2024年2月号|特集 筒美京平

【Part4】近田春夫が語る「筒美京平の10曲」

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インタビュー

2024.2.27

インタビュー・文/大谷隆之


京平さんは終始一貫して、昔の東京人らしい含羞の美学をお持ちだった。すべてにおいて、あからさまな表現や、これ見よがしな生き方をよしとされなかった(近田春夫)


【Part3】からの続き)

近田春夫が選ぶ「筒美京平の10曲」

野口五郎
➑「グッド・ラック」

作詞:山川啓介/作曲:筒美京平/編曲:高田弘
1978年9月1日発売


―― さて次は8曲目、’78年9月にリリースされた野口五郎の「グッド・ラック」です。これは7曲目「さようならの彼方へ」の3か月後で、筒美さんは38歳。編曲はどちらも高田弘さんが手がけています。

近田春夫 イントロからキラキラ感がすごいよね。乾いたギターの音色といい、弦楽器のシルキーな手触りといい、サウンド的には完全にシティポップとかAORの路線です。高田さんがまた、京平さん好みのフィリー・ソウルっぽい音像にきっちり仕上げている。これ、たしかギタリストは矢島賢さんだっけ?

―― はい。オリジナルのシングルは「ポリドール・オーケストラ」のクレジットのみでしたが、野口さんご本人がインタビューでそう発言されてました。

近田春夫 ここ数年、70年代シティポップを再評価する動きが続いてるじゃない。この頃の野口五郎さんもまさにそうで。アメリカ西海岸まで行って現地の売れっ子ミュージシャンとアルバム作ったりしてるんだよね。「グッド・ラック」はそんなAOR期の中で、俺が一番気に入っている曲。当時、好きでよく聴いてましたね。京平さんが野口さんに書いたシティポップ路線の曲では「女になって出直せよ」(’79年7月)も有名ですけど、俺的にはこの曲が野口さんの声に一番合ってると思うんだ。

―― ♪ごめんよ~で始まるサビのフレーズとか、かなりキーが高めで。

近田春夫 音域的にかなり際どいよね。それに続く♪終ってしまった、なんて、高音ギリギリのラインを攻めてる。そこがね。またグッとくるのよ(笑)。京平さんはこんなふうに、歌い手にちょっと冒険させるのもうまい。野口さんにはたしかデビュー直後から曲を書いていて付き合いも長かったでしょ。

―― はい。セカンドシングル「青いリンゴ」(’71年8月)以来、コンスタントに提供されていますね。

近田春夫 それもあって、野口さんの声の美味しいところをよくご存知だったと思うんだよ。アレンジャー高田さんとの呼吸もぴったり合ってる。楽曲としてはいかにもシティポップっぽい、洗練された装いになってるけれど、歌メロだけ取り出すと意外と和風っていうかさ。特にサビ以降の旋律には、歌謡曲的な親しみやすさ、もっと言うと俗っぽさがある。この混ざり具合が快感だし、聴いてて安心するんだよな。

―― シティポップの時代が到来しても、日本語に馴染むメロディーを追求する姿勢は変わらなかった。

近田春夫 うん。ただね、この時期から微妙に、歌メロの存在感は変わってきた気はする。押し出しの強さがちょっと和らいで、アレンジ全体の中により自然と馴染むようになっていった。これは数値化できる話じゃないけど、俺の感覚ではそうなんだな。要はどんどん、サウンド志向が強まるわけですね。さっき言った「アレンジャーとの呼吸」っていうのもそういう意味で。作曲家として、時代の変化を肌で感じておられたんだと思います。野口さんの「グッド・ラック」は、そんな移り変わりも感じさせる曲。


近田春夫が選ぶ「筒美京平の10曲」

小泉今日子
❾「なんてったってアイドル」

作詞:秋元康/作曲:筒美京平/編曲:鷺巣詩郎
1985年11月21日発売


―― そこから少し時間が空いて、9曲目は小泉今日子「なんてったってアイドル」(’85年11月)。日本が上り調子だった80年代を象徴するアッパーな1曲です。個人的にはこの辺りから、時間の進み方が速くなった感覚がありまして……。

近田春夫 バブル経済も始まるし、世の中に流通する情報量も一気に増えるからね。

―― 8曲目の「グッド・ラック」と続けて聴くと、その間に広くて深い河が流れている印象すら受けました。

近田春夫 そうかもしんない(笑)。ただ今回の10曲で「グッド・ラック」(’78年)と「なんてったってアイドル」(’85年)の間が空いたのは、たぶん個人的な事情が大きいと思う。この頃の俺は自分の音楽を作ることに夢中でさ。単純にチャートを追いかける余裕がなかったんだよね。あとさ、さっきの「情報量が増えた」って話とも繋がるんだけど、世の中全体が京平さんっぽくなっちゃったっていうか。

―― プロによる分業制が薄らぎ、業界のあり方自体が変容してきたと?

近田春夫 エピゴーネン(亜流、模倣者)が増えた、とまでは言わないけれど。いわゆる「メタ視点」から歌謡曲を面白がる風潮が、この前後から出てきた気がするんですよね。裏方に徹していた京平さんに関しても、いろんな人がいろんなことを言うようになって。歌謡曲なんて見向きもしなかった連中が、奇妙に持ち上げるようになった。それが若干、食傷気味だったのかもしれません。なにせ天邪鬼な人間なので(笑)。

―― でも、それでいうと「なんてったってアイドル」なんて、メタ視点の最たる曲ですよね。なぜこの曲を選ばれたんですか?





近田春夫 Chikada Haruo
慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。’72年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成。音楽活動と並行して、’78年から’84年にかけて、雑誌『POPEYE』に伝説的なコラム「THE 歌謡曲」を連載。’78年には早すぎた歌謡曲カヴァー・アルバム『電撃的東京』をリリース。’79年には、アレンジ・演奏に結成直後のイエロー・マジック・オーケストラを起用したソロ・アルバム『天然の美』をリリース。『エレクトリック・ラブ・ストーリー』、『ああ、レディハリケーン』では漫画家の楳図かずおを作詞家として起用。’81年には「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成、アルバム1枚とミニアルバム1枚をリリース。’85年からはファンクやラップに注目、President BPM名義で活動。自身のレーベルBPMを率いて、タイニー・パンクスらと日本語ラップのパイオニアとも言える活動を行う。’87年には“バンド形式によるヒップホップ”というコンセプトで「ビブラストーン」を結成。現在は元ハルヲフォンのメンバー3人による新バンド「活躍中」や、OMBとのユニットである「LUNASUN」でも活動。著書に『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』[構成:下井草秀](2021年/文春新書)ほか。




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