2023年11月号|特集 はっぴいえんど+URCレコード

【Part1】金延幸子ロングインタビュー

インタビュー

2023.11.1

文/荒野政寿


 70年代女性シンガーソングライターの先駆けであり、今やURCレコードの看板作品といってもいい50年前の名盤『み空』を生んだ金延幸子。現在は米国在住であるが、この度4年ぶりに日本でのツアーが決定した。このタイミングで帰国した彼女にインタビューを敢行し、その様子をお届けしたいと思う。その前に、金延幸子とはどういうアーティストなのかを、一度しっかりとおさらいしておこう。


日本語詞のオリジナルに取り組む、弾き語り女性シンガーのロールモデル


 大阪の都市部で育ち、宝塚歌劇団のスター、淀かほる(八千草薫と同期)を姉に持つ金延幸子。1948年生まれの彼女は幼い頃からクラシックやシャンソンなどに親しんで育ち、ダイナ・ショアやビング・クロスビーのレコードを好んで聴くような小学生だったという。『シャボン玉ホリデー』(’61年に放送開始)を見るようになった10代前半からは、坂本九、江利チエミ、雪村いづみなどを通してポップスにも興味を持つようになった。

 ビートルズの登場をきっかけに、ローリング・ストーンズ、キンクスなどイギリスのビート・バンドを聴き始めた頃、金延は高校生だった。アニマルズやピーター&ゴードン、ハーマンズ・ハーミッツの来日公演も目撃。メンバーに会いたくて楽屋まで押しかけるほどの熱狂的なロック少女だったという。この頃、そうしたコンサートのチケットを販売しているイベント会社のスタッフとして金延が出会ったのが、のちに関西フォークの仕掛け人となり、URCレコードを立ち上げる秦政明だった。

 高校の終わり頃、フォーク・ソングに興味を持ってギターも弾き始めていた金延は、友人に誘われて関西大学のフォーククラブに顔を出すようになった。ここで知り合った後藤悦治郎(赤い鳥~紙ふうせん)からはギターのフィンガリングを、最新の洋楽に詳しかった瀬尾一三からはドノヴァンなどのレコードを教わったという。初めて書いたオリジナル曲「ほしのでんせつ」も、ドノヴァンの影響下で生まれたもの。内田千鶴子と組んだフォーク・デュオ、“ツインズ”として初めてステージに立ったのも、そのフォーククラブ主催のイベントだったそうだ。

 そして’68年、金延は秦政明に誘われて関西フォークキャンプに参加。ここに集っていたシンガーたちによるユニット、フォーク・キャンパーズの一員としてライヴ活動を経験していく。また、この頃知り合った真崎義博(ポロ・ディラン)とメディテーションというバンドを結成。ジャックスやフォーク・クルセダーズと同じイベントに出演したが、残念ながら長続きせずに終わった。


秘密結社○○教団
「あくまのお話し / アリス」

1969年10月発売


 ’69年、URCレコードから秘密結社○○教団としてシングル「あくまのお話し」を発表。西岡たかしを中心とした覆面グループで、この頃西岡からジョニ・ミッチェルのレコードを聴かされて感銘を受けた。B面の「アリス」は真崎義博の曲を改作したもので、金延は沖縄のメロディにインスパイアされて作曲したという。



「あかりが消えたら / マリアンヌ」

1970年2月1日発売



 秘密結社○○教団の西岡以外のメンバー=金延、瀬尾一三、松田幸一、そして五つの赤い風船から脱退した中川イサトが、今や伝説のグループである“愚”。1970年にURCレコードからリリースした唯一のシングル「あかりが消えたら」は中川イサトが作曲。西岡たかしが作曲したB面の「マリアンヌ」ともども、いわゆるアシッド・フォーク的な演奏が聴ける。残されているライヴ録音を聴くとジャジーなテイストもあり、メンバーはペンタングルを意識していたそう。そのまま活動を続けていたら傑作が生まれた可能性があるが、学生も含むメンバーが上京して本格的に活動をするのは難しく、残念ながらグループはここで活動を終了。周囲のすすめもあって金延は単身東京へと活動の拠点を移すことになった。


