
2. Self Control(Instrumental Mix)
アルバム
Self Control
《収録内容》1. Bang The Gong(Fanks Bang The Gongのテーマ)
2. Maria Club(百億の夜とクレオパトラの孤独)
3. Don't Let Me Cry(一千一秒物語)
4. Self Control(方舟に曳かれて)
5. All-Right All-Night(No Tears No Blood)
6. Fighting(君のファイティング)
7. Time Passed Me By(夜の芝生)
8. Spanish Blue(遙か君を離れて)
9. Fool On The Planet(青く揺れる惑星に立って)
10. Here, There & Everywhere(冬の神話)
シングル
Get Wild
《収録内容》1. Get Wild
2. Fighting(君のファイティング)
ベストアルバム
Gift for Fanks
《収録内容》1. Get Wild
2. Come on Let's Dance(This is the FANKS DYNA-MIX)
3. PASSENGER
4. YOUR SONG("D"MIX)
5. DRAGON THE FESTIVAL(ZOO MIX)
6. 1/2の助走(Just For You And Me Now)
7. 愛をそのままに
8. Confession ~告白~
9. RAINBOW RAINBOW(陽気なアインシュタインと80年代モナリザの一夜)
10. 1974(16光年の訪問者)
11. 8月の長い夜
12. NERVOUS
13. You can Dance
14. Self Control(方舟に曳かれて)
ビデオ
Self Control and the Scenes from “the Shooting”
《収録内容》1. Bang The Gong
2. Self Control
3. Time Passed Me By
4. Spanish Blue
5. Here, There & Everywhere
シングル
KISS YOU ~世界は宇宙と恋におちる~
《収録内容》1. KISS YOU ~世界は宇宙と恋におちる~
2. SELF CONTROL ~VERSION "THE BUDOHKAN"~
アルバム
humansystem
《収録内容》1. CHILDREN OF THE NEW CENTURY
2. KISS YOU("MORE ROCK")
3. BE TOGETHER
4. HUMAN SYSTEM
5. TELEPHONE LINE
6. LEPRECHAUN CHRISTMAS
7. FALLIN' ANGEL
8. RESISTANCE
9. COME BACK TO ASIA
10. DAWN VALLEY(Instrumental)
11. THIS NIGHT
Chronology
活動年表[1985-1987]
1985.5.22 | シングル アクシデント(ACCIDENT) |
---|---|
1985.6.21 | アルバム CHILDHOOD’S END |
1985.7.21 | シングル DRAGON THE FESTIVAL(ZOO MIX) |
1985.8.25 | ビデオ VISION FESTIVAL(journey to saga) |
1985.9.27 〜11.27 | ライヴ・コンサート DRAGON THE FESTIVAL TOUR featuring TM NETWORK(コンサートツアー/8会場全8公演) |
1985.11.1 | シングル YOUR SONG("D"Mix) |
1985.11.28 | ミニアルバム TWINKLE NIGHT |
1986.4.21 | シングル Come on Let’s Dance(This is the FANKS DYNA-MIX) |
1986.6.4 | アルバム GORILLA |
1986.6.10 〜7.18 | ライヴ・コンサート TM NETWORK TOUR ’86 FANKS DYNA☆MIX(コンサートツアー/14会場全15公演) |
1986.8.23 | ライヴ・コンサート TM NETWORK FANKS "FANTASY" DYNA-MIX(単発コンサート/よみうりランド オープンシアターEAST) |
1986.8.27 | シングル GIRL |
1986.11.21 | シングル All-Right All-Night(No Tears No Blood) |
1986.12.1 | ビデオ FANKS "FANTASY" DYNA-MIX |
1987.2.1 | シングル Self Control(方舟に曳かれて) |
1987.2.26 | アルバム Self Control |
1987.3.10 〜5.2 | ライヴ・コンサート TM NETWORK TOUR ’87 FANKS! BANG THE GONG(コンサートツアー/22会場全24公演) |
1987.4.8 | シングル Get Wild |
