じゃあ、ダンスもやって、マニピュレーターもやって、カラオケの仕事もやって、めちゃくちゃ忙しかったんじゃないですか(DJ OSSHY)
ひとりブラック企業ですよね(笑)。人生で一番仕事をしていましたね。でも、楽しかったですよ。音楽は本当に楽しいですから(パパイヤ鈴木)
([前編]からの続き)
DJ OSSHY 前編の最後で歌手になるためにCBS・ソニーに入ったら、振り付け師になっていたという衝撃の事実をパパイヤさんから知らされたんですが、一体に何があったんですか?
パパイヤ鈴木 実はCBS・ソニーとはアーティストとしてではなくて、業務委託での契約だったんです。なぜかと言うと、アーティスト契約だとお給料が出ないんですよ。事務所に払ってしまうから。でも、業務委託契約だとお給料を払えるからと言われて、そういう契約にしてくれたんですね。ですから、上司や同僚がいたんです。
DJ OSSHY おっと。
パパイヤ鈴木 その上司で室田(元好)さんという方が「踊りとかできるんだったら、ちょっと振り付けとかもやってみない?」と言われたのが転機になりました。でも、僕は最初「ええ!?」と思って。ほかの人に振りを付けるのも嫌だし、歌手になりたいのになんでスタッフをやらなきゃいけないんだろうって後ろ向きだったんですね。そうしたら、人の背中を押すっていう仕事も悪いもんじゃないよと室田さんに言われて、1回だまされてみるかと思ってやってみたら、すごく褒めてくれたんですよ。それからは自分の歌をやりながら、空いてる時間でレッスンの指導もしてくというニ足のわらじ状態が始まったんです。教える立場の僕もCBS・ソニーのアーティストで、生徒もアーティストという、傍から見たら不思議な関係ですよね。
DJ OSSHY 確かに。ちょっと複雑ですね。
パパイヤ鈴木 そうなんですよ。立ち位置がアーティストでもありスタッフ的で、一緒のグループになって大会に出たりしたんですけど、振り付けは全部僕みたいな。CBS・ソニーには7年いたんですが、レッスンや振り付けの比重が増えていって、スタッフ寄りになっていった頃には半ば自分の夢は諦めていました。
DJ OSSHY 7年間のうちにアーティストから社員に転職したようなことになったんですね。
パパイヤ鈴木 僕が在籍していた部署はSDグループといって、新人発掘・育成セクションだったんです。みんな夕方くらいになるとバンドや歌手を探しにライヴハウスなんかに出かけていくというような勤務スタイルで、昼間は何もやることない人たちの集まりで(笑)。僕は地下で昼間から夜ぐらいまでレッスンをやっていましたが、そういうちょっと変わった部署なんですよね。室田さんも「こんなおもしろいことできないかな」「あんなことできないかな」という柔軟な考えを持っていた方で、そのチーム室田の駒のひとつみたいな感じでしばらく働いていたんです。だからSDでいろんなことを経験したり挑戦したりしたことで、頭が柔らかくなったというか、何でもやってみようというスタイルを持つようになったんです。
DJ OSSHY 80年代のこの業界って、何をやっているかよくわからない人がいっぱいいましたもんね。
パパイヤ鈴木 そうなんですよ。SDも昼間はプロレスやって、夕方でバンド探しに行く人がいたり、部長はずっとチェスをやっていたりとか。変わった人ばかりでした。でも、夕方になるとちゃんと仕事モードに入って、X(現X JAPAN)と契約したりとか、やる時はやるんですよね(笑)。
DJ OSSHY その頃、振り付けの参考でディスコに行かれていたりしたんですか?
