2024年1月号|特集 ガールポップ’90s

【Part1】|ガールポップ’90s対談:長井英治×栗本斉

対談

2024.1.5

文/真鍋新一


 90年代J-POPシーンのひとつの潮流として数えられる、ガールポップと呼ばれるムーヴメント。’92年に雑誌『GiRLPOP』が創刊され、その名の冠が付いたライヴ・イベントまで行われるようになったとはいえ、ミリオンヒットの時代においてはニッチなブームであったと言えるだろう。しかし、昨今のシティポップ・ブームに付随するかのように、90年代のガールポップが少しずつ再評価されつつあるという。

 ここでは、女性シンガー・ソングライターを専門にラジオや雑誌などで紹介し続けてきた音楽ライターの長井英治と、書籍『「90年代J-POP」の基本がこの100枚でわかる!』を始め90年代の音楽シーンについて執筆することも多い音楽ライターの栗本斉が、ガールポップを取り巻く当時のシーンを徹底討論。90年代のガールポップとはいったいどんなムーヴメントだったのかを、今一度じっくりと検証してみた。

ガールポップは音楽に詳しい人たちは真剣に聴かないジャンルだった


栗本斉 今日は特集「ガールポップ’90s」ということで、当時のソニー・マガジンズから出ていた頃の『GiRLPOP』のバックナンバーをたくさん用意してみました。年に1度くらいの頻度で「ガールポップ大名鑑」という別冊付録がついていて、これは’95年版なんですが、ここに250人分のアーティストが載っています。

長井英治 あぁ、読むと思い出しますね。こんな人いたなって。

栗本斉 でも、ここに“載る or 載らない”の基準がよくわからなくて、「とりあえず女性シンガーは全部入れとけ」みたいな。

――trfもここに入るんですか。

栗本斉 女性(YU-KI)がメインヴォーカルですからね。

長井英治 ユーミン(松任谷由実)や(中島)みゆきさんは別に載せなくてもいいんじゃない?(笑)アン・ルイスや吉田美奈子も入っているし。

栗本斉 世代もスタイルも差別なくなんでも、という感じですね。

長井英治 こういうところに中森明菜を混ぜないでほしいよね……。みんな好きなんだけど、女性シンガーなら誰でもいいというわけじゃないはずですよ。

栗本斉 『GiRLPOP』という雑誌は’92年に創刊されたんですが、その時点では「ガールポップ」という言葉を使っていました?

長井英治 あったのかもしれないけど、世間には浸透していなかったと思う。レコード会社が苦肉の策で、特定のジャンルに入りきれない若い女性アーティストの作品をいつからか「ガールポップ」と呼ぶようになったと思います。若者向けの音楽だけどロックでもないし渋谷系でもない、という人たち。

栗本斉 『GiRLPOP』がそうした層の女性アーティストを紹介する受け皿になっていたのは確かです。女性シンガーが好きな音楽ファンは、これを読めば同系統のアーティストをほぼ網羅できたわけで、そういう意味では貴重なメディアでしたよね。それで、この雑誌が結果的にシーンの中心になった。

長井英治 本当に救世主だったと思う。ちょうどいい雑誌が他になかった。

栗本斉 『ワッツイン』や『CDでーた』といった音楽情報誌だと小さくしか載せてもらえないですしね。これは業界的な話ですけど、ジャンルを規定するキャッチコピーというか、そういう便利な言葉があるとレコード会社の編成会議で話が通りやすいという事情は当時からありました。「ガールポップ」と言っておけば「あぁ、ああいう路線で行くんだね」と社内でイメージが共有できますから。

長井英治 レコード会社的には「渋谷系として売っていきたい!」と思っていても、渋谷系というカテゴリの厳しい基準に達しなくてガールポップに括られてしまったアーティストもたくさんいましたし。


永井真理子
『Tobikkiri』

1988年9月27日発売



栗本斉 定義があいまいなのはシティポップと同じで、実は厳密なジャンルではないんですよね。だからガールポップはいまだにモヤッとした、つかみどころのない音楽シーンの塊みたいに思われているのかもしれないんですけど。

長井英治 うん。そこがまず微妙だった。僕はCDショップの店員として作品やシーンの雰囲気を理解できていたからいいけど、レコード会社にもメディアにもガールポップをよくわかってない人が多かったし、そのせいでアーティスト自身がすごくつらい目にも遭っていたから。

栗本斉 「ガールポップ」と呼ばれることがつらいということですか?