1987.6.24 | ライヴ・コンサート TM NETWORK FANKS CRY-MAX(単発コンサート/日本武道館) |
1987.7.1 | ベストアルバム Gift for Fanks |
1987.8.1 | ビデオ Self Control and the Scenes from “the Shooting” |
1987.10.1 | シングル KISS YOU ~世界は宇宙と恋におちる~ |
1987.11.9 〜 1988.2.26 | ライヴ・コンサート Kiss Japan TM NETWORK Tour ’87~’88(コンサートツアー/40会場全53公演) |
1987.11.1 | アルバム humansystem |
Interview
キーパーソンインタビュー
山口三平 (元 TM NETWORK ディレクター)
TM NETWORKの活動を長きに渡り見つめてきた人物たちに話を聞くキーパーソンインタビュー。今回登場するのは、かつてTMが最初のブレイクを果たした札幌でのプロモーション担当者であり、1985年以降はEPIC・ソニーのTM担当ディレクターとして活躍した山口三平。同世代であったメンバー3人に寄り添い、数ある名作のレコーディングに立ち会ってきたディレクターが当時の思いを振り返る。
「会ってみたら驚くほどいい人たちで、失礼ながら同級生みたいな感覚を持った記憶があります」
── まず、TM NETWORKとの出会いから聞かせてください。
山口 TMがデビューした時、私はCBS・ソニーの札幌営業所というところにいまして、そこでEPIC・ソニーの邦楽/洋楽両方の宣伝担当を1人でやっていたんです。なので、彼らとの最初の出会いというと、「こういうバンドがデビューするよ」と見聞きするところからになるんですけど、写真を見て“ビジュアルが派手だな”というのが第一印象ですね。音の印象もそれと合っていて、カラフルだなっていう。
── 実際に3人に会うまでの経緯や、3人に会ったときの印象はどのようなものでしたか。
山口 当時、EPIC・ソニーの東京本社でTMの宣伝担当をやっていた坂西伊作から連絡があったんです。2ndシングル「1974(16光年の訪問者)」を出すタイミング(1984年7月)で、北海道を重点的に攻略することに決めました、と。予算もこれくらい用意しましたという話で、だから、単にEPICの1アーティストを札幌にお迎えして初めて会うという形とはちょっと違う、特別な存在として会うことになったので、頑張るぞっていう気持ちがすごくありました。これは前情報で知っていましたけど、宇都宮さんと木根さんは私と同い年で小室さんが1つ下なんです。おまけに会ってみたら驚くほどいい人たちで、失礼ながら同級生みたいな感覚を持った記憶があります。
── ちなみに、その「北海道重点攻略作戦」の結果はどうだったんですか。
山口 当時の北海道のマーケットサイズというのは、通常は全国売り上げの5パーセントくらいだったんですが、その作戦の結果、最高で全国の50パーセントを売り上げたんです。大成功でしたね。
「1974(16光年の訪問者)」
1984年7月21日発売
「『GORILLA』のレコーディングは“面白かった”という印象しかないんですよ」
── そういうことがあった後に、TMの制作担当になられたわけですね。新人制作マンだった山口さんが、TM NETWORKのレコーディング現場を初めてご覧になったとき、学びとして感じていたものや印象に残っている出来事、場面はありますか。
山口 最初に関わったのは2ndアルバム『CHILDHOOD’S END』(1985年6月リリース)でしたが、この時は制作の一番最後のタイミングからでしたので、詳しく見ているのはミニアルバムの『TWINKLE NIGHT』(1985年11月リリース)からですね。あの時は小室さんも試行錯誤していたのかなあ……やや迷いの時期の制作プロセスというか、私も“こういうことがあるんだ、仕上げるのは大変だな”という印象で見ていたのを覚えています。その後、3枚目のアルバムの『GORILLA』からガラッとやり方が変わって、小室さんが考える新たな制作手法の実現を、私も含めたスタッフがアシスト出来ている感覚がありました。
── やり方がどんなふうに変わったんですか。
山口 小室さんから、自分の電子的なものと生のミュージシャンを組み合わせた音楽を作ってみたいんだという話があって。それまでのTMでも生音がちょっとずつ入ったりはしていたんですけど、あまりやっていなかったんですよ。今度のアルバムでは全面的にミュージシャンを使って、例えば小室さんが打ち込んだドラムを生に差し替えようとか、ギターをもっと入れよう、ホーン・セクションも入れようと。そうなるとミュージシャンのブッキングはどうしようか、こういう順番がいいんじゃないかみたいな話もみんなでできるので、エンジニアの伊東俊郎さんも含めて、そういう相談をしながら作っていきました。
── その新しい方向性のベースにある考えを小室さんが話されることはありましたか。
山口 全体的な考えとしての何かといったことは記憶にないんですが、小室さんは「自分のものに人の力を加えてみたい」っていうことを……それは人間の力という意味ではなくて、自分以外って意味ですけど、そういうことをおっしゃっていて。そういう実験をしていたんだと思います、『GORILLA』では。
