2024年2月号|特集 筒美京平

【Part4】萩田光雄×半田健人|スペシャル対談

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対談

2024.2.27

進行・文/真鍋新一 取材協力/馬飼野元宏 写真/島田香


京平先生は活躍されてきた時代も長いじゃないですか。60年代から2000年代まで。すごくいい曲がB面に入っていたりするんです(半田健人)

それなら京平さんがご自身がおっしゃっていることがいちばん明確ですよ。「ヒットしなかったものは駄作」。それが先生の基準でした(萩田光雄)


【Part3】からの続き)

── 今回の対談のために萩田光雄さんが選んだ10曲、いよいよ平成の時代に突入しました。次は女優・森光子さんの2枚組アルバム『Mitsuko Mori』からシングルカットされた「カーテンコール」です。

萩田光雄 森光子さんとは「カーテンコール」をきっかけに晩年親しくさせていただきました。私たちは「ミツコとミツオだね」だなんて冗談をおっしゃってね(笑)。そんな森さんとの大切な思い出の1曲です。それからやっぱりディレクター渡辺有三さんとの仕事でもあったので、いろいろな意味でもとても思い出深いです。

半田健人 渡辺さんはキャニオンの方ですから中島みゆきさんもそうですし、萩田さんとのお付き合いはそれこそ最初の高木麻早さんの頃からになりますよね。

萩田光雄 そうです。彼はレコード会社のディレクターとして長く一緒に仕事することが出来た僕のなかでは何本かの指に入る大切な存在でした。

半田健人 改めて聴きましたが、「カーテンコール」もいい歌ですよね。森さんはやっぱり女優さんのイメージが強いので、歌声は新鮮に感じます。

萩田光雄 でも森さんは戦前からキャリアがあって、あまり知られていませんでしたが実は歌える方だったんだよね。終戦の直後には米軍キャンプも回っていたそうですし。



森光子
「カーテンコール」

作詞:秋元康/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄

「カーテン・コール」収録アルバム
森光子『Mitsuko Mori』
1995年9月1日発売


── 「カーテンコール」録音の時、森さんはすでに75歳でいらしたそうです。

萩田光雄 そうでしたね。同じ年に安達祐実の「逃げたいときは」のアレンジをして、たしかその時彼女は14歳だったから……75歳から14歳までか(笑)。この年は幅広く仕事をやったなぁという記憶があります。

半田健人 安達さんはたしか僕の3つ上じゃないですかね。ほとんど同じ世代なんですよ。

萩田光雄 ということは、半田さんはまだ30代? 若いよね。僕が選んだ10曲だって半分以上は生まれてない頃の曲でしょう? 僕で言えば、それこそ服部良一さんの音楽について語るようなものかな。



── 年代だけで言えばそういうことになりますね。

萩田光雄 今は笠置シヅ子さんのことがNHKのドラマになっているし、時代も流れているんだね。僕らが子どもの頃は、学校で歌謡曲を歌ったら廊下に立たせられましたから。「惚〜れ〜て、惚〜れ〜て〜」って、三橋美智也の「哀愁列車」を歌ったら先生に怒られてね。友達はプレスリーの曲を歌ってやっぱり怒られてた。昔はとにかく大人が歌う歌を子供が歌ったら不良扱いでした。『のど自慢』のテレビ番組で、審査員の松田トシさんが歌謡曲を歌った子どもに厳しく「あなたにはもっとふさわしい歌があるでしょ」と言っていたのを憶えてます。



半田健人 あぁ、『スター誕生!』でもトシ先生はそうだったらしいですね。カメラの前でも厳しかったと聞いたことがあります。ここまで萩田先生にお話を伺ってみて思うのですが、僕らはつい、「新人歌手のデビュー曲を手がけるにあたってはどうでした?」とか、「この曲のこのアレンジの手ごたえは?」とか、そういう音楽的な話題を探りたくなってしまうんですけど、萩田先生的にはディレクターやミュージシャンがどういう人だったかとか、そういう人間模様みたいなことのほうが記憶に残るものなのでしょうか。

萩田光雄 どうなんでしょうね。でも本当のところを言うと……音楽について僕はなにも喋りたくない(笑)。「萩田光雄がどういう人か知りたければ、僕のやった音楽を聞いてください。それがすべてです」って言いたいんです。キザに言えば、アレンジの仕事に言葉なんかいらないんだと。ただ、ここ数年で先輩の先生方がずいぶん亡くなって、僕らが昭和の生き証人ということでこうやってメディアにお声がかかることも増えてきて、どこへ行っても最年長で困っちゃうよ(笑)。

半田健人 本当に音楽が全てだと思います。ただ時代を彩られた萩田先生からは、歌謡曲をこよなく愛する者として、もっともっと貴重なお話を伺いたいですね。

萩田光雄 でも、昔のことは当時が忙し過ぎて本当に憶えてないことばかりなんです。こういう取材中にも「この曲、本当に僕がやったの?」なんてこともありますから。ごめんなさい(笑)。


尾関美穂
「メコンの憂鬱」

作詞:ちあき哲也/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
2005年12月7日発売


── そして、最後の選曲は2005年に発売された尾関美穂さんのデビュー・シングル「メコンの憂鬱」です。





萩田光雄 Hagita Mitsuo
1946年生まれ。’65年慶應義塾大学工学部電気科入学、同大学クラシカルギタークラブに在籍。のちにヤマハ音楽振興会作編曲コースで林雅彦氏に師事、同社録音スタジオ勤務の後、作編曲家を目指す。’73年高木麻早「ひとりぼっちの部屋」の編曲でデビュー。’75年『FNS音楽祭』最優秀編曲賞をはじめ、’75年、’76年、2013年に『日本レコード大賞』編曲賞を受賞。現在、日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、演奏家権利処理合同機構(MPN)理事。著書に『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(2018年/リットーミュージック)。レーベルの垣根をこえて自ら選曲した全92曲収録のCD5枚組BOX『音の魔術師/作編曲家・萩田光雄の世界』(2021年/ソニーミュージック)も発売中。筒美京平作曲の編曲は200曲以上手がけている。



半田健人 Handa Kento
1984年生まれ。『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』のファイナリストに選ばれたことをきっかけに芸能界入り。2003年『仮面ライダー555』乾巧(イヌイタクミ)/仮面ライダーファイズ役で初主演を飾る。『タモリ倶楽部』への出演を機に、高層ビル好きであることが知られるようになる。鉄道、昭和歌謡といったジャンルへの造詣も深い。俳優のみならず、音楽のフィールドでも精力的に活動を行っている。2014 年には自身初のオリジナル・フル・アルバム『せんちめんたる』を発売。2016年にはメジャー・デビュー・シングル「十年ロマンス」、2017年にはアルバム『HOMEMADE』を発売。筒美京平作品を集めたコンピレーションCD『筒美京平マイ・コレクション 半田健人』(2021年/ビクターエンタテインメント)も発売中。
▼半田健人オフィシャルサイト
https://handa-kento.com/




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