2024年1月号|特集 ガールポップ’90s
【Part1】渡瀬マキ スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2024.1.5
インタビュー・文/池上尚志 写真/上飯坂一
90年代に巻き起こったガールポップのムーヴメントは、主にソロの女性ポップス歌手やシンガー・ソングライターを中心としたシーンとして認知されている。その誕生のきっかけとなったのがソニー・マガジンズから刊行された雑誌『GiRLPOP』で、’92年に創刊されている。その創刊号の表紙を飾ったのが渡瀬マキだった。
アイドル歌手・渡瀬麻紀として’87年に18歳でデビュー。活動は順調かに見えたが、アイドルとしてはシングル3枚のみを残し、バンド活動へとシフト。’88年にリンドバーグを結成して、’89年に再デビューを果たす。’90年にセカンド・シングルの「今すぐKiss Me」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得し、以降、順調にヒットを出し続け、日本を代表するロック・バンドへと成長した。’02年に渡瀬の出産・子育てのために解散するも、デビュー20周年の’09年に1年限定の再結成を経て、’14年に本格的な再結成。現在も順調に活動を続けている。
そんな“バンドの人”であるはずの渡瀬マキはなぜガールポップなのか。このインタビューからは、そんな渡瀬の“らしさ”というものが読み取れると思う。“チャンマキ”の愛称で知られる明るいキャラクターや、アイドル時代に話題となった、三重県鳥羽市出身ならではの鳥羽弁も健在。柔らかい関西弁のイントネーションを想像しながらお読みいただきたい。
“「今すぐKiss Me」のリンドバーグさん”についていくのが、めちゃくちゃ大変だった
――まず、バンドの結成前からお聞きします。アイドルを辞めた理由なんですが、アイドル活動に感じた違和感というのは何だったんでしょうか。
渡瀬マキ 多分ね、全部だと思います。シングルを3枚出してもらうんですけど、いただいた曲は本当に素晴らしい曲で、だけど、歌ってる曲もそうだし、歌ってる場所もそうだし、やってることもそうだし、とにかく漠然と居心地が悪かった。
――そしたら、あっという間にアイドルを辞めて、バンドになっちゃった。
渡瀬マキ 本当にありがたい話というか、恵まれてるといいますか、事務所の社長さんがね、「どうしたんだ?」って聞いてくれたんですよ。当時はアイドル大集合みたいなイベントがたくさんあったんですけど、衣装からして嫌になってくるんですよね(笑)。これどうにかできひんかなぁ思って、自分の着たい服を持っていって、それを勝手に着て。普通は許されないですよね。何で許してくれたんやろ?(笑)
――その前に、その喋り方があったと思うんですよ。アイドルが訛り全開って、当時はありえなかったですよね。
渡瀬マキ それも事務所の人のおかげですね。「もうそのままでいいから」って言ってくれて。
――その路線でずっといっていたら、バラドルの第一号になっていたかもしれないですよね。
渡瀬マキ それは思います。もうそうなりかけてましたよね(笑)。よくクイズ番組とかに出させてもらってましたし、もうバラエティに片足入れてました。そういうところは全然居心地悪くなかったんですよ。そういう番組に出て歌以外のことをするときは伸び伸びやらしてもらってたし、全然嫌じゃなかったです。
――じゃあどうするんだということで、バンドを組むことになったわけですね。
渡瀬マキ いやなんかね、バンドじゃなくても別によかったというか。アイドルのときに、事務所がバックバンドの人を探してきてくれたんですね。そこに平川達也(g)がいたんです。私はノートに思ったことを日々書き溜めてたから、「こんなの書いてるんですけど」って見せたら、(平川が)これに曲をつけてきてあげるって、次のリハーサルのときに曲を作ってきてくれたんです。それを演奏してもらって歌ったときに、「うわぁ~これや!」って思ったんですよ。
――それがファースト・アルバム『LINDBERG I』(’89年)に入っている「MINE」って曲ですね。
渡瀬マキ はい。ただ、私の中ではそれがバンドとは全然結びついてなかったですね。自分の書いた歌詞にメロディーがついたっていうことに、私はこれがやりたかったんかなって思っただけなんですよ。たまたま平川達也が、川添(智久、b)くんと小柳(”cherry”昌法、ds)くんを、バンド組むならこの2人って呼んだだけであって、私はバンドというものに対して、そのときは何にも考えてなかったです。
リンドバーグ
『LINDBERG I』
1989年4月25日
――当時は、まさにガールポップと言われるものの始まりの時期だったんです。80年代の終わりぐらいになると、アイドルがロックっぽい曲を歌い出すんですね。例えば、森高千里さんがステージでドラムパッドを叩きながら歌ったりとか。
渡瀬マキ 千里ちゃん、同期なんですよ。
――そこで疑問だったのが、なぜ“渡瀬マキ & リンドバーグ”にならなかったのかなんです。
渡瀬マキ ああ~! 今まで一度も聞かれたことないかも、その質問。あのね、もうハナから、誰ひとりそんな案を言う人はいなかったですね。社長含め。話に出たこともないですね。私も思ったことが一度もない。本当に今初めて言われました。
――そうなんですか。事務所としてはマキさんを売りたいはずだから、マキさんがバンドの一員であるってことにこだわりを持っていたんじゃないかって僕は想像していました。
渡瀬マキ 偶然です(笑)。でも、もし”渡瀬マキ&リンドバーグ”にしようよって言われてたら、もちろん全力で断っただろうな。”渡瀬マキ”に全然執着がなかったんですね。特に漢字の”渡瀬麻紀”に。リンドバーグになるときに、プロデューサーの月光(恵亮)さんが、「カタカナの”マキ”に変えるから」って。そのときも私、「ああ、うん、分かった!」ぐらいで(爆笑)。むしろ、全部漢字なのがカタ苦しいなって感じがしてたから、「スッキリしていいやん」って、一目で気に入りましたね。