パパイヤ鈴木 逆に行かなくなっちゃったんです。渋谷のラ・スカーラ、六本木のマハラジャができてから、どうもそういう場所が好きじゃなくなってしまったんですね。申し訳ないんだけれど、僕の中ではマハラジャは音の大きなレストランなんですよ。美味しくはないんだけれど飲み放題食べ放題で、そういう雑多な雰囲気を持っていたのが僕の中でのディスコなんです。ラ・スカーラやマハラジャはおしゃれなカフェみたいで、それにしては音が大きくて踊る場所もあるという場所。
DJ OSSHY その気持ちもわかります。VIPルームを作って高級路線になって、ドレスコードとかルールもうるさくなったし、堅苦しくて誰でも楽しめるというものじゃなくなった。
パパイヤ鈴木 昔のディスコって、奥の方で住んでるような人がいましたもんね(笑)。
DJ OSSHY そうそう! そんな感じで、雑多なカジュアルで大衆居酒屋のノリだった。SAMさんもこの対談で住み込んでいたというような話をしていましたし。だって、1500円くらいで飲み放題食べ放題ですよ。マハラジャの登場による高級志向、ユーロビートの登場によって、体感としてそれまでのソウルやポップスが好きでディスコに行っていた人の半分くらいが行かなくなったような気がします。
パパイヤ鈴木 今のディスコって、メン・アット・ワーク懐かしいね、ホール&オーツ聴いてたね、とか懐かしむようなダンス・クラシックが中心で、もちろんそれはそれで楽しいからまったく否定はしないんですけれど、今の20歳ぐらいの人たちが今の曲を聴いて踊れる飲み放題食べ放題の場所がないですもんね。漫画喫茶はたくさんあるけれど。
DJ OSSHY 先日お会いした際に、その頃はダンスだけでなくマニピュレーターのお仕事をしていたと聞いて、また驚いたんですが。
パパイヤ鈴木 その頃、自分が歌手になるとかではなく、仕事をすることに一生懸命になっていたです。ダンサーを集めていろんなイベントをやろうと親父の会社の中に事業部を作ったりもして、CBS・ソニーとは業務委託契約だったので、別に外で仕事をする分には何も言われないんです。一方で、なぜマニピュレーターの仕事もするようになったのかというと、そのイベントで使うための音楽を自分で作ろうとパソコンを買って勉強したんです。そうこうしているうちに、うちの親父がS-KENさんと仲良しで、S-KENさんにこんなことやっている息子がいるって伝えたんですよ。そうしたら、S-KENさんがおもしろがってくれて、「踊りやってるの?」「いえ、今打ち込みやってるんです」って、やり取りしているうちに「じゃあ、今度こういうの一緒にやらないか」って誘ってくれて、S-KENさんが手がける作品のマニピュレーションをやるようになったんです。
DJ OSSHY S-KENさんといえば、70年代から日本の音楽シーンで活躍し、80年代にはいちはやくクラブのシーンを築き上げた人で、今もバリバリ現役という伝説のミュージシャン/プロデューサーで、そんな方から依頼を受けて一緒に制作していたなんて、本当にすごいですよね。
パパイヤ鈴木 でも、無茶振りが多かったですよ(笑)。S-KENさんのとこに依頼があるものって、ちょっと変わったものが多いんですね。ジャキーンとしたものをみっちり作るというよりも、スカスカなんだけどかっこいいみたいな。
DJ OSSHY わかります、わかります(笑)。
パパイヤ鈴木 それで喜納昌吉さんの曲をクラブでも踊れるようにリミックスしてほしいという企画があって、2曲あって聴いてみたら、これがもうどうしたらいいかわからないような曲で。それでS-KENさんに「これ、クラブで踊れるようになるんですかね?」って聞いたら、S-KENさんが「いや、やるんだよ」って(笑)。あとはテレサ・テンさんもすごかった。ヴォーカルのトラックが手に入ったということで聴いてみたら、全部オケが入っているんですよ。ヴォーカルも演奏も一発録りで、声の後ろに演奏が入っている。ドラムとか、テレサ・テンさんのマイクで全部拾ってしまっていたんですね。しかも最初と終わりのテンポが全然違うし。S-KENさんから「どうにかなんないかな?」って言われて、「どうにもならないでしょうね」と返したら、「でもやるんだよ」って(笑)。それで変な音を探して入れて、なんとかやりましたよ。なんかインカ帝国の音楽みたいになりましたけど(笑)。
DJ OSSHY それはぜひ聴いてみたい(笑)。
パパイヤ鈴木 あとね、マニピュレーターもやっていたんですが、もうひとつカラオケデータの制作の仕事もしていたんですよ。みなさんがカラオケルームに行くとカラオケの機械がありますが、その中にローランドのシンセサイザーが入っているんです。そのシンセがカラオケの音を出しているんです。だから、ギターの音に聴こえるけれど、ギターじゃない。シンセの音なんです。そのシンセでうまく音が出せる打ち込み野郎集まれ的な感じで集められて、仕事を始めることになって、1曲作って持っていったらすごく褒めてもらえて。でも、その場で「君さ、データの管理できる?」と言われて、あれ、音楽作る方じゃないんだ、ままいいやって、結局僕はデータの管理をやることになったんですよ。
DJ OSSHY データの管理というのは?
