2024年3月号|特集 作詞家の世界

【Part1】小西康陽が語る「私が好きな作詞家たち」

インタビュー

2024.3.1

インタビュー・文/馬飼野元宏



 山上路夫をはじめ、往年の名作詞家たちの作品にはどのような魅力があるのか。そして、なぜ今もなお普遍的に輝き続けているのか。ここでその秘密に迫っていただくのは、元ピチカート・ファイヴの小西康陽。作曲家、アレンジャー、プロデューサーとしてはもちろん、作詞家としても高く評価されるだけあって、歌詞に関しても独自の見解を持っていることはよく知られている。彼がどのような歌詞に影響を受け、どのように自らの作品に反映してきたのか。小西自身がリストアップした敬愛する作詞家とお気に入りの歌詞のリストをもとに、じっくりと語っていただいた。


詩人は、もしヒット曲が生まれなかったとしても、詩人であり続けたんだろうなと思う


――本日は、小西康陽さんに歌謡曲やポップスの歌詞、そして、それを生み出す作詞家についてのお話をお伺いします。小西さんはご自身でも作詞をなさいますし、これまでも雑誌やラジオなどのメディアで、日本の作詞家、その作品についての言及をされてきました。今回は、小西さんがお好きな歌謡曲・ポップスの歌詞、そして敬愛する作詞家からどのような影響を受け、ご自身の作品を作っていったか、といったところまでお話いただければと思います。

小西康陽 僕が最初に感銘を受けた歌詞は、ザ・タイガースの『ヒューマン・ルネッサンス』(’68年)というアルバムに収録されていた、「緑の丘」と「生命のカンタータ」の2曲です。このアルバムはタイガースのメンバーが2曲書いているほかは、山上路夫さんと村井邦彦さんのコンビが5曲、なかにし礼さんとすぎやまこういちさんのコンビで5曲が作られていて、「緑の丘」も「生命のカンタータ」も、山上&村井コンビの作品なんです。このお2人ではもちろん「廃墟の鳩」も好きですが、やはりこの2曲ですね。


ザ・タイガース
『ヒューマン・ルネッサンス』

1968年11月25日発売



――このアルバムは、グループサウンズの全盛期に、『旧約聖書』をコンセプトに作られたという、当時としては画期的なコンセプト・アルバムでしたね。

小西康陽 僕は小学校6年生の時、このアルバムを持っていた従兄弟に聴かせてもらったんです。ちょうどビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(’67年)を聴いた直後で、同じくらい好いアルバムだなと思いました。中にはあまり好きではない曲も入っているんですが、今回、この取材を受けるにあたって、あらためて『ヒューマン・ルネッサンス』について考えていたんです。僕の音楽に対する考え方の、血肉になっているレコードはこれ以外にない、と再確認しました。好きな曲と嫌いな曲がある、と言いましたけど、その好みが、現在と全く変わっていないんですよ。この曲は自分のタイプじゃない、とか、これは好みだとか、その好き嫌いが小学校6年の時点で完全に出来上がっていたんです。

――では、この2曲はどういった点がお好きでしたか。

小西康陽 詞と曲、言葉とメロディの関係ですね。詞にメロディをつける、逆にメロディに詞をつける、そのスタイル、あるいはルールというのが、この2曲に集約されている。この2曲こそが僕を作ったんだな、と気付かされました。そこから2年ぐらい後に、はっぴいえんどを聴いて、その素晴らしさに反応できたのも、やはり『ヒューマン・ルネッサンス』があったからだと思います。

――2曲とも山上路夫さんの詞はもちろん、作曲の村井邦彦さんとのコンビも素晴らしいと。

小西康陽 僕はずっと言い続けていることがあって、「歌詞カードを見ないとわからない詞はダメだ」と。もっと極論を言うなら、歌詞カードを見て美しいと思える詞は、もうその時点でダメなのではと思っているんです。それは、耳にした時点で「あ、いいな」と思えないと、作詞家としてはダメなんだと。だから、詞が綺麗すぎる人の作品にはちょっと抵抗があるんです。でも山上さんの詞は、読んでももちろん綺麗ですが、文学的な技巧が目立つわけでなく、そこまで難しい言葉もお使いにならない。言い換えれば、美しい言葉を探さなくても、考えていることが美しいから、美しい詞になるんですよ。

