2024年1月号|特集 ガールポップ’90s
【Part1】谷村有美 スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2024.1.24
インタビュー・文/まつもとたくお 写真/上飯坂一
ガールポップというと、この人の存在を無くして語ることはできないだろう。谷村有美は、誰もが認めるガールポップの頂点と言っていいのではないだろうか。デビューは1987年だが、90年代には常にガールポップを取り巻くシーンの中心に立っていた。実際、’92年に創刊した雑誌『GiRLPOP』は、何度も表紙を飾っただけでなく、毎号欠かさずなんらかの記事が掲載され、まさに彼女のための雑誌といっていいほどの内容でもあったくらいだ。
では、谷村有美本人は、ガールポップ・ブームの渦中で、何を思いどのようなスタンスで音楽活動を行っていたのか。ここではデビューから現在に至るまでの活動を本人に振り返っていただき、なぜ彼女が永遠のガールポップ・シンガーであるのかを探ってみたいと思う。
ファーストアルバムは、これから出会うであろう人々や未来を信じる、という決意を込めて『Believe In』にした。
――先日、単独コンサート『谷村有美と過ごすハートフルなクリスマスVol.21』(2023年12月9日、品川インターシティホール)を観させていただきましたが、ステージングが昔と変わらないどころか、さらに洗練されたような気がします。
谷村有美 本当ですか?
――はい。今の自分にとって歌いやすいキーに変えたり、オリジナル通りに歌わずにフェイクを入れたりとか、キャリアのある方がしがちなことを一切しない。にもかかわらず、相当フレッシュ感がありました。
谷村有美 いつも原点回帰を心掛けています。コンサートを開催するたびに事前に過去のアルバムをちゃんと聴き返しますし。今回は特にオリジナルに忠実に再現しました。楽曲のキーを下げたことは一度もありません。
――サポートのミュージシャンの演奏も良かったです。特に鍵盤やトランペット、コーラスを担当した……。
谷村有美 荻原和音さん。素晴らしいでしょう!
――谷村さんの歌と演奏を的確にサポートしていましたし、アドリブも上手かったですね。
谷村有美 本当にありがたくて、気持ちもいい人だし。何より楽しんでやってくれるのが嬉しい。2023年の私的ヒットのひとつですね(笑)。素晴らしい出逢い。もう絶対に手放せない人。
――荻原さんは幼い頃からクラシックを学んできた方だそうですが、その点では谷村さんも同じですよね。だから波長が合ったのかもしれません。
谷村有美 私の場合、2歳のときに幼稚園の見学に行って、そこに置いてあったピアノに興味を持ったのが始まりです。「あの黒い箱は何? あれを買って!」ってなって。私、これまでの人生で親にねだったことがほとんどないんです。ねだったのはピアノとオセロゲームと自転車ぐらい(笑)。それで、せっかくピアノを購入したんだから基礎をきちんと学ばせようと、両親がクラシック専門の先生をつけてくれて。
――習い始めからかなり本格的だったんですね。
谷村有美 しかも礼儀作法に厳しい方で、始める前にきちんと挨拶をして、終わったら「ありがとうございました」と必ずお礼を言う。だから作法の先生に会っているような感じで、ピアノを習っていた記憶が全然残っていないんです。
――歌に関してはいつから興味を持ったのですか?