パパイヤ鈴木 まさに届けられたカラオケのデータをチェックする仕事で、音源として原曲に似ているか、定められた仕組みのデータが設定されているかを見ていたんです。盛り上がる箇所をボリュームペダルでやるのと、エクスプレッションというのでやるのって意味が違って、ボリュームペダルはデータ量が多くなるのでやめてください、エクスプレッションでやってくださいって叩き返したり、そういう管理の仕事をしていました。
DJ OSSHY まだインターネットが一般家庭にまで普及していない時代ですよね?
パパイヤ鈴木 パソコン通信の時代でした。ピーガラガラガラガラって接続していましたね。データは2DDのフロッピーディスクとかで来るわけですよ。チャンネル1に何が入っているとかの仕様書はFAXで送られてきて。北海道に演歌をやらせたら天才のおじさんがいて、この人のデータは綺麗なんだよねとか言いながらやっていましたね(笑)。
DJ OSSHY じゃあ、ダンスもやって、マニピュレーターもやって、カラオケの仕事もやって、めちゃくちゃ忙しいじゃないですか。
パパイヤ鈴木 ひとりブラック企業ですよね(笑)。でも、カラオケの仕事も勉強になったし、S-KENさんが作る音楽にもすごく影響を受けていたし、他の人の音楽も色々聴いて、自分でも音楽を作って、踊って、CBS・ソニーでインストラクターもやって、週に1回タップ教えに行って、イベントで着ぐるみ運んだり、本当に忙しかったです。人生で一番仕事をしていました。でも、楽しかったですよ。音楽は本当に楽しいですから。
DJ OSSHY それが20代後半くらい?
パパイヤ鈴木 26、27歳くらいでしたね。
DJ OSSHY その頃はもうおやじダンサーズとしての活動も始めていたんですか?
パパイヤ鈴木 いえ、まだです。おやじダンサーズは32歳の時だったんで。バタバタと忙しい日々を送っている中でCBS・ソニーを辞めて、親父の会社の仕事に専念するようになったんですけれど、ある時、松任谷由実さん、ユーミンのお仕事をさせてもらうことがあったんです。それが’95年。初めてそういうビッグなアーティストの方のダンス部門をうちでやらせてもらうことになったんです。主にダンサーの振り付けやマネジメントですね。ツアーを一緒に回らせてもらったら、すごく感動でしたんです。あれ、俺はあそこに行きたかったんじゃないかな、秀樹になることを忘れていたなと思って(笑)。それでおやじダンサーズを作ったんですよ。
DJ OSSHY そうしたらサザンオールスターズの桑田佳祐さんの目に止まったそうですね。
パパイヤ鈴木 そう、あの桑田さんがおもしろいと言って使ってくれたんです。
DJ OSSHY 私も当時、おもしろいことをやっているなと思いましたよ。本当のステップというか、ダンスをモチーフにしながらのパフォーマンスだから、こういう時代が今来ているなっていうことは当時感じましたね。ダンス・クラシックの復活とブームが、おやじダンサーズの登場とうまくリンクしていましたし。
パパイヤ鈴木 狙ったわけではなく、たまたまそういうタイミングだったので、ダンクラのイベントに呼ばれたりもしましたね。ソウルトレイン・カフェがお台場にオープンした時、こけら落としのイベントに僕らが出演したんですよ。その後もダンクラ、ディスコのイベントというと呼ばれて踊っていました。
DJ OSSHY でも、ディスコから離れていったパパイヤさんが、当時はダンクラという呼ばれ方をしていたディスコ・サウンドにまた戻ってきたというのもおもしろい感じがしますよね。
パパイヤ鈴木 やっぱり懐かしいものは好きですよね。この間、コメントゲストで出演させてもらったOSSHYさんのラジオ番組『FAMILY DISCO』もそうなんですけど、親子3世代でディスコを楽しむなんて最高じゃないですか。ディスコの時代におもしろかったのは、ステップが簡単だということ。でも、当時はわからずに、後になってわかったんですけどね。4歩歩いて、ちょっと戻るだけでも、これだけ楽しいんだよって。今、ダンスが当たり前の時代になって、より一層やりやすいというか。リズム感がないからダンスは苦手ですという方を対象に、リズム感なんかいらないんだよということで、だましだまし踊らせるという、そういうイベントって本当に楽しい。その場でやると意外とできる。そうすると、次はもうダンスの印象はすごく良くなっている。僕は「0から1」の振り付け師なので、ダンスをやったことない人を楽しめるようにするまでが、僕の仕事だと思っています。そういう人をいかに増やせるