2023年12月号|特集 西城秀樹

【Part3】片方秀幸(マネージャー)が語る"ロッカー・西城秀樹"

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インタビュー

2023.12.18

インタビュー・文/北村和孝(元『プレイヤー』編集長) 写真/島田香


「アイ・シャル・ビー・リリースド」はボブ・ディランのカヴァーという方が多いのですが、これは西城が大好きなベット・ミドラーのヴァージョン。ジミー・クリフの「メニー・リバース・トゥ・クロス」だって何に惹かれたかというとカヴァーしているジョー・コッカーなんです(片方秀幸)


【Part2】からの続き)

── 90年代以後の秀樹さんのシングルは織田哲郎さんとのコラボレーションが契機となり、YOSHIKIさんやつんく♂さんが楽曲提供をしたりと話題作が続きました。

片方秀幸 80年代に日本にもロックバンドが生まれてきたじゃないですか。その時はアンセムやラウドネスといったハードロックバンドも含まれていたんですけども、いわゆる90年代のバンドブーム世代でいうとユニコーンが代表格。奥田民生さんが西城と同じ広島出身で、同じ小学校だったんですよ。(90年代の)ユニコーン時代から“西城秀樹のファンです”というのを公言してくださっていて。その時ユニコーンのマネージャーさんも間接的に知っていたので、“秀樹さんに曲を書いてもらえないか?”と相談していたら、奥田民生さんが“やります! これで僕は西城秀樹に曲を書いたんだよ!って晴れて広島に凱旋できます”って(笑)。それが「きみの男」(’91年『MAD DOG』収録)を書いてもらった時のエピソードなんですけど……。


西城秀樹
『MAD DOG』

1991年4月21日発売


 また上の諸先輩方が、何であんな若い奴らに曲を書かすんだよ、西城秀樹だぞ!って口を挟んできて。ユニコーンも知らない方達で……せっかく2曲も書いてもらったのに織田哲郎さんにお伺いもせずに1曲しか採用を認めないとか……。でも、奥田民生さんが書いてくれたおかげで“僕も小学校の時に『8時だョ!全員集合』を観て西城秀樹さんが好きだったんですよ” という人たちがいっぱい出てきたんです! 彼らにとってみれば歌謡曲のアイドルではなく、純粋にキラキラ光ったロックスターのお兄さんだったわけで、大槻ケンヂさんやTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉さん、河村隆一さん、GACKTさんもそうですし、西城秀樹が大好きと公言してくれるミュージシャンがいっぱい出てきたんです。それがきっかけでトリビュートアルバム(『西城秀樹ROCKトリビュート』)の制作に繋がりました。

 ちょっと話は前後するんですけど、劇団☆新感線がアミューズさんとロックミュージカル『Rock To The Future』(’96~’97年)を作ることになった時に、ダイアモンド☆ユカイさんやバービーボーイズの杏子さん、プリンセス プリンセスの中山加奈子さんといったロック系ミュージシャンが集まることになりました。そうしてミュージカルを作るにあたり、“彼らをまとめられるのは誰かな?”と考えた時に当時アミューズの大里洋吉会長が、“これはやっぱり西城秀樹しかいないんじゃないか!”と推してくれて、ロックミュージカルに西城秀樹が参加したんです。



── なるほど、それであの豪華メンバーでやっていたのですね!

片方秀幸 そのミュージカルはGLAYやLUNA SEAのメンバーも見にきてくれて、そんな感じで、先ほどの“俺も秀樹さんと何か一緒にやりたい!”というロックミュージシャンが次から次と手を上げてくれたおかげで『西城秀樹ROCKトリビュート』出来上がったんです。その流れで、“じゃあ、俺にも曲を書かせて”と言ってくれたのがX JAPANのYOSHIKIさんだったんですよ。

 ただ、ある程度話題にはなったものの、なかなかセールスに結びつかない。それが西城のオリジナル・アルバム制作に繋がらなかったというなんとも残念な時代でした……。でもわりと若い人たちの間やサブカルチャーの世界で“西城秀樹こそが日本のロックだよね!”という評価は浸透していたんですよ。


Various Artists
『西城秀樹ROCKトリビュート』

1997年7月24日発売


── まさに、僕ら世代にはそういうイメージができました!