── そういうふうにTMの音楽作りが変化していくなかで、小室さんが宇都宮さんに求めるもの、小室さんが木根さんに求めるもの、あるいはそれぞれの関係性について何か変化が生まれたように感じることはありましたか。
山口 まず宇都宮さんに関しては、歌がより難しくなっていったので、すごく大変だったと思います。求められるものが自動的にすごく大きくなっていって、そこにどうやってチャレンジして完成させるかというところを、エンジニアの伊東さんと一緒にすごく緻密にやってましたよね。木根さんについては、そういう作り方になって小室さんの曲調もちょっとずつ変わってきてはいたので、曲作りで頼られる部分がより大きくなったんじゃないでしょうか。木根さんの、特にバラードっていうものは大事な役割を担うようになっていって。そこにどういう会話があったかはわかりませんけれども、人がグッとくる要素を作ってほしいんだっていうのは、明らかにその役割が重要になった感じですね。
── ガラッとやり方が変わっていったという『GORILLA』のレコーディングを振り返って、印象に残っている場面はありますか。
山口 “面白かった”という印象しかないんですよ。多分、小室さんもいろんな発見をしながらだったと思うんですけど、当時の宣伝担当だった坂西伊作は、その新しい形での音源が出来上がっていくたびに「哲ちゃん、いいよ!」って言っていました。伊作はヨイショとかが絶対できない人だから本気でそう言って踊ってるんですよ(笑)。小室さんも、それはひとつの指標にしていたというか、勇気づけられたところはあったと思いますね。
── 小室さんが後にダンス・ミュージック的な方向に進んでいった背景を考えたとき、当時の時代の気分として「みんなで踊りたい」「みんなで楽しく盛り上がりたい」というような空気を感じていたということもあるんでしょうか。
山口 どうでしょう? 当時、そうじゃない音楽ももちろん多くありましたが、そのなかでTMが輝く道として、その方向がいいと私も感じたし、伊作はもっと強く感じたかもしれないし。小室さんも、それを試行錯誤のなかで見つけたのか、確信的に見つけていったのかはわからないですが、いい道を見つけた……その最初だったような気がします。これは誰が見てもそうだと思うんですけど、『GORILLA』というアルバムは大きな転換点であり、再スタートのポイントだったんじゃないでしょうか。
「『Self Control』はもう、作ってる最中に“洗練度が全然違うな”と思ってましたよね」
── 小室さんが渡辺美里さんの「My Revolution」(1986年1月リリース)を作曲して、それがヒットしたことも転換点のひとつだったと思いますが、制作に臨む小室さんの近くにいて、その前後で何か変化を感じることはありましたか。
山口 その頃、16分音符に言葉を乗っけるということをTMと渡辺美里さんとで同時多発的にやったところがあると思うんです。もちろん、美里さんのほうは(EPIC・ソニー)小坂洋二さん主導でしたが、TMに関しては小室さん主導でそれを作り上げていました。作詞は小室みつ子さんが手がけることが多かったけれども、小室(哲哉)さんも自分でも書きつつ。とにかく、それまでの日本の音楽になかなかなかった形の、16分音符の1個1個に音を乗っけるというものが始まったという意味では、すごく大きな違いが生まれたと思いますね。
── 「My Revolution」でヒットというものを経験して、翌年のTMのアルバム『Self Control』(1987年2月リリース)に向かう時点では“売れるアルバムを作らなきゃいけない”という意識がいよいよ強くなっていたんじゃないかと想像するんですが、制作現場はどんな感じだったんですか。
山口 私が一緒の場にいて思っていたのは、曲作りや言葉の乗せ方も含め、『GORILLA』で始めた新しい音の作り方をより洗練させていくアルバムだったなということです。その制作過程も「ここはこう打ち込みで作っておいて、このタイミングでここをこう差し替えて」とか、『GORILLA』の手法を引き継ぎながら、よりスムーズにできるようになっていたんですよ。『GORILLA』の音がゴツゴツしているのに対して、『Self Control』ではすごく洗練された音になっていると思うんです。で、そのさらに延長上に『humansystem』(5thアルバム/1987年11月リリース)がある。より売れるものを作らなきゃいけないっていう、商業的な側面のことも考えていたかもしれないけれど、それにしてもやることに迷いはなかった気がしますね。
── 『GORILLA』で取り組んだ新しいやり方に、『Self Control』ではもう確信を持っていた、と。
山口 そうです。私自身は、『GORILLA』から『humansystem』までの3枚を「3部作」だと思ってるんです。その次の『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』(6thアルバム/1988年12月リリース)も、実は音源の作り方の手法としてはそれまでの3枚で作り上げたものと同じだったんです。そこに、いろんな表現を含めた総合的なものを作るというコンセプトが合体したことで新たな次元に行ったんだと思います。『CAROL』に関してはイギリスのミュージシャンを起用した結果、そこでまた違うものが出てきたかも知れませんが、音の作り方という意味では『humansystem』までで完成したと思います。
── 小坂洋二さんは、『humansystem』のレコーディング中に“これはいいかもしれない”という手応えを感じられたそうですが、そういう意味で、つまりヒットという物差しで見た時に、山口さんが“これはいい!”と思ったのはどの時期でしたか。
山口 『Self Control』はもう、作ってる最中に“洗練度が全然違うな”と思ってましたよね。『GORILLA』で始めたものがサウンド的に洗練されて、より聴きやすく、より受け入れられやすくなってるなって。
── 『CAROL』は、それ以前の3部作で完成された音の作り方に総合的なコンセプトが合体した作品だ、という話がありましたが、そうした言わば総合芸術的な作品を目指すという構想を、小室さんがはっきり言葉にして説明するような場面はあったんでしょうか。
山口 ありました。インパクトがありましたね。“すっごいなあ。そんなことを考えてるんだ”と思いましたよ。あれは『humansystem』を出した後のツアー中、福岡のコンサートの終了後に「ちょっと来てくれ」ということで小室さんから呼び出されたんです。小坂さんと私と伊作とで出かけていって、その話を聞いたと思います。
「カッコいいおじいちゃんになって続けてほしいなと思います」
── 「Get Wild」のヒットについても聞かせてください。あのシングルを出したタイミング(1987年4月8日)は、これらのリリース・ラッシュの最中でした。
山口 ここまで後世に残るものになるとは誰も予想していなかったと思いますが(笑)、当時タイアップは欲しいものだったし、西岡明芳さんという方がすごくいいタイアップを取ってきてくれたので、「とにかく、やろうよ」という雰囲気だったと思います。
── 「Get Wild」が出来上がった時、当事者の皆さんの感覚として、例えば“会心の一曲ができた “というような感覚はあったんでしょうか。
山口 それはあったかな。さっきお話しした3部作の流れとも違っていて。そこからいい意味で抜けてるというか、はみ出てるんですよ、あの曲は。小室さんも、新しいことをやらないと気が済まないから……六本木のSEDICスタジオでレコーディングしていたんですけど、私や伊作を呼んで途中経過の音を聴かせてくれたんです。で、「気づいた? ドラムは2、4にスネア叩いてないんだよ」って。「カッコいいでしょ。それで、これだけドライブしてるんだよ」と自慢していました(笑)。今でもよく言われている話ですが、あの曲って2拍目、4拍目にスネアドラムが入っていないんですよね。その形でビートを作るっていうのに、小室さんはチャレンジしたかったみたいで。それも特別な曲になった理由のひとつかなと思いますね。
── なかなかうまくいかなかった時期を経て、ヒットが生まれたその頃、3人それぞれの様子や関係性に何か変化を感じたことはありましたか。
山口 宇都宮さんがどんどんカッコよくなっていきましたね。スター感が増したというか。自信がついた証じゃないかなと。
── 山口さんは、その後『EXPO』(8thアルバム/1991年リリース)までTMを担当されていたそうですが、その長い共同作業期間を振り返って一番嬉しかったこと、達成感を強く感じたことを教えてください。
山口 TMでは、かなりたくさんの曲を小室みつ子さんが作詞されていて、第4のメンバーじゃないですけども、それに近い役割ではあったなと思うし、そのクリエイティブも組み合わさったことで、いい曲だなと思うものがたくさんあったんです。そういうのがハマった時に、「やったな」と思えるんですよ。『GORILLA』もそうでしたし、「Self Control(方舟に曳かれて)」の歌詞を仕上げていった過程はすごく面白かったし。それは小室みつ子さんと小室哲哉さんのアイディアの交換みたいなことが中心なんですけれども、それがうまくいって出来上がった時とかはすごく、よかったなと思いましたね。
── 最後に、40周年を迎えた今後のTM NETWORKに対する期待すること、希望することは?
山口 カッコいいおじいちゃんになって続けてほしいなと思います。また、新たにいい曲も作ってほしいし。でも、昔のヒット曲を演奏して歌って、それを喜ぶ人たちがいるっていう場面も作ってほしいし。その両方ですね。
山口三平(やまぐち・さんぺい)
1957年生まれ。デビュー直後のTM NETWORKのプロモーションに貢献したCBS・ソニーレコード札幌営業所時代を経て、EPIC・ソニーにて1985年~1993年にかけA&Rを担当した。
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・記事の内容は1987年の当時のものです。
音楽雑誌『GB』1987年4月号を転載|CBS・ソニー出版(当時)=ソニー・ミュージックソリューションズ(現在)許諾|再録記事は発売当時に適したもので現在に該当しない内容も含まれています。ご了承願います。
『GB』1987年4月号表紙/photo by H・CANNO @cannosan
〜H.CANNO 「SORAe 空絵」写真展〜
https://shorturl.at/aEGL8