長井英治 それ以前に世間の評価が低すぎて、というか。90年代はまだ昭和の男尊女卑の価値観をばっちり引きずっていたから、あいさつ回りに行って偉い人にエロい目で見られたり、取材で記者にヘンな質問をされたり、そういうイヤな話は後になってからずいぶん聞きましたよ。

――それはあまりにもひどい受難ですね……。

長井英治 もっと救われないのは、こういうガールポップなるシーンを盛り上げようとしていた偉い人たちはみんな昭和のおじさんだったこと。レコード会社の偉いおじさんたちはよく、「OLにウケるように作れ!」とか言っていたじゃないですか。「あなたたちの考えるようなことはOLにはウケないよ……」って内心いつも思っていたけど(笑)。ガールポップにはそんな90年代特有のムードや視点が凝縮されているんですよね。それが良いとか悪いとかでなしに、作品を聴くとそういう要素をいまだに強く感じるんです。

――もしかしてガールポップの音楽性がちゃんと評価されるようになったのってつい最近のことなんですか?

長井英治 そうかもしれないです。こうやってガールポップの時代について公の場で話をするのは、僕自身初めてのことですし。


谷村有美
『Hear』

1989年6月21日発売



――えっ、それはすごく意外です。

長井英治 もちろん自分のラジオ(FMおだわら『ファムラジオ』)では頻繁に特集しているし、コアな音楽ファンの間での再評価は始まっているけれど、総括しようという人が誰もいなかった。僕らより年上で音楽評論をされている方々は世代的に洋楽だったりシティポップだったりが好きで、ガールポップは音楽に詳しい人たちは真剣に聴かないジャンルだった。

――例えばシティポップで再評価されている作品は、業界ウケはしていたけどセールスが良くなかったっていうケースが多いと思うんですけど、ガールポップは業界ウケさえしてなかったということですか?

長井英治 していなかったと思います(笑)。業界には洋楽志向の人がたくさんいたし、ハッキリ言って下に見られていたと思いますね。

栗本斉 当時の音楽批評のテーブルに乗っていなかったことも痛手でしたよね。90年代に入って邦楽の音楽性がバッと広がったじゃないですか。『「90年代J-POPの基本」がこの100枚でわかる!』にも書きましたが、渋谷系があって、その周辺のクラブミュージックや、本格派のシンガーもたくさん出てきて、それなりに売れていましたよね。でも、そこと比べてもルックスやアイドル性が前に出ているガールポップはたしかに軽く見られていた気がします。

長井英治 当時はとにかく「バーン!」とアーティストを祭り上げるだけで、音楽性がどうこうって話には全然ならなかったし、自分みたいな変わった趣味の人間が熱心に支持し続けていたわけで。

栗本斉 そういう意味なら森高千里は音楽ファンにちゃんと発見されて、当時から一定の評価を受けていましたけれど、でもそれくらいですね。


森高千里
『非実力派宣言』

1989年7月25日発売



長井英治 業界のおじさんたちにまだ権力があった時代だから、偉い人の思い通りにみんなが動いていたようなところもあって、90年代にガールポップ系が乱発された背景もそこにある。リリースの量も異常だった。だから埋もれちゃったり、こぼれちゃったりした良い作品がまだまだ無数にあるんですよね。良いものを作っていても、時代に合わないと売れないんだなぁって。ただ、本当に良いものは、後の時代になってからでもちゃんと発見される。

栗本斉 では長井さん的にガールポップをカテゴライズすると、どういう説明になるんですか?

