スペシャル|スペシャル企画

楳図かずお×近田春夫 スペシャル対談

対談

2024.3.1

進行・文・写真/荒野政寿


詞の世界観が凄いなと思って。それでレコード屋さんに行って見てみたら「作詞:楳図かずお」と書いてあって、そのときの衝撃っていまだに忘れられないですよ(近田春夫)

やっぱり、一生懸命考えるんですね。もう考えるしかない。どういう手もこういう手もないんです。でも僕はやっぱりお話を作るのが仕事だから、ストーリーがあった方が好きなので(楳図かずお)


 楳図かずおが作詞・作曲・歌唱・ジャケットイラストレーションのすべてを手がけたことで知られる『闇のアルバム』(1975年)が、実に48年ぶりにアナログ盤でリイシューされた。オリジナル盤のアートワークを忠実に再現したジャケットにはカラーピンナップも封入、ヴィジュアルと音の両面で楳図ワールドを味わえる全ファン必携の1枚だ。本作のアナログ盤復刻を記念して、楳図先生が歌詞を提供、70年代から交流してきた近田春夫との対談が実現。ここではその対談から、『闇のアルバム』前後の話題をお届けしよう。

近田春夫 『闇のアルバム』のCDのブックレットに載っている楳図さんのコメントを読ませて頂いて、初めて知ったことが結構いろいろありました。楳図さんにとっての音楽は、ひとつは童謡とかクラシックみたいなものがあって。もうひとつのロックについて、ビクター少年民謡会の「八木節」を聴いてロックを感じたとおっしゃってましたよね。YouTubeで検索してみたら普通にあったので聴いてみたら、あの「八木節」は本当に凄いですね。

楳図かずお そう、「八木節」とかね、ロックなんですよ! 僕は音楽は何でも聴いてたから。父が古道具屋で大きな蓄音機を買ってきたとき、中にレコードがたくさん入っていて。「八木節」とか「奴さん」とか、そんな古い曲がいっぱいあって。ビクター少年民謡会は良かったので、よく聴きました。片や、普通の歌謡曲…美空ひばりさんとか、ダークダックスが歌う童謡も聴いてましたし、トリオ・ロス・パンチョスも大好きでした。

あとは何といっても、エルヴィス・プレスリーですよね。どういうわけか僕はビートルズに興味がなくて、全然聴いてない。ビートルズはみんな騒いでたけど、僕はやっぱりプレスリーだわーと思ってました。あと、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ)とか、あの辺の曲、ロックンロールがすごい好きだったんですよ。

近田春夫 『闇のアルバム』を聴いても、昔ロックンロールが好きだったっていうことは想像がつかない内容なのが面白いです。

楳図かずお そうですね。そうなんだけど、僕はやっぱりポール・アンカとか、「恋の片道切符」(ニール・セダカ)とか聴きまくっていたし。イタリアの曲も、“♪Tintarella di luna, tintarella color latte”とか…

近田春夫 「月影のナポリ」(ミーナ)ですね。

楳図かずお そう。あと、「メロンの気持」(ローズマリー・クルーニー&ペレス・プラード楽団)とかも。そういう曲を聴いて、しょっちゅう歌いまくっているでしょ。どの曲が好きで何か嫌いなんていうのはないんだけど、やっぱりロックンロールのノリの良さみたいなのは、今でも自分の中に絶対あると思っています。


楳図かずお
『闇のアルバム』

(1975)



近田春夫 『闇のアルバム』に入っている「イアラ」「アゲイン」や、CDの方に入っていた「プールサイド」という曲、楳図さんが郷ひろみさんに提供された「寒い夜明け」の歌詞を聴いていると、時間というものが過ぎていくこと、もう戻らないようなことに対する恐怖心みたいなものを共通して感じるんですよ。

