2023年12月号|特集 西城秀樹

【Part4】片方秀幸(マネージャー)が語る"ロッカー・西城秀樹"

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インタビュー

2023.12.22

インタビュー・文/北村和孝(元『プレイヤー』編集長) 写真/島田香


でも、西城にとっては“リー・カースレイクのあのドラムでなきゃユーライア・ヒープの音は出せないんだ!”と。(片方秀幸)


【Part3】からの続き)

── 秀樹さんは海外でも成功するぞっていうモチベーションも強かったのですか?

片方秀幸 一時、バリー・マニロウとデュエットした時に “世界デビュー”というような話もあったんですけど、そうなると“最低でも1年はアメリカにいてくれ”という条件があって。西城は歌謡界で育ってきているので、1年間も日本での仕事を休むというのは選択肢になかったんですよ。常に人気者としてライヴやブラウン管で活動してきた人にとっては、“朝起きたらみんな俺のことを覚えてなかったらどうしよう!?”とか、そういう人気者としての不安はいつも付きまとっていたらしいです。ましてや“1年日本を離れている間に、西城秀樹が世間から忘れられてしまうのでは……”っていうのがいちばん怖いことで。


西城秀樹
「New York Girl」

1987年5月21日発売


── ’87年のシングル「New York Girl」はジョージ・デュークのプロデュースで、ダンサブルなサウンドといい、大滝詠一さんの『A LONG VACATION』を手掛けたことで著名な永井博さんがジャケットを書き下ろしたりと、再評価著しい楽曲なのですがこれもなかなか豪華なシングルでした!

片方秀幸 あれもLAのオフィスが、ジョージ・デュークに西城の楽曲をいろいろと聴かせてくれたみたいで、 ジョージ・デュークが“ヒデキだったらやってみたい!”という話になったらしくて、ジョージ・デューク(とシャラマーのハワード・ヒューイット)の作詞作曲でコラボが実現した感じです。秀樹さん曰く、ジョージ・デュークが連れてくる黒人の女性コーラスがとにかく上手いんですって。そこで“俺、ちょっと自信なくすわ”と秀樹さんが弱音を言ったところ、ジョージ・デュークが“何を言ってるんだ! あんなコーラスはアメリカにはごまんといるんだよ。ただヒデキ、君のような声の持ち主は世界で君しかいないんだから、自信を持て!”と言われたと。それで自信を取り戻してそれまで出ないような音域まで出るようになったと言ってました。その辺、やっぱりさすがはプロデューサーのジョージ・デュークだなと。

── 僕は完全に後聴き世代ですけど、フィジカル的にも日本人離れしていた秀樹さんは、欧米でも活躍できる可能性もあったんだろうなとは感じますね。

片方秀幸 さっきも言ったように日本の古い歌謡界の中で生きていた、ずっと足を置いていた人にとっては、長時間日本を空ける選択肢はなかったんですよね。今だったらバンドが1年海外でアルバム作りをやっていても全然OKじゃないですか? アルバムが出たらツアーに出て、たまにテレビに出てっていう。あの頃は1年中テレビやラジオや雑誌に出てないと不安だったみたいです。



── それこそ90年代に入ってから久保田利伸さんや氷室京介さんが渡米されたり、海外拠点でも活動する日本のシンガーやミュージシャンが出てくるわけですが、音楽だけじゃなくてマルチに活動されていた秀樹さんにとって選択肢にならなかったというのはちょっと皮肉めいた境遇でもありますね……。

片方秀幸 時代が違っていたら……という言い方はおかしいかもしれないけれど、それでも、やはり異なる時代だったらもっと世界に羽ばたいていたのかもしれないですね。


西城秀樹
『ファーストフライト』

1978年12月20日発売


── ’78年作の『ファーストフライト』で作曲を手掛けられたのを筆頭に、可能性的にはコンポーザー西城秀樹の方向性もあったと思います。結局はその方向には行かなかったのですが、“新御三家”の方々はみなさん楽器が出来たところは共通項でしたね。その辺は当時の他のタレントさんと圧倒的に違います。

片方秀幸 そうかもしれないですね。

── 今回11月に発売された復刻シリーズ第6弾のライヴ盤4枚(’80~’83年)ではそうした秀樹さんのミュージシャン的側面が活きていると思うんです。

片方秀幸 たしかに僕がコンサート制作を任されていた頃も、ドラムだけは合う、合わない、というこだわりがはっきりしていました。そんな理由からドラマーの入れ替わりが激しかったときもありました。どんなに上手いドラマーを連れてきたとしても、気持ちが入っていないとすぐに感じてしまうんです。どんなにテクニックのあるドラムの人でも西城秀樹の歌を聞く事もせずただ譜面通りに叩いている人は、だだ叩いているだけなんですよ。フロントマンとして歌っている時、感じるんでしょうね。いきなり“片方、あのドラムだと、歌えない”と……。要するにグルーヴなんですよね。難しいんですけど秀樹さんには秀樹さんのリズムがあるんです。そのリズム感を感じることができないと “このドラマーは楽曲に気持ちが入ってないな”とわかるらしいんですよね。だからドラムの変更はよくありました。ここ何年かはメンバーも落ち着いて、今はデビュー当時からGLAYをサポートしている永井利光さんと、以前は秀樹さんでプロデビューし、その後安室奈美恵さんや、今は木梨憲武さんをサポートしている渡辺豊さん。このふたりとの共演が多かったです。



 お二人は譜面で叩くだけではなく、ちゃんと西城秀樹の“歌”を聴きながら叩けるドラマーなんですよ。彼らも本当に忙しいんだけど、秀樹さんのコンサートになるとちゃんとスケジュールを空けてくれましたね。ただ、彼らですら西城とのドラムに関しては苦戦したこともあると思います。リハでどうしてもノリが噛み合わないときなど“違うんだよ! こうやるんだよ!”と西城が自ら叩いて見せる事もあるんですけど、けっこうバッタバタだったりするんですが(笑)。それでも“こうやって叩くんだよ!”と、手本を見せることによって、ノリとグルーブ感の表現を口で説明するより、自ら叩いて見せることによって相手に伝えるという秀樹さんなりのやり方なんです。。

── やらないといられないんですね(笑)。

片方秀幸 そんな秀樹さんの好きなドラムといえば、昔でいったら70年代はユーライア・ヒープのリー・カースレイクというミュージシャンなんですけど、わりと誰もあの人を上手いとは言わないんですよね(笑)。


ユーライア・ヒープ
『悪魔と魔法使い』

(1972年)


── オジー・オズボーンでも叩いていた名ドラマーではありますけど、たしかに多くの人にとって真っ先に名前が出てくるドラマーではないですね。

片方秀幸 でも、西城にとっては“リー・カースレイクのあのドラムでなきゃユーライア・ヒープの音は出せないんだ!”と。やっぱりこだわりをもっている人が聴くとそうなんだなと思いましたね。同じ時代でもジョン・ボーナムやイアン・ペイスではないんですよ(笑)。

── 先ほど、車の中で聴いていた音楽に秀樹さんが反応されるというエピソードがありましたが、片方さん側から意図的に秀樹さんに聴かせようとした音楽はありましたか?





片方秀幸 Katagata Hideyuki
1960年岩手県生まれ。大学卒業後1984年西城秀樹付き人ドライバーとしてアースコーポレーション入社。1989年マネージャーとなる。1999年アースコーポレーションチーフプロデューサー。約40年に渡って西城秀樹と活動を共にする。




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