2024年2月号|特集 筒美京平

【Part3】|筒美京平ストーリー ~Early Years~

会員限定

解説

2024.2.16

文/下井草秀


売れっ子となり、楽曲提供のオファーが引きも切らない状況へ


【Part2】からの続き)

 グループサウンズが爆発的なブームを巻き起こした1960年代後半、筒美京平は、ザ・ジャガーズ、オックスなどのGSに通底する手法をこの時期の他のシンガー、特に女性たちに応用し、新たな魅力を発掘する。このメソッドは、時に“ひとりGS”と呼ばれるもの。

 その典型的な手腕は、江見早苗「涙でかざりたい」(’68年)、鍵山珠理「涙は春に」(’68年)、はつみかんな(後のしばたはつみ)「恋のタッチ・アンド・ゴー」(’69年)などで堪能することが可能である。特筆したいのが、弘田三枝子における仕事だ。

 弘田三枝子は、ローティーンだった60年代初頭から「ヴァケイション」「砂に消えた涙」といった洋楽のカバーでヒットを連発していたが、この頃にはその路線も曲がり角を迎え、新機軸が必要とされていた。日本人作家によるオリジナルを発表するも、なかなか結果は出せず。そこで招かれたのが橋本淳・筒美京平の盟友コンビ。5枚連続でシングルを手がけるが、なかでも、「渚のうわさ」(’67年)、「渚の天使」(’68年)は、キレがありパンチの効いた弘田のヴォーカルを十全に生かしている。


弘田三枝子
「渚のうわさ」

1967年7月10日発売


 そして、作曲家としてのデビューを果たしてから3年目となる’68年のクリスマス、筒美は快心の特大ホームランを放つ。いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」である。

 累計150万枚を超える記録的ヒットとなったこの名曲は、筒美作品の美点が幕の内弁当のごとく詰め込まれたショーケースとなっている。和の情緒を携えたはかなくせつない小唄のような旋律、バート・バカラックの影響が濃いトランペットとチェンバロの導入、そしてリズミカルなビートとゴージャスなオーケストレーションとの関係性……。これらの特徴が、本邦の流行歌の世界に、新時代の到来を告げたのだ。この前後の「太陽は泣いている」(’68年)、「あなたならどうする」(’70年)などを耳にしても、いしだと筒美の相性は抜群。


いしだあゆみ
「ブルー・ライト・ヨコハマ」

1968年12月25日発売


 ここから筒美は押しも押されもせぬ売れっ子となり、楽曲提供のオファーが引きも切らない状況に見舞われる。




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