楳図かずお “無常”と言うかね。そうやって聴くと怖い曲なんですよ。確かに「プールサイド」は自分で聴いていても怖くなっちゃう、そういう感覚がありました。

近田春夫 ラジオで「寒い夜明け」を初めて聴いたときに、曲もかなり変わった曲だったけど、詞の世界観が凄いなと思って。それでレコード屋さんに行って見てみたら「作詞:楳図かずお」と書いてあって、そのときの衝撃っていまだに忘れられないですよ。楳図さんも京平さんの曲がお好きだとおっしゃってましたけど、「寒い夜明け」は京平さんが書いた曲の中でも他にはないような感じの曲でしたし。

楳図かずお あの頃、京平さんは派手な作り方から地味な作り方に変わっちゃったんですよね。先に曲を頂いて、そこに歌詞を乗っけていくんだけど、僕の中では勝手な郷ひろみのイメージがあって。「A chi, chi」(「GOLDFINGER '99」)じゃないですけど(笑)、もっと派手な曲がいいのになあと思いながらも、僕はそんなことを言える立場ではないのでね。書くしかないと言ったら失礼だけど、ああいう歌詞のイメージしか出てこなかったんです。「A chi, chi」みたいには絶対にならない。

近田春夫 「寒い夜明け」の歌詞は、いつ聴いても同じ印象というのではなくて、聴くたびに言葉から違う意味を感じたり、前に聴いたときと違う情景が思い浮かぶんですよ。そういう、作品が持っている無限性にも魅力を感じます。

楳図かずお ありがとうございます。あの歌詞はね、実は六本木のスタジオで夜通し『闇のアルバム』のレコーディングをやって、終わってから明け方ひとりで歩いて帰るときのイメージを書いたんです。

近田春夫 六本木ですか! 歌詞に渋谷が出てくるので渋谷なのかと思ってました

楳図かずお 六本木からそのままずーっと渋谷まで歩いていったのかもしれない。僕は歩くのが専門ですから(笑)。

近田春夫 なるほど。『闇のアルバム』をプロデュースされた酒井政利さんは、あのアルバムで楳図さんの歌詞に手応えを感じて、郷ひろみさんの歌詞も依頼されたんでしょうね。

楳図かずお 酒井さんは僕が書いてきた歌詞に対してクレームすることがほとんどなかったですね。『闇のアルバム』は、もともと僕が書いていた曲をレコードにできたらなと思って、家で録ったテープをソニーに持っていったのが始まりだったんですけど。アルバムはその曲とは別に、新たに10曲分の歌詞と曲を作らなくてはいけなくなって。『洗礼』を連載しながら曲と詞を仕上げて、レコーディングもしなくてはいけなかったので、本当に死ぬ思いでした(笑)。

近田春夫 歌詞をお書きになるときには、いろんなことを意識されるというより、自然に書いてたんですか?

楳図かずお やっぱり、一生懸命考えるんですね。もう考えるしかない。どういう手もこういう手もないんです。でも僕はやっぱりお話を作るのが仕事だから、ストーリーがあった方が好きなので。「プールサイド」にしても、今は賑やかだけど、来年になったらその人たちがもう来てなくて違う人たちが来てたり…そういうお話がいいなと思うわけなんですね。

近田春夫 どの詞を見てても、哀愁があるとかそういう怖さじゃないんですよ。なんかもうちょっと乾いた…

楳図かずお 取り返しのつかない怖さってあるんですよね。だから近田さんは頭がいいんですよ。そういうことがすぐにわかる方だから。イエロー・マジック・オーケストラもかなり先取りされて、早くからお付き合いがあったと思うんですけど。僕が歌詞を書かせて頂いた「エレクトリック・ラブ・ストーリー」は、YMOと若草恵さん、ふたつのアレンジがあるでしょ。YMOも素晴らしいんだけど、僕は若草恵さんのアレンジの方が好きなんです。

近田春夫 あれは本当にいいですよね。

楳図かずお いいですよ、雰囲気が出ていて、ドラマチックでね。感情がすごく出るでしょ。

近田春夫 あのときはYMOの無機的な感じと、ちゃんと譜面を書いてオーケストラで演奏するようなゴージャスさ…同じ曲を違うアレンジにした時に、どれだけ見える世界が変わるんだろうなってことに興味があったんです。

