2024年2月号|特集 筒美京平

【Part3】近田春夫が語る「筒美京平の10曲」

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インタビュー

2024.2.21

インタビュー・文/大谷隆之


『鶴の恩返し』って民話があるじゃないですか。京平さんのことを考えると、あの昔ばなしを連想するんだよね(笑)(近田春夫)


【Part2】からの続き)

―― 5曲目は「熟れた果実」。’74年6月に発売された、平山みきの10枚目のシングルです(発表当時は平山三紀)。独特のハスキーヴォイスで根強い人気を誇るシンガーで、昭和歌謡ファンには「筒美京平の秘蔵っ子」の印象も強いですね。

近田春夫 実際、初期のシングルはほぼ作詞家の橋本淳さんと京平さんのコンビが提供してるからね。「真夏の出来事」(’71年5月)という日本歌謡史に残る名曲もあるし。俺もみきちゃんとは、かれこれもう長い付き合いで。

―― そうですね。平山さんの『鬼ヶ島』(’82年6月)というアルバムを、近田さんがプロデュースされていたり。

近田春夫 うん。ほんと好きな曲がいっぱいありすぎて、普通に選んでいくとそれだけで10曲が埋まっちゃう。なので、悩んで悩んで、今回の「10曲」でこの曲にしたんですけど。ただ俺、発売された当初は知らなかったんだよ。そこまでヒットした曲じゃなかったので。

―― いつ聴かれたんですか?

近田春夫 いつだっけな。彼女、この曲の前後に日本コロムビアからCBS・ソニーへ移籍するじゃないですか。その少し後に『ヒット全曲集』というベスト盤がCBSから出まして。たぶん、そこに収録されてたのを聴いたんだと思う。


近田春夫が選ぶ「筒美京平の10曲」

平山三紀
❺「熟れた果実」

作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
1974年6月1日発売


―― 調べてみると、「熟れた果実」が移籍第1弾シングルでした。筒美京平さん、橋本淳さん、平山みきさんが3人で並んだ記者会見の写真が残っています。筒美さんは当時、34歳になったばかりで。

近田春夫 へええ。その写真、かなり貴重だよね!

―― 近田さんは今回、どうしてこの楽曲を?

近田春夫 これまたすこぶる、個人的な理由なんだけどさ。「熟れた果実」はもともと、バリー・ホワイトの「忘れられない君」(’73年6月)が元ネタになってるんですよ。

―― バリー・ホワイト。70年代にヒット曲を連発した黒人ミュージシャンで、ラブ・アンリミテッド・オーケストラ名義の「愛のテーマ」(’73年11月)が超有名ですね。弦楽器を生かした、エレガントで濃厚な芸風で知られます。

近田春夫 「忘れられない君」もまさにそう。タイトなリズムと流麗なストリングスに、思いっきりエロいヴォーカルが乗ってるという(笑)。京平さんは明らかに、このヒット曲を下敷きに「熟れた果実」を書かれている。実は俺も、同じ「忘れられない君」に着想を得た曲を書いてるんですよ。時期はちょっと後だけど。

―― へえ! 何という曲ですか?

近田春夫 「秘密のハイウェイ」。『COME ON LET'S GO』というアルバムに入ってます(’76年6月、近田春夫&ハルヲフォン)。ただ元ネタは同じでも、京平さんと俺とではアプローチがまったく違っていたのね。まあ自分と京平さんを比較すること自体、僭越っちゃ僭越なんですけど(笑)。ああ、なるほどって納得した記憶がある。

―― 具体的にはどう違ったんでしょう?

近田春夫 「忘れられない君」って、前半はずっとワンシークエンスで同じフレーズがまったり繰り返されるでしょ。で、サビだけ急に甘いコード進行になる。俺にとってはこの構造そのものが画期的だったわけ。なので「秘密のハイウェイ」ではそれを日本語ロックに敷衍してみた。一方で京平さんは、甘いサビの作り方に着目されてるんだよね。有名な♪Never, Never Gonna Give Ya Upというフレーズを、「熟れた果実」に絶妙に転用されている。譜割りはまったく違うけど。

―― なるほど。

近田春夫 跳ねるリズム。エレガントな弦楽器。甘い旋律。そこに歌謡曲的リリックを乗せて、どう違和感なくアジャストするか。生意気な言い方だけど、それが職業作家・筒美京平の関心事だったんだと思います。

―― この時期はまだ、ご自身でアレンジも手がけていますね。

近田春夫 それがまた嬉しいんだよね。ギターのカッティングもすごくシャープですし。あとは何と言っても、イントロ。それこそフィリー・ソウル色全開の導入部があってさ。でも歌が始まった瞬間、一気に平山みきの世界になるでしょ。このギャップっていうか、イントロから第一声への繋げ方が、とにかく上手いんですよ。ベタな表現をするなら、ツカミはOKって感じ。最初の十数秒で「お?」と思わせちゃう。

―― その手法自体が「筒美京平が築き上げた揺るぎないモデル」なんだと。これもまた、著書『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』で述べられていた近田さんの持論です。

近田春夫 うん。そこは明確に意識されてたと思います。何かのとき、俺がさりげなくその話題を振ったら、「近田くん、そりゃあそうよ」とかって仰ってましたから(笑)。

―― ちなみに70年代半ばくらいから、筒美さんは徐々に若手のアレンジャーを起用し、自身は作曲のみを手掛けるというパターンが増えていきますね。当時の歌謡シーンでは、編曲家がイントロを考えるケースが多かったようですが、筒美さんの場合はどうだったのでしょうか?





近田春夫 Chikada Haruo
慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。’72年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成。音楽活動と並行して、’78年から’84年にかけて、雑誌『POPEYE』に伝説的なコラム「THE 歌謡曲」を連載。’78年には早すぎた歌謡曲カヴァー・アルバム『電撃的東京』をリリース。’79年には、アレンジ・演奏に結成直後のイエロー・マジック・オーケストラを起用したソロ・アルバム『天然の美』をリリース。『エレクトリック・ラブ・ストーリー』、『ああ、レディハリケーン』では漫画家の楳図かずおを作詞家として起用。’81年には「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成、アルバム1枚とミニアルバム1枚をリリース。’85年からはファンクやラップに注目、President BPM名義で活動。自身のレーベルBPMを率いて、タイニー・パンクスらと日本語ラップのパイオニアとも言える活動を行う。’87年には“バンド形式によるヒップホップ”というコンセプトで「ビブラストーン」を結成。現在は元ハルヲフォンのメンバー3人による新バンド「活躍中」や、OMBとのユニットである「LUNASUN」でも活動。著書に『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』[構成:下井草秀](2021年/文春新書)ほか。




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