長井英治 「アイドルではなく、シンガー・ソングライターでもなく、ヴォーカリストでルックスが良い人」……ということになるんじゃないかな。ルックス込みのヴォーカリスト。

栗本斉 ルックス込み……そうですよね。そうでなきゃアーティストのビジュアルがこんなに前面に出ている雑誌も出てこないですし。

長井英治 90年代はまずビーイング系がいて、それから小室ファミリーがブームになって……という流れだったけど、ガールポップは常にその下にいた。誰もチャート1位とか、メガヒットを出してないじゃないですか。ベストテンには入っても1位になりきれない、突出できないところもガールポップの魅力だったような気がする。常に「もうちょっと売れてくれたらいいのに!」っていう立ち位置にいるんです。

栗本斉 それは本質をついているかもしれませんよ。そこで男性ファンがひとつになってアーティストを応援しているようなムードもありましたし。

長井英治 彼らはアーティストを囲いたがるし、口コミを広げないで、ひとりでCDをたくさん買って応援するファンもいた。ただし、森高さんくらいブレイクすると女の子のファンも増えてきて、そういう人たちは太刀打ちできなくなっちゃう。極端なことを言えば、「10万枚以上売れた人はガールポップと呼んじゃダメ」みたいなイメージさえあって、売れてファン層が広がって、アーティストが独自の世界を築くようになると、ガールポップの枠に収まらなくなってくるというジレンマに苛まれる(笑)。

栗本斉 僕も「ガールポップとは?」と聞かれた時の答えは長井さんとほぼ一緒なんですよ。やっぱりルックスだけじゃなくて、歌唱力も必須だと思います。でも、本格的なR&Bを歌うUAやMISIAのような人は歌唱力があってもガールポップには混ぜられない。あくまでもキュートな声質がガールポップ向きで。

長井英治 それはある。Coccoも絶対ここには入らないし。’98年の歌姫ブームで次々と新しいシンガーが出てきたけど、「あ、時代が変わったんだ」って当時ハッキリと感じたし、モーニング娘。のデビュー曲「モーニングコーヒー」が’98年の1月なんですよ。この年に宇多田ヒカルや椎名林檎、浜崎あゆみが出てくるから、そうなるともう、ひとたまりもない。


モーニング娘。
「モーニングコーヒー」

1998年1月28日発売



――では今回の特集をまとめるにあたっては、ガールポップのシーンは’97年で一旦おしまい、というのがお2人の共通した認識だったんですね。

長井英治 それがね、最初はそのつもりじゃなかったんですよね。

栗本斉 結果的にそうなってしまったんです。

長井英治 今回、特集のディスクレビュー候補をリストアップしてみたら、’98年以降の作品はガールポップとはどうしても呼べなかったので、紹介するアルバムは’90年から’97年までの作品なんですけど、それは本当に偶然。そこだけは自分のなかで明確な線引きができていたんだなと、後で気がついた(笑)。

栗本斉 ガールポップって本当に奥が深いですよ。時代やアーティストの区切り方も含めて解釈が人それぞれなので。

【Part2】に続く)




長井英治(ながい・ひではる)
●1967年東京生まれ。1990年から2006年まで、都内大手CDショップにて勤務。その後は、音楽ライターとしてCDの監修等を手掛ける。2013年、書籍『日本の女性シンガー・ソングライター』刊行(シンコーミュージック)。現在、『ラジオ歌謡選抜』、『ファムラジオ』(FMおだわら)、『ミュージックチャージ』(InterFM)と、ラジオのレギュラー3本に出演中。その他、QVCに出演しソニーミュージックの通販BOXの販売も行っている。最新の仕事のひとつに、通販向けCD-BOX『春の歌~J-Spring~』の全曲解説などがある。

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栗本斉(くりもと・ひとし)
●音楽と旅のライター、選曲家。ウェブマガジン「otonano」エディター。1970年生まれ。レコード会社勤務時代より音楽ライターとして執筆活動を開始。退社後は2年間中南米を放浪し、帰国後はフリーランスで雑誌やウェブでの執筆、ラジオや機内放送の構成選曲などを行う。開業直後のビルボードライブで約5年間ブッキングマネージャーを務めた後、再びフリーランスで活動。2022年2月に上梓した『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)が話題を呼び、各種メディアにも出演している。最新刊は2023年9月に発表した『「90年代J-POPの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)。

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