2023年11月号|特集 はっぴいえんど+URCレコード

【Part3】|はっぴいえんどヒストリー

会員限定

解説

2023.11.14

文/柴崎祐二


【Part2】からの続き)

会心の一作『風街ろまん』から解散決定、そして第二幕へ


 はっぴいえんどのセカンド・アルバム『風街ろまん』は、1971年11月20日にURCレコードから発売された。長いレコーディング期間を経て完成された同作は、作曲、作詞、アレンジ、演奏、歌唱、録音、ミックスに至るまで、ファースト・アルバムのクオリティを大きく上回るものだった。同時代のアメリカン・ロックの多様なサウンドを消化しつつ、極めて情景喚起力豊かな世界を描いた同作は、タイトルの通り、「風街」がコンセプトに据えられていた。

 急速な経済発展と都市開発によって失われたかつての東京の姿を、現在の都市の風景の中に二重写しのように浮かび上がらせる『風街ろまん』は、その芳醇かつ繊細なサウンドと松本隆による深遠きわまる詩作によって、1970年代初頭に吹き込む新たな風の匂いを一枚のレコードに保存することに成功した。

 「風街」の風景は、そのアートワークにも巧みに写し込まれていた。バンドが起用したのは、当時漫画雑誌『COM』等で先鋭的な作品を発表していた劇画家・宮谷一彦だった。宮谷は、メンバー4人の顔写真をレタッチした作品を寄せ、内ジャケット用のイラストレーションも描いた。そこには、1967年に廃線となった都電第6系統が街の中ですれ違う風景が描かれていた。


はっぴいえんど
『風街ろまん』

1971年11月20日発売



 また、ジャケット表4にはメンバー4人が佇む写真が使用されたが、その上部には、ある人物の顔がクリップで留められているのが確認できる。これは当時、バンドのマネージャーを務めていた石浦信三のポートレイトだ。彼は、松本とともに「風街」のコンセプトの成立に大きな役割を果たしたはっぴいえんどのブレーンというべき存在で、音楽プロダクション「風都市」での活動をはじめ、バンドを裏側から支えてきた人物だった。

 『風街ろまん』は各メンバーにとっても、会心の一作となった。当初から思い描いていた「日本語のロック」への挑戦という意味でも、到達点ともいうべき内容に思われた。一方で、そのような高みに達してしまったがゆえの宿命というべきか、『風街ろまん』の音楽的成功は、その後のバンドの歩みを必ずしも明るく照らし出すものではなかった。また、曲を持ち寄った各メンバーのプロデュースの元に制作を進めていくというスタイルも、ある意味では、相互的なコミュニケーションを前提とするバンドという形態とは相矛盾するものといえた。

 「課外活動」の先鞭をつけたのは、大滝詠一だった。『風街ろまん』の完成と前後して、大滝詠一のソロ作品の制作が開始されたのだ。


大瀧詠一
「恋の汽車ポッポ / それはぼくじゃないよ」

1971年12月10日発売






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