かねのぶさちこ
「時にまかせて / ほしのでんせつ」

1971年7月発売


 ソロ歌手として再スタートを切った金延だったが、男性シンガーやグループばかりのURCレコードで、女性は少数派。なかなかレコードを作るチャンスがまわってこない。レーベルメイトのはっぴいえんどと交流を持つようになっていた金延は、大滝詠一の後押しを得て、ビクターのSFレーベルから、“かねのぶさちこ”名義でシングル「時にまかせて」を1971年に発表。バックは大滝(ベース)、細野晴臣(ピアノ)、松本隆(ドラムス)が務め、アレンジ、プロデュースも大滝が担当したが、ライヴで歌っているときのフォーキーな方向で行きたい金延と、テンポアップしてポップに味付けしたい大滝の間に溝が生じた。


金延幸子
『み空』

1972年9月1日発売



 シングルがイメージ通りに行かなかったことを踏まえて、金延はURCレコードからリリースするデビュー・アルバム『み空』のプロデュースを細野に依頼。すべての曲にバンドのバッキングをつけず、金延の弾き語りの魅力も伝えていく方向でアルバムがまとめられていった。傷心の時期に生まれた曲と、新しい恋人との出会いから生まれた曲、両方を含む『み空』は、必然的に心のつぶやきを生々しく刻んだパーソナルな内容に。その新しい恋人とは、十代でロック評論誌『クロウダディ』を立ち上げた気鋭の音楽評論家ポール・ウィリアムズで、たまたま日本で出会ったポールと恋に落ちた金延は、アルバムがリリースされる前に彼と渡米、日本の音楽シーンから去ってしまう。

 他のURC所属アーティストと違って社会的なステートメントを含まない私的なテーマの曲が多いせいでデビューの時期が遅れたのでは、と金延自身は分析しているが、それによって時代性に縛られず、いつの時代に聴いても素直に共感できる普遍的なアルバムが生まれた、という側面はあっただろう。実際、『み空』はリリースされた’72年当時よりもずっと多くのリスナーを、長い年月の間にじわじわと獲得していく。

 再評価の機運が高まり始めた最初のきっかけは1990年代、CD化された『み空』を、フリッパーズ・ギター解散直後の小沢健二がライヴ会場でBGMとしてかけたことが大きかったと思う。そこから口コミで評判が広がり、「日本にもこんなアンノウンな名盤があった」という認識が時間をかけて徐々に浸透していった。幾度となく再発されるチャンスを得たこのアルバムは、その度に新しいリスナーを獲得し、次第に“知る人ぞ知る名盤”から“定番”の一枚へと昇格。日本語詞のオリジナルに取り組む弾き語りの女性シンガーにとっては、今やロールモデルのひとつになった感がある。今回の帰国ライヴでカネコアヤノがオープニングアクトを務めることも、まったく違和感がない。

 海外でも2000年代に入ってからブートレッグが出回っていた『み空』は、日本のフォークに着目したアメリカのレーベル、ライト・イン・ジ・アティックが’19年に正式に海外発売してから、いよいよ本格的に世界に存在を知られる“マスターピース”になった。金延と交流を持つスティーヴ・ガンが『み空』の紹介役として随分貢献したし、あのリイシューがなければ、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』に「青い魚」が挿入曲として使われるという奇跡も起きなかっただろう。


金延幸子
『Fork in the Road』
※ジャケット写真は2023年再発盤

1998年10月25日発売



 今年は、友人のフィリップ・K・ディックにすすめられて音楽活動を再開した頃に書いた曲を含む’98年のアルバム『Fork in the Road』が、久保田麻琴によって手を加えられて大幅にリニューアル。金延が高く評価している幾何学模様の元メンバーなど新しい仲間たちの演奏もフィーチャーして、オリジナル盤とは異なる現代的な解釈の『Fork in the Road』を10月にリリースしたばかりだ。絶好のタイミングでリリースされた『み空』の2023年盤CD(高品質のBlu-spec CD2方式を採用)も、リマスターを久保田麻琴が担当。旧盤よりも音の粒立ちがよく、ギターの響きやヴォーカルのニュアンスが細部まで伝わってくる仕上がりになった感があり。アナログ盤も発売されたので、改めてこのタイムレスな傑作を隅々までじっくり味わって欲しい。

 さて、次回は金延幸子本人の最新インタビューをお届けする。ぜひご期待いただきたい。

【Part2】に続く)




金延幸子
『み空』

2023年10月25日発売



金延幸子
『Fork in the Road』

2023年10月25日発売




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