楳図かずお 全然違うわ(笑)。若草さんのアレンジがぴったりはまっているので、とても好きでした。自分が関わってるから言うわけじゃないけど、僕は「エレクトリック・ラブ・ストーリー」と「ああ、レディハリケーン」って、自分でも良い詞を書いたと思うんです。「エレクトリック・ラブ・ストーリー」は〈ジョージのうわさ話〉という部分がちょっと…、と言われたこともあるけれど、あれはジョージという人と、吉祥寺のこともあるのでね。

近田春夫 ダブルミーニングなんですね。

楳図かずお そう。「エレクトリック・ラブ・ストーリー」がどこでウケたかったかと言うと、吉祥寺なんです。

近田春夫 じゃあ〈いつも見なれたレストラン〉というのも、モデルになったお店がどこかにあったりするんですか?

楳図かずお はい、どっかにあるんです。行き着けのレストランはいっぱいあって、しょっちゅう行ってますから。この2つの曲は絶対に良い曲だったし、“近田春夫の中で良い曲”っていうんじゃなくて、“全歌の中で良い曲”に入れて間違いないと思ってるんで、「入れないお前が間違ってる!」って文句を言いたいですわ。

(※対談の全編は2024年にシンコー・ミュージックから発売される近田春夫の著書に掲載)





楳図かずお Kazuo Umezu
1936年、和歌山県高野山に生まれ、奈良県で育つ。
小学校4年生で漫画を描き始め、高校3年生の時、『別世界』『森の兄妹』を
トモブック社から単行本で出版し、デビュー。『へび少女』『猫目小僧』などのヒット作により、“ホラーまんがの神様”と呼ばれる。『漂流教室』で小学館漫画賞受賞。
一方、『まことちゃん』でギャグの才能も発揮。作中のギャグ、“グワシ”は社会現象となった。このほか、『おろち』『洗礼』『わたしは真悟』『神の左手悪魔の右手』『14歳』など、数多くのヒット作を生み出す。
その他、タレント、歌手、映画監督など多数の肩書きを持ち、様々なジャンルで活躍中。
2018年、『わたしは真悟』で仏・アングレーム国際漫画祭「遺産賞」受賞。
また同年度、文化庁長官表彰受賞。
また、ホラー、SF、ギャグと幅広い分野でのマンガ文化への貢献と、2022年開催の「楳図かずお大美術展」で発表した27年ぶりの新作『ZOKU-SHINGO小さなロボットシンゴ美術館』に対して2023年、“第27回手塚治虫文化賞特別賞”受賞。

▼楳図かずお大美術展 ―マンガと芸術の大転換点―
2024年3月2日(土)~3月17日(日)福岡にて開催。
https://umezz-art.jp/


近田春夫 Haruo Chikada
慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。’72年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成。音楽活動と並行して、’78年から’84年にかけて、雑誌『POPEYE』に伝説的なコラム「THE 歌謡曲」を連載。’78年には早すぎた歌謡曲カヴァー・アルバム『電撃的東京』をリリース。’79年には、アレンジ・演奏に結成直後のイエロー・マジック・オーケストラを起用したソロ・アルバム『天然の美』をリリース。『エレクトリック・ラブ・ストーリー』、『ああ、レディハリケーン』では漫画家の楳図かずおを作詞家として起用。’81年には「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成、アルバム1枚とミニアルバム1枚をリリース。’85年からはファンクやラップに注目、President BPM名義で活動。自身のレーベルBPMを率いて、タイニー・パンクスらと日本語ラップのパイオニアとも言える活動を行う。’87年には“バンド形式によるヒップホップ”というコンセプトで「ビブラストーン」を結成。現在は元ハルヲフォンのメンバー3人による新バンド「活躍中」や、OMBとのユニットである「LUNASUN」でも活動。著書に『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』[構成:下井草秀](2021年/文春新書)ほか。

▼近田春夫オフィシャルサイト
https://chikadaharuo.com/




楳図かずお×近田春夫 スペシャル対談
楳図かずお『闇のアルバム』スペシャルサイト