2023年11月号|特集 はっぴいえんど+URCレコード
第2回:映画|コラム~はっぴいえんどの時代(1969~1973)
コラム
2023.11.9
文/真鍋新一
©東宝
はっぴいえんどのメンバーが活動していた1969年から1973年はたったの4年間。ビートルズですら8年近くやっていたというのに、こんなにも短かったのかと改めて思う。しかし、はっぴいえんどの音楽性がその4年間でどれだけ変化に富んでいたかが示すように、60年代の終わりから70年代の前半にかけては文化全般が激動の時代を迎えていた。ことに日本の映画界は60年代のはじめをピークとして興行的には凋落の一途をたどり、東宝・東映・松竹・大映・日活の大手映画会社5社は大きな変革を迫られた。「日本映画斜陽の時代」――この4年間の前後は映画史的にはそう呼ばれている。
時代劇映画の大スター・市川雷蔵の早すぎる死(1969年7月17日)は映画界が一気に冷え込み始める象徴的な出来事だった。彼の人気シリーズ『眠狂四郎悪女狩り』がその年の1月11日に公開されていたのだから、その衝撃はいかばかりであったか。テレビの普及によって映画の人気シリーズは連続ドラマにとって代わられ、東宝の「若大将シリーズ」「社長シリーズ」「駅前シリーズ」「無責任シリーズ」に始まるクレージーキャッツ主演作、東映の「網走番外地シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」、大映の「座頭市シリーズ」「眠狂四郎」に限らず、1960年代を通して社会を盛り上げてきたシリーズはこの時期に次々と終了、中断。
『男はつらいよ』
©松竹
好調だったのは松竹の「『男はつらいよ』シリーズ」だけで、第1作は1969年8月28日に公開された。しかしこれはもともとフジテレビの連続ドラマ。この年の3月に最終回を迎えた連ドラ版ではなんと、寅さんは旅先の奄美大島で死んでしまい、視聴者からの猛抗議に応える形でたった5ヶ月後にリスタートしたのがこの国民的シリーズの始まりだった。
『博奕打ち いのち札』
©東映
もうひとつの国民的映画である東宝の「ゴジラシリーズ」は予算的に大きなスケールダウンを強いられ、人気アニメの劇場版との同時上映でどうにか継続した。そんななかで生まれたのが『ゴジラ対ヘドラ』(1971年7月24日)。公害問題をテーマにヒッピーの若者たちが地球環境の保護を訴えるシリーズ随一の異色作だ。全共闘の学生たちから絶大な支持を集めた東映の任侠映画も『博奕打ち いのち札』(1971年2月13日)で暗い時代の影を落とした作風となり、任侠映画らしからぬアバンギャルドな演出がのちに伝説に。鶴田浩二、高倉健と並ぶスターである藤純子が結婚・引退(のちに復帰)したのもこの時期。かつて輝いていた60年代の夢はこの4年間ですっかり押し流されてしまった。
『一条さゆり 濡れた欲情』
©日活/Happinet
大映はこの状況に耐えきれず1971年の末に経営破綻。かつて石原裕次郎や小林旭主演のアクション映画、吉永小百合主演の青春映画で一世を風靡した日活は経営再建のために成人映画に進出、かつての黄金期に短い撮影日数で量産されていた撮影所のノウハウは「ロマンポルノ」というブランドのもと引き継がれ、神代辰巳をはじめとする当時の新進監督が大いに腕を振るった。その神代の監督作のなかには伝説のストリッパーである一条さゆりが本人役を演じた『一条さゆり 濡れた欲情』(1972年10月7日)があり、実ははっぴいえんどのファースト・アルバムに添えられた謝辞にはアラン・レネやジャン=リュック・ゴダール、フェデリコ・フェリーニ、そして黒澤明といった巨匠たちの名前に混じって、すでにテレビの深夜バラエティ『11PM』への出演などで人気を博していた彼女の名前があったりする。当時の文化系男子たちの興味関心のアンテナを示す資料として実に興味深い。日活が足掛け4年にわたって製作した『戦争と人間』三部作(1970〜1973年)は、東宝の『日本沈没』(1973年12月29日)と並んで日本映画界の威信をかけた超大作だったが、『戦争と人間 第三部 完結篇』(1973年8月11日)ではスタートから2年ほどの短い期間に実力をつけたロマンポルノ出身の女優たちが脇役ながら存在感のある演技を見せており、時代をリードしていく新しい勢力のエネルギーが垣間見える。
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