谷村有美 幼稚園に通っていた頃から好きでしたよ。音楽に力を入れている園だったので、リトミック(音楽を聴いて感じたことを身体で表現する教育法)も取り入れていましたし。でも小学校に入ったばかりの頃、生徒全員で校歌を歌っていたら前にいた男の子が振り向いて 「お前の声うるせえな。変な声!」って言われたんです。ショックでした。それで家に帰って自分の声をラジカセで録音して聞いてみたら確かに変だなと……。
――自分の声って録音して聞くと大抵そうなっちゃいますよね。
谷村有美 「これはひどい」と傷ついてしまって。だから人前で声を出したくないから、クラスで合唱する機会があっても歌わずに伴奏をやっていました。それでも小学校の中高学年くらいで仲良くなった友達とはしょっちゅう集まってはキャンディーズや合唱曲をハモっていたので、歌自体は嫌いじゃなかったです。
――クラシック以外のジャンルをやり出すのはいつ頃だったのでしょうか。
谷村有美 小4のときに、友達のお兄ちゃんがやっていたバンドから「ピアノが弾けるメンバーがいないから、君が弾いてよ」って声がかかったのが最初です。ビートルズの「レディ・マドンナ」や「イン・マイ・ライフ」をカヴァーしたんですが、私は絶対音感があるのでチューニングがおかしいのがとにかく気になりましたね。ドラミングとか「なにこの音は?」と思いながら聴いていましたし(笑)。それでも演奏するって楽しいことだと、このバンドを通じてインプットした気がします。
――中学生になってからポピュラー・ミュージックへの興味が一気に高まった感じですか?
谷村有美 そうですね。あくまでも本道はクラシック。バリバリの。でも、カシオペアやリチャード・ティー、そしてビリー・ジョエルに影響を受けました。その後、渡辺貞夫さんとか、パーシー・フェイスやグレン・ミラーとか。そうした流れでジャズ的なアンサンブルもやるようになりました。もちろんクラシックも並行して続けていたんですが。単身海外留学した時にピアノを演奏するとその場がひとつになるという経験をしました。一瞬で理解してもらえる。リスペクトと共に。まさに鳥肌が立つような経験です。
――高校時代はどうでしたか?
谷村有美 表向きはあくまでもクラシック一辺倒でした(笑)。学校や予備校の合間にフュージョン・バンドでキーボードを弾いていました。当時は、音楽雑誌や楽器屋店でキーボードが弾ける人を募集していたんです。フュージョンのキーボードはとにかくあちこちで探していて、スタジオでのレコーディングを手伝ってお金をいただいたり。音大進学の準備をしつつこっそりプロ指向への気持ちが芽生えたわけです。
――谷村さんは大学生だった’86年にCBS・ソニーが主催するオーディション『ティーンズ・ポップ・コンテスト』で優勝します。当時はどんなアーティストになろうと思っていたのですか。
谷村有美 具体的なビジョンはなかったです。大学時代はオリジナル曲やカシオペアのコピーバンドであちこちに出場していました。その後、女優やタレントのオーディションのお誘いがいくつかあって、特技としてピアノ演奏を披露したりしているうちに、「音楽って武器になるな」と感じていたんです。そうこうしているうちにソニーの方が私を見つけてくれて「今度デビューするバンドでキーボードをやる子を探しているから、紅一点でどう?」みたいな話をいただいて。その流れでなんとなく『ティーンズ・ポップ・コンテスト』をひとりで受けたら優勝してしまいました。
――谷村さんご自身も相当ビックリされたのではないでしょうか。
谷村有美 「受けるぐらいだったらいいか」と気軽に応募したので、まさか優勝するとは思いませんでした。バンドのメンバーにも言えないし、半年ぐらいグズグズしていたら、当時のCBS・ソニーの井上社長から、「もう動き出しなさい」って言われて。そこからソロシンガーとして本格的に歩み始めたという感じでしょうか。
――そして’87年にシングル「Not For Sale」とアルバム『Believe In』でデビューしました。
谷村有美 『ティーンズ・ポップ・コンテスト』で優勝すると20社以上のレーベルやプロダクションからオファーがあったんですが、その中のひとつ、ハートランドに所属が決まったんです。社長さんから「あなたはシンガー・ソングライターだから」と言われて、「はあ、私はシンガー・ソングライターなのか」と実感するようになり、作詞・作曲がマストになったんだと思います。そんな流れで書いたのが「Not For Sale」と「予感〜I’m ready to love~」です。
谷村有美
『Believe In』
1987年11月21日発売
――作曲するのは初めてだったのですか?
