2024年2月号|特集 筒美京平

【Part2】作詞家・橋本淳が語る「盟友・筒美京平」|すぎやまこういちとの出会い ~「青い瞳」で作詞家デビュー

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インタビュー

2024.2.20

インタビュー・文/鈴木啓之 写真/島田香


京平さんはポリドールで洋楽のディレクターをしていましたから、作曲していることは公に出来なかったんです。すぎやまさんが「じゃあ俺の名前を使おう!」とレコードでは「すぎやまこういち」名義になったんですよ(橋本淳)


【Part1】からの続き)

── 筒美京平さんとのお話には欠かせない、すぎやまこういち(椙山浩一)さんと出会われた頃のことを伺えますか。

橋本淳 僕の父親は児童文学家(与田凖一)で、なぜか知らないけどいつも家にはいなかったです。だから自分が家族の父親代わりっていうか、早く世の中に出なくちゃっていう気持ちがあった。(青山学院)大学の3年から4年に上がる春休みに学校から呼び出されて「このままじゃ留年だ」とか怒られましてね。学校の推薦するところで就職の手続きを1回通過しないと留年だと。青学でも探してやるっていうことになったんだけど、たまたま同級生が、「すぎやまこういちっていうのが兄貴と同級で親しいから就職を頼んでやるよ。フジテレビっていう出来たばかりのテレビ局にいるから、なんか仕事くれるかもしれない」っていうんで、すぐさま言われたとおりにすぎやまさんのお宅を訪ねたんです。

── その時にすぎやまこういちさんの同級生だった青島幸男さんもいらしたそうですね。

橋本淳 そうそう、よくご存知で。あの頃青島さんは『おとなの漫画』っていう番組をすぎやまさんと一緒にやっていたから。『ザ・ヒット・パレード』と『おとなの漫画』の打ち合わせを1週間分やっていて、1時に来いって言われてたのに、待ってても夜10時過ぎても終わらないんです。それでも待ってたら、「おまえ何しに来たんだ!」って言われて、「ここで職を探してるんです!」って言ったら、「いや、俺はいい人じゃないから、そんな知らないやつの就職なんか興味ないよ」とか言われて、仕方ないから帰ろうとしたんだけど、話しているうちに僕の父親が与田凖一ということにも興味を持ったみたいで、いきなり「明日から来い!」ということになった。それで車の運転や番組の手伝いとかをやるようになるんです。



── 筒美京平さんと知り合われたのはさらに前に遡るんですよね。





橋本淳 Hashimoto Jun
1939年生まれ。青山学院高等部時代に1年後輩の筒美京平と知り合う。フジテレビのプロデューサーであり後に作曲家として大成功するすぎやまこういちの私設アシスタントを経て、’66年、作詞家としてジャッキー吉川とブルー・コメッツの「青い瞳」でデビュー、同「ブルー・シャトウ」(’67年)で初の『日本レコード大賞』を受賞。ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」(’68年)などに代表される大ヒットで“GSで最も売れた作詞家”として知られている。ミリオンセラーとなったいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」(’68年)をはじめ、橋本淳(作詞)×筒美京平(作曲)作品は550曲を超え、筒美京平がコンビを組んだ作詞家では最も多い。

平山みき&野宮真貴
「アーティスト/ホットな地球よ」

2024年2月14日発売
DDCB-12985/2CD/3000円(税込)
SPACE SHOWER MUSIC

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Disc1
「アーティスト」
作詞:橋本淳/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀
「ホットな地球よ」
作詞:橋本淳/作曲:筒美京平/編曲:本間昭光

Disc2(Bonus Track)
2023年9月18日開催・ビルボードライブ東京
「野宮真貴、渋谷系歌謡曲を歌う。」からのライブ音源
①MC
②くれないホテル/野宮真貴
③Hey Girl/野宮真貴
④真夏の出来事/平山みき
⑤いつか何処かで/平山みき
⑥フレンズ/平山みき&野宮真貴
⑦アーティスト/平山みき&野宮真貴
⑧ダンシング・セブンティーン/野宮真貴


https://music.spaceshower.jp/news/251779/




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