片方秀幸 YOSHIKIさんプロデュース「moment」や『西城秀樹ROCKトリビュート』(基本西城秀樹は関わっていない)はそれなりに売れたんですが、西城秀樹個人がいろいろなことにチャレンジしても、なかなかセールスに結びつかなかったです。従来のファンの人が自分達の生活の中で、秀樹さんの活動に対してなかなか振り向いてくれなかった時期があって……。

── 意外ですね……。「氷室京介さんと一緒にデュエットしたら?」というアイデアがあったと仰いましたが、’86年のシングル「腕の中へ -In Search of Love-」ではバリー・マニロウとのデュエットがありましたよね。日本語と英語で歌っているのですが、バリー・マニロウも日本語で歌っていたのがすごいなと思ったんです。

片方秀幸 当時、日系の知り合いがLAで音楽事務所を作っていて、そこで西城の「抱きしめてジルバ -Careless Whisper-」という、ワム!のカヴァー曲を地方局が流したのを、たまたまバリー・マニロウが聴いていたらしくて。で、バリーは同じRCA系のレコード会社だったので、日本でプロモーション展開をする時に 日本で誰か面白い人がいないかと探していた時だったそうなんです。そこでバリーサイドから、“日本のヒデキサイジョウという歌手と何かコラボができないか?”というオファーが来たのでやりましょう!と。


西城秀樹
「腕の中へ -In Search of Love-」

1986年2月21日発売


「腕の中へ -In Search of Love-」と、もう一曲「愛の翼 -It's All Behind Us Now-」がカップリングだったんですけど、“「腕の中へ」をデュエットしましょう”ということになって。当然のごとくLAに行って英語でやるものだと思っていたらバリー・マニロウが、“僕も日本語で歌う”と言いだして。その時に日本語詞を担当してくれたのが吉田美奈子さんだったんです。美奈子さんはバリーが歌いやすいように、日本語に聞こえる英語を並べてくれたんです。

── ああ、それで聴いていて、カタコトのような違和感がないのですね。

片方秀幸 そうだと思います。普通だったら“まだ夜へ”とローマ字で書いたら“ま、だ、よ、る、へ~”になるんだけど、“mad your~”という風に英語にしてくれて、バリーにしてみればめちゃくちゃな英語の羅列なんだけど、でも歌えば日本語に聴こえるというのをやってくれて…。で、アレンジが船山基紀さん。バリーが“ヒデキサイジョウのアレンジの方がカッコいい”という話になって、そのアレンジを使ってLAでレコーディングをしてきた、ということなんです。


西城秀樹
『BIG GAME ’80 HIDEKI JUMPING SUMMER in STADIUM』

2023年11月24日発売(アルバム復刻シリーズ第6弾)


── 吉田美奈子さんもそうですが、秀樹さんは洋楽を採り入れることも早かったですが、山下達郎さんらの楽曲を採りあげることもすごく早かったじゃないですか? 達郎さんが本格的にブレイクする前にもう「BOMBER」をコンサートで歌っていたという。『BIG GAME ’80 HIDEKI JUMPING SUMMER in STADIUM』にも収録されています。

片方秀幸 そうですよね。あれは多分、レコード会社がRCA系列で当時たまたま一緒だったじゃないですか? 美奈子さんもそうですけど、全然ジャンルが違うけど面白いから聴いてみなって、当時LPをもらっていたらしいんですよね。それで良いと思ったものは秀樹さん、すぐに採り入れちゃうんですよね。


西城秀樹
『BIG GAME ’82 HIDEKI SUMMER in OHMUTA』

2023年11月24日発売(アルバム復刻シリーズ第6弾)


── 達郎さんの楽曲で言えば「LOVELAND, ISLAND」も『BIG GAME ’82 HIDEKI SUMMER in OHMUTA』でカヴァーされています。





片方秀幸 Katagata Hideyuki
1960年岩手県生まれ。大学卒業後1984年西城秀樹付き人ドライバーとしてアースコーポレーション入社。1989年マネージャーとなる。1999年アースコーポレーションチーフプロデューサー。約40年に渡って西城秀樹と活動を共にする。




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