2023年12月号|特集 西城秀樹
【Part4】|西城秀樹ミュージック・ストーリー
解説
2023.12.21
文/小川真一
(【Part3】からの続き)
ライヴ・パフォーマーとしてのヒデキの姿を記録した80年代のライヴ音源
80年代に入ってからも、ヒデキは進化し続ける。その両軸に、ライヴとロックがあったことは言うまでもないだろう。洋楽の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を〝西城秀樹の新曲〟として大ヒットさせたヒデキにとって、「愛の園」は、あらたな挑戦であったと思う。
’80年3月にヒデキの32枚目のシングルとしてリリースされた「愛の園」は、スティーヴィー・ワンダーが作った曲で、スティーヴィーの’79年のアルバム『シークレット・ライフ』の中に収められている。スティーヴィー・ワンダーといえば、「サンシャイン」「迷信」「愛するデューク」「可愛いアイシャ」などで知られる伝説のソウル・シンガーで、世界中のミュージシャンから尊敬を集める存在だ。そのスティーヴィーの曲を“ヒデキの新曲”として歌ったのだ。
西城秀樹
「愛の園」
1980年3月21日発売
スティーヴィーのオリジナルは、子どもたちの声は入っているが本人は歌っておらず、インストゥルメンタルに近い作品となっている。そのメロディーに山川啓介が日本語の歌詞を書き加え、イエロー・マジック・オーケストラの坂本龍一が編曲をした。この坂本のシンセサイザーを使ったアレンジが素晴らしく、新たに作品を作り上げたと言ってもいいほどなのだ。残念ながらチャートの1位を獲得することはなかったのだが、スティーヴィー・ワンダーの曲を自身で歌いヒットさせたことは、ヒデキにとって大きな自信なったはずだ。
’80年の春には、東京・日比谷の日生劇場でロングラン公演を行っている。野外ライヴやスタジアム公演も凄いが、17日間に渡って日生劇場を満員にするのも、また別な意味で大変なことだったと思う。この公演の模様は、『限りない明日をみつめて / 西城秀樹』のタイトルでアルバム化されているが、洋楽のカヴァーを含めたメドレーがあったり、ミュージカル風の組曲があったり、実に多彩だ。少しアダルトなヒデキを演出しているようにも感じられる。こういった劇場用の曲が歌えるようになったのには、’77年に同じ日生劇場でおこなわれた劇団四季のミュージカル「わが青春の北壁」出演の体験もあったのではないかと思う。
この日生劇場のロングラン公演「限りない明日をみつめて」で興味深いのはエマーソン・レイク&パーマーの「セ・ラ・ヴィ」を取り上げていることだ。この曲のオリジナル・ヴァージョンは’77年のアルバム『ELP四部作』に収められている。エマーソン・レイク&パーマーといえば、『展覧会の絵』や『恐怖の頭脳改革』といったクラシックとロックとを融合させたプログレッシヴ・ロックのバンドとして有名だが、こんなリリカルな曲も作っているのだ。またそれを見つけてくるヒデキの眼力が素晴らしいと思う。グレッグ・レイクとピート・シンフィールドが共作した曲に、なかにし礼が詞をつけている。ヒデキの歌唱は、この名バラードをしっかりと自分のものにしているところが見事だ。
こういった劇場公演と並行して、恒例となった全国横断サマー・ツアー「BIG GAME」も続けられていた。’80年のツアーは、東京の後楽園球場をかわきりに千秋楽の大阪球場まで、全国15箇所で繰り広げられた。
西城秀樹
『BIG GAME ’80 HIDEKI JUMPING SUMMER in STADIUM』
1980年9月5発売
さらにロック色が濃厚になり、リッチー・ブラックモア率いるレインボーの曲が多く取り上げられているのが目を引く。興奮を煽るような「オープニング・テーマ」に次いで、レインボーの「アイズ・オブ・ザ・ワールド」が始まるのだが、これはまさにロック・コンサート。重量感のあるドラムスに躍動感に溢れたエレキ・ベースが絡みついていく。エレクトリック・ギターは当時鈴木武久とアルバトロスのメンバーであった伊丹雅博だろうか、そのギターが豪快に鳴り響いている。「アイズ・オブ…」「ロスト・イン・ハリウッド」「オール・ナイト・ロング」とレインボーの曲が3曲演奏されるのが圧巻だ。当時はよほどレインボーに入れ込んでいたのだろう。
ロック・ナンバーは、フォリナー、ジェファーソン・スターシップ、ユーライア・ヒープと強力路線が並んでいるが、それと同時にシティポップ系の洋楽がセレクトされていることにも注目したい。トニー・シュートの「アイランド・ナイツ」にしてもディック・セント・ニクラウス「マジック」にしても、70年代末から80年代にかけて、AORとして人気を呼んでいた曲ばかりだ。このあたりに目をつけたのは、ヒデキの慧眼だといえる。
さらに驚いてしまうのは、山下達郎の「BOMBER」を取り上げていることだ。この曲がリリースされたのは’79年でシングル「LET’S DANCE BABY」のB面として。つまりは、ほぼリアルタイムで、山下達郎をカヴァーしたことになるのだ。この「BOMBER」での登場シーンがすごい。ヒデキはなんとサイドカー(横に搭乗席のついたオートバイ)に乗って出てくる。そのサイドカーの上に立って歌い踊り、そのままグランドを一周するという大胆極まりない演出がなされている。こんなド派手なパフォーマンスが出来るのは、日本にヒデキしかいなかっただろう。
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【Part3】|西城秀樹ミュージック・ストーリー
解説
2023.12.15