谷村有美 以前からインストゥルメンタルはたくさん書いていました。でもせっかくなので「新規で歌ものを書いてみたら?」って多分言われたんだと思うんですよね。それで作ったのが「Not For Sale」で、明け方の4時ぐらいに部屋のカーテンの色が明るくなるのを見ながら作り上げたっていう記憶があります。
――この曲は好意的な評価が多かった印象があるんですが、デビューしたての新人としては大きな自信になったのではないでしょうか。
谷村有美 そうですね。特にミュージシャンの方々に誉めていただきました。レコーディングに参加してくださった方々も「〈Not For Sale〉良いよね」って言ってくださいましたし。
――ニューミュージック的でありながら、フュージョンの要素もたっぷりある、ありそうでないタイプのサウンドでしたからね。
谷村有美 メロディは先にできていて後から「これに歌詞を付けなさい」と言われて完成した曲なんです。かなり悩んで作りました。私にとってピアノは自分の気持ちを表すツールだし、嫌なことがあっても鍵盤を弾くと気が晴れる。ピアノ演奏に関しては誰にも負けないし、ピアノがあればなんでもできると、心の支えのように思っていたんです。そこから生み出すものって空気みたいなもので、色もないし、匂いもないし、味もない。それをパッケージにして売るのかっていうところに一番引っかかって。「世の中に迎合して自分らしくないものに自分をはめていかないとだめなのかな」とか、余計なことをいっぱい考えてしまったんです。
――挨拶代わりの1曲を作るのは相当大変だったんですね。
谷村有美 それで事務所の社長さんとか周囲の人たちに相談したところ、「いやいや、そうじゃない。見たことのない新しいところへ行くために出すんじゃないか」とアドバイスをいただいて。それで「作った曲が売り物になったとしても、以前の自分と変わらない」と前向きになれたんです。
――そういう思いをノット・フォー・セール(非売品)と表現したわけですね。
谷村有美 ええ。とにかく自分を信じて、未来も信じようと。ファーストアルバムのタイトルも、これから出会うであろう人々や未来を信じたいという願いと決意を込めて『Believe In』にしました。
――あのアルバムでは八神純子さんの「パープルタウン〜You Oughta Know By Now〜」や松田聖子さんの「青い珊瑚礁」、渡辺美里さんの「My Revolution」などの編曲で知られるベテランの大村雅朗さんが全面的にバックアップしています。
谷村有美 ファーストアルバムのアレンジとプロデュースは大村さんが決まっていました。おそらくレコード会社と所属事務所で決めたことなんでしょうけど。恵まれたデビューになりました。
――それから2枚目、3枚目とアルバムを制作するなかで、様々な作家とコラボレートしていくわけですが…。
谷村有美 すべて楽しかったですよ。アーティスト谷村有美のカラーを作っていただいたという感じです。有賀啓雄さん、松本晃彦さん、溝口肇さんとか、今振り返ってみると、すごい方ばかり。もう必死でした。
(【Part2】に続く)
谷村有美(たにむら・ゆみ)
●シンガー・ソングライター。’87年11月21日、シングル「Not For Sale」とアルバム『Believe In』でデビュー。ピアノを駆使し叩くように演奏するライブには定評がある。エッセイ、特にラジオ・FMプログラムでのDJとしての実績も多数。
「Tonight/HALF MOON」アナログ盤シングルが、アナログ盤復刻企画「オーダーメイド・ヴァイナル」にエントリー中。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/YumiTanimura/
https://ameblo.jp/digi-yumi/
https://twitter.com/tanimurayumi
https://www.youtube.com/@yumitanimura_official
谷村有美オンラインコミュニティ「おしゃべりカフェ」では、毎週月曜日20時〜「それなりにプラス」好評配信中♡
https://fanicon.net/fancommunities/1669
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【Part2】谷村有美 スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2024.1.30