――アイドルのイメージを払拭するというか、アイドル渡瀬麻紀から全く違うものにしたいから、リンドバーグっていう名前にしたという狙いもあったんですか。ちゃんとロック・バンドとして売りたいっていう。
渡瀬マキ 私にはなかったですけど、スタッフにはあったかもしれないですね。だって、私なんか全然ロックじゃないし(爆笑)。
――そういう、「私なんかロックじゃない」って言ってしまう人が(笑)、自分で音楽を作っていくことになるわけですね。特に楽器隊の皆さんは既にプロとしての活動歴がある方ばかりで。
渡瀬マキ いちばん苦労したのはやっぱり歌ですね。ファースト・アルバムの時はどんだけ泣いたかなって感じ。歌えなくて。「BAD IN BED」(ラフィン・ノーズのPONとNAOKIが作詞・作曲)とかね、“バディンベー! バディンベー!”ですよ。本当、レコーディングは辛かったな。私だけがついていけへんっていう感じがすごくあったんですよね。メンバーはすぐできるのに、私がメンバーの足を引っ張ってる、どうしよう、みたいな感じが最初からあったから。でも、今までやったら誰にも共有できなかった出来事や感情とか、どこにも出さずに終わりだったものがこんな形で表現できるんだということは、すごい喜びでしたね。
――4枚目の『LINDBERG IV』(’91年)くらいまでは手探り感がありつつも、すごく感情がストレートに出ている感じがしますね。でも、それを誰か別の主人公に歌わせているんじゃないか、みたいな気もするんですよ。
渡瀬マキ 例えば「LOOKING FOR A RAINBOW」なんて、まさにそんな感じだと思いますね。主人公の女の子に言ってもらってる。逆に「GLORY DAYS」はもう私自身って感じがする。
――1つ前の『LINDBERG III』(’90年)に入っていてすごく人気のある「LITTLE WING」も、その頃のバンドの置かれた状況やその時の気持ちを歌ったように聞こえますね。
リンドバーグ
『LINDBERG III』
1990年4月21日
渡瀬マキ 実はこれはね、チャールズ・リンドバーグさん(初の大西洋単独無着陸飛行に成功)のことを勝手にイメージして、代弁してる気持ちで書いた歌詞なんですよね。だって、墜落して死んじゃうかもしれないんですよ。どんな勇気なんですか。
――ライヴの一発目で歌うことが多かったし、バンドのテーマ・ソング的な感じだし、僕の中では「今すぐKiss Me」よりもこっちの方がインパクト強いんです。
渡瀬マキ それは嬉しいな。だって「今すぐKiss Me」は書いてないもん、私。
――そういえばそうだ(笑)。「今すぐKiss Me」はドラマの「世界で一番君が好き!」の主題歌用ってことで、制作の時間がなかったんですよね。
渡瀬マキ そう。1週間しかなかったの。私も頑張って書いたよ。書いたけどさ、プロの作詞家さんに、すでに月光さんが頼んであるんやもん。ドラマのオープニングで三上博史さんと浅野温子さんがキスをするから、“キス”って言葉を使ってくださいって、作詞家の先生はそう言われて書いたみたいなんですよね。でも私にはそんなん教えてくれへん。普通に書いて提出したら、「はいーだめー」なんて言われて、「くっそー」と思って。
――それで「今すぐKiss Me」が大ヒットして、“リンドバーグの1週間”ですね。1週間のうちにエッグマン、日本青年館、渋谷公会堂をやるという。直前までライブハウスでお客さん10人だったのに、そこで一気に風景が変わるわけじゃないですか。
渡瀬マキ 変わってない(笑)。だって、智ちゃんなんか電車賃がなくて必死で家の中を探して150円かき集めて渋公まで来たんですよ。帰りの電車賃もないからスタッフに借りて帰ったっていうぐらい。だから、“「今すぐKiss Me」のリンドバーグさん”がめちゃくちゃ上に行っちゃって、自分たちはこんな下にいてね。ものすごい差をつけられてしまった感じ。だからそこについていくのに、我々4人はもうめちゃくちゃ大変でしたよ。
リンドバーグ
『LINDBERG IV』
1991年4月19日
――それが追いついたのはどの辺の時期になるんですか。『LINDBERG IV』(’91年)から「BELIEVE IN LOVE」がヒットした頃?
渡瀬マキ 「BELIEVE IN LOVE」はダウンタウンさんの「夢で逢えたら」のオープニング曲だから、そうですね。この頃は全国ツアーもすごいやってるから、やっぱ全国ツアーに行きだしてからかな。やっと、実感が湧いた。だって、ヒットスタジオに出てたって、達ちゃんとチェリーと智ちゃん、曙橋の銭湯でお風呂入ってますからね。リハーサルやって、生放送の本番までの時間、自分ちにお風呂ないからみんなで風呂行こうぜって(笑)。
(【Part2】に続く)
渡瀬マキ(わたせ・まき)
●1989年、LINDBERGのヴォーカリストとしてシングル「ROUTE 246」でデビュー。シングル「今すぐKiss Me」はフジテレビ「世界で一番君が好き!」の主題歌に、「BELIEVE IN LOVE」はフジテレビ「夢で逢えたら」のオープニング曲に起用。2002年のツアーを最後に解散。その後はアーティストのプロデュース、楽曲提供をしながらも、2009年に自身のソロライヴを初開催。同年LINDBERG結成20周年を機に1年間の限定でLINDBERG再活動。2014年、LINDBERG結成25周年にはバンドを完全復活させ、ソロ活動と併行して現在も精力的に活動中。
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【Part2】渡瀬マキ スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2024.1.12