2024年3月号|特集 作詞家の世界

①橋本淳|レジェンド・ストーリー~名作詞家の世界

プレイリスト

2024.3.1

選曲・文/小川真一



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垢抜けた洋楽的なセンスとほのかな文学の香りで昭和の時代を彩る



 グループ・サウンズの歌詞は、花、森、お城、王子様といった少女の夢を体現したようだとよく言われるが、そのイメージを作り出したのが作詞家の橋本淳だ。グループ・サウンズの時代には、「バラ色の雲」(ヴィレッジ・シンガーズ)、「ガール・フレンド」(ジ・オックス)、「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)、「長い髪の少女」(ザ・ゴールデン・カップス)など多数のヒットを世に送り出した。その代表曲が、’67年にジャッキー吉川とブルーコメッツが歌った「ブルー・シャトウ」で、ブルーコメッツはこの曲で第9回日本レコード大賞を受賞している。

 橋本淳は’39年生まれ。父親は昭和の児童文学界を牽引した与田凖一。その子息として、北多摩郡三鷹町(現在の三鷹市)で育った。青山学院大学に在籍していた頃から、作曲家のすぎやまこういちの私設秘書のような仕事を始め、この縁で作詞を手がけるようになる。

 作詞家としての最初の仕事は、’65年に男性コーラス・グループのボニージャックスが歌った「ボンド小唄」(作・編曲すぎやまこういち)。同じく’65年に紀本ヨシオ「だから泣かないで」のB面曲「涙のギター」を作詞するが、この曲は後に尾藤イサオ、布施明、寺内タケシとブルージーンズなどによってカヴァーされていく。そして舞い込んだのが、ジャッキー吉川とブルーコメッツの初めてのヴォーカル曲「青い瞳」の英語歌詞だ。この曲は同じ橋本淳の作詞で日本語歌詞版が発売され、これが’67年の「ブルー・シャトウ」(作編曲井上忠夫)の大ヒットに繋がっていく。

 橋本淳といえば、やはり筒美京平との共同作品について語らないわけにはいかない。ふたりは青山学院高等部時代からの付き合い。一緒に仕事をするようになったのは、筒美がポリドール・レコードで洋楽のディレクターをしていた’66年に書いた、作曲家デビュー作の望月浩「黄色いレモン」だ。当時の筒美は会社勤めをしていたことから、すぎやまこういちの名義で発表された。

 この盟友といえるコンビの最初の大ヒットは、’68年にいしだあゆみが歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」。出だしから印象深い歌詞が続き、橋本淳がもつ歌詞の物語性が遺憾なく発揮されている。翌年末の日本レコード大賞では、筒美京平はこの曲で作曲賞を受賞した。

 橋本淳=筒美京平の名コンビの作品を挙げるのなら、「恋の追跡」(欧陽菲菲)、「誘われてフラメンコ」(郷ひろみ)、「初恋のメロディー」(小林麻美)、「愛の挽歌」(つなき&みどり)、「青いリンゴ」(野口五郎)、「ローマの奇跡」(ヒデとロザンナ)などヒット曲が数々と浮かんでくる。平山三紀の「真夏の出来事」「ビューティフル・ヨコハマ」「フレンズ」などの一連の作品や、「くれないホテル」(西田佐知子)、「愛なき夜明け」アウト・キャストといった隠れ名曲も忘れられない。橋本=筒美の作品は総数で550曲を超える。

 まさに60年代の半ばから80年代にかけての昭和の時代を彩った大作詞家だ。ウェットでありながらも垢抜けた洋楽的なセンスをもち、ほのかに文学の香りがする、これが橋本淳の作詞術であるのだ。




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