2023年11月号|特集 はっぴいえんど+URCレコード
第3回:ニューロック|コラム~はっぴいえんどの時代(1969~1973)
コラム
2023.11.16
文/サミー前田
団塊の世代と呼ばれる戦後のベビーブーマー、すなわち60年代のティーンエイジャーたちによる初めての大きなムーブメントが音楽をやること=エレキやGSやフォークだったのではないだろうか。
1964年のビートルズの全米制覇が起爆剤となりビート・バンドの席巻は世界中の若者たちを魅了したが、’64年から’65年の日本においてはインストゥルメンタル・グループのベンチャーズに代表される「エレキ・ブーム」が全国的に猛威を揮っていた。ザ・スパイダースのようにいち早くビートルズを意識したグループも活動していたが、まだマニアックな存在であった。
そのエレキ・ブームとスライドするようにビートルズ・ブームがじわじわと浸透し、来日公演決定の報道辺りから大爆発、’66年はビートルズ一色と言えるほどの大騒動となった。それまでエレキ・ギターでインストを奏でていたバンドの多くは「歌いながら演奏しハーモニーも付ける」というビートルズ・スタイルに移行し、ブリティッシュ・ビート(当時はまとめてリバプール・サウンズと呼んでいた)に影響されたグループが雨後の筍のように誕生したのだ。’67年にそれらは「グループサウンズ」(通称GS)と呼称され、短期間に100を越えるバンドがデビューするが、所謂芸能プロダクション主導だったため、ほとんどがビート・グループというよりも少女達のアイドルというイメージで位置付けされてしまった。
ザ・テンプターズ
『ファースト・アルバム』
1968年6月25日発売
瞬く間にGSは日本中で大ブームとなり、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどの10代のGSスターたちが毎日のようにマスメディアを効果的に賑わせ、今では信じがたい程の社会現象に発展した。GS=きのこ頭にミリタリールックという印象も強く、本屋に行けば少女漫画誌や週刊誌の表紙はGS、お菓子屋やおもちゃ屋に行ってもGS関係のキャラクター商品が売っていた。今でこそ和製ガレージ・パンクとしての評価も獲得しているが、当時はGSが音楽的に語られることなどは稀であった。
しかしその頃の欧米では、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』がリリースされ、シングル曲重視からコンセプト・アルバムの時代に突入、創造的な価値観が大きく変化したのだ。サイケデリックに火が付き、スウィンギン・ロンドン、フラワームーブメントといったロック革命の真最中。既に西洋の若者たちのファッションはマッシュルームカットからロングヘアーのヒッピーに生まれ変わり、そこには反戦のメッセージや公民権運動などの思想と主張が根ざしていた。
内田裕也とザ・フラワーズ
『チャレンジ!』
1969年7月発売
ロックンロール歌手の内田裕也は、’67年、日本の芸能界に見切りをつけヨーロッパに渡り3ヶ月間滞在、カウンターカルチャーの勃興を目の当たりにしショックを受けて帰国。アイドル路線とは違う本物のロックバンドを作ろうと、スチール・ギターと女性ボーカルをフィーチャーしたサイケデリック・バンド、内田裕也とザ・フラワーズを結成した。
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