――作詞家の思考やスタンスが詞に反映されていると。今回、いろいろな作詞家の作られた、お好きな作品を選んでいただきましたが、山上路夫さんでは、他に赤い鳥の「窓に明りがともる時」を選ばれています。これは、赤い鳥の4枚目のアルバム『竹田の子守唄』(’71年)に収録されている曲です。

小西康陽 皆さん、赤い鳥だと「翼をください」がお好きですよね。もちろん、いい詞ですし、赤い鳥の詞はどれも好きなんですが、この曲はずっと後になって、前園直樹さんから教えてもらったんです。改めて聴いてみたら確かに詞が素晴らしい。ただ、全体に赤い鳥って綺麗すぎる印象があって、逆に言うとこの曲も、昔から聞いてはいたけれど、あまり印象に残っていなかった。それで改めて聴いたら、こんなにいい曲だったのか、と気付かされたんです。


赤い鳥
『竹田の子守唄』

1971年7月25日発売



――今回、小西さんに選んでいただいた作詞家の方は、活躍した時代も、作詞の方向性も様々ですが、「詩人」「音楽家」「作詞家」、そして「コピーライター・放送作家・マルチタレント」と4つのタイプに分類していただきました。「詩人」と「作詞家」の分類が気になるところですが。

小西康陽 その辺は曖昧ですが、わかる方にはわかるんじゃないかな。作詞家の方のほうがすこし器用なんですよ。詩人は、もし、ヒット曲が生まれなかったとしても、きっとその人は詩人であり続けたんだろうな、と思える方ですね。

――山上さんも「詩人」として選ばれています。他には、最も古い方ですと佐伯孝夫さん。灰田勝彦さんが歌われた「東京の屋根の下」(’48年)を選ばれました。作曲は服部良一さん。

小西康陽 「東京の屋根の下」は、先日発売された服部良一さんのトリビュートアルバム(『世紀のうた・心のうた-服部良一トリビュート-』)の中で、僕も小西康陽feat.甲田益也子という形でカヴァーさせてもらいました。この詞も、特別、綺麗な言葉を使っているわけではなく、何気ない言葉を紡いでいるだけなのに、本当にいいんですよ。日比谷、上野、新宿など東京の名所を歌っているんですが、途中で「なんにもなくても よい♪」と、その一言で、全てをひっくり返してしまう。こんなに素敵な歌はないですよ。それに灰田勝彦さんの歌が、モダンで、明るくて、本当に素晴らしい。やっぱり僕は、幸福感のある音楽がずっと好きなんです。


V.A.
『世紀のうた・心のうた -服部良一トリビュート-』

2024年2月21日発売



――佐伯孝夫さんでは、フランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」も選ばれています。’57年の作で、高度成長期の始まりの頃に誕生した、ムード歌謡の代表的なナンバーです。こちらもやはり都会を舞台にした、幸福感のある詞ですね。

小西康陽 まさにそうです。佐伯さんは若い時、恋をした時、東京の盛り場でランデブーをしたい、というそんな気持ちをいつまでもお持ちの人だったのかなと。

――同じく「詩人」では岩谷時子さんも。越路吹雪さんのマネージャーをしながら訳詞を手がけ、作詞家としても加山雄三さんをはじめ、幾多の名作を生み出しています。選ばれたのはまず、ペギー・マーチの「コンニチワ・サヨナラ」(’69年)。


ペギー・マーチ
「コンニチワ・サヨナラ」

1969年発売



小西康陽 今回選んだ中でも、1曲だけと言われたらこれですね。それくらい僕にとっては大きな曲です。最初に聴いたのは12年ぐらい前、常盤響さんがラジオの番組でかけていたんです。オリジナルは木下由美さんという方が、古谷充とザ・フレッシュメンと歌っていて、そのレコードはもう大レア盤なので手に入らないんですが、同じ題名でペギー・マーチの盤が出ていたので、買ってみたんです。バックは同じザ・フレッシュメンですが、もしかしたらペギー・マーチ版の方がいいかもしれない。片言で歌っている分、余計に良さが伝わってくる。でも、片言の日本語で歌っている外国人の曲、という捉え方では、この楽曲の本質を見失うというか、そのくらい本当に曲がいいし、詞がいいんです。特に「おひげがのびた」という歌詞の破壊力。岩谷時子さんてすごい人だな、と思いました。

――確かにその箇所はインパクト絶大ですね。

小西康陽 生前、筒美京平さんに、時々食事に誘われて、いろいろなお話をしたんですが、ある時、作詞家の話題になって、岩谷時子さんの話になったら、京平さんは「いや、あの人は詩人だから」と、一言だけおっしゃったんです。もうそのくらい大リスペクトされていたんですね。

――岩谷さんと筒美さんの組み合わせでは「男の子女の子」をはじめ郷ひろみさんの作品が名高いですが、コンビとしてはいずみたくさんがかなり多かったかと。

小西康陽 そうですね。いずみたくさんとのコンビでは佐良直美さんの「いいじゃないの幸せならば」も大好きな歌です。佐良さんの、感情を込めていない歌い方が、この詞にはとても合っている。岩谷さんについてもっと言うと、僕が最初に買った邦楽のレコードって、ピンキーとキラーズの「恋の季節」なんですよ。これが’68年のリリースですから、まさに『ヒューマン・ルネッサンス』と同じ年。やはり、岩谷時子さんと山上路夫さんは、僕にとっては本当に大きい作詞家です。


佐良直美
「いいじゃないの幸せならば」

1969年7月15日発売



――岩谷さんと山上さんは、どちらも作詞家として、平易な言葉を用いている点、品格を感じさせる点が共通しているように感じます。

小西康陽 確かにそうですが、僕は岩谷時子さんって、たとえばロレンツ・ハートやコール・ポーターのような…恋愛観に対して強烈な屈託をお持ちの方だったんじゃないかと思うんです。

――ああ、それは越路吹雪さんに対しての思いでしょうか。

小西康陽 うん。その屈託を、ごくシンプルな言葉に託して陰影を残す、そういう詩人としての感性が備わっていたのだと思います。だから越路さんの詞は、海外の詞の翻訳ではあっても、まるで自分の言葉のようになっていますよね。そのあたりは山上路夫さんとはすこし違う点かもしれない。

――「詩人」ではもうお1人、有馬三恵子さんを挙げられていますが、いずれも南沙織さんの「早春の港」(’73年)、「ともだち」(’72年)、「女性」(’74年)を選ばれています。

小西康陽 有馬さんも素晴らしい詩人ですよね。有馬さんといえば、僕にとってはとにかく南沙織さんなんですが、実はそれ以前の、伊東ゆかりさんの「小指の想い出」(’67年)と「あの人の足音」(’67年)も有馬さんの詞なんですね。あの2曲も、僕がレコードを買い出す前に聴いていて、ひどく印象に残った曲だったんです。言葉がつよく残るんです。「あなたが噛んだ小指が痛い♪」って、大人もそういうことをするんだ、と。


南沙織
「早春の港」

1973年1月21日発売



――当時のご主人だった鈴木淳さんとのコンビ曲ですね。でも南沙織さんに書かれた詞は、まるで沙織さん自身の言葉であるかのように聴こえます。

小西康陽 やっぱり有馬さんだと南沙織さんになりますよね。「早春の港」の「ふるさと持たないあの人の 心の港になりたいの♪」とか、「ともだち」の「妹か恋人か友だちになりたいの♪」とか、こういうレトリックがすごい。でも、みなさん、本当に普通の言葉を使っている人たちなのに、つよい詞を生み出しているんです。「女性」もそうですが、山上さんとも近い、こころの綺麗さが歌詞に表れている気がします。その意味では有馬さんもやはり「詩人」なのだなと思います。

【Part2】に続く)





小西康陽(こにし・やすはる)
●1959年、北海道札幌生まれ。作編曲家。
1985年にピチカート・ファイヴのメンバーとしてデビュー。
解散後も、数多くのアーティストの作詞/作曲/編曲/プロデュースを手掛ける。


3.22 fri
『コーヒーハウス・モナレコーズ』
LIVE : 豊田道倫・金田康平・小西康陽
DJ : 福富幸宏
at 下北沢 mona records
開場 / 開演 19:00
https://www.mona-records.com/livespace/18307/

4.21 sun
『ノラオンナ58ミーティング デビュー20周年「風の街へ流れ星を見に行こう」』
LIVE : ノラオンナ(声とウクレレ)
MUSICIANS : 柿澤龍介(ドラムス)・橋本安以(ヴァイオリン)・外園健彦(ギター)・藤原マヒト(ピアノ)・古川麦(声とホルン)・宮坂洋生(コントラバス)
GUEST : 小西康陽(声とギター)
DJ : juri
at 吉祥寺 スターパインズカフェ
開場 18:00 / 開演 19:00
https://mandala.gr.jp/SPC/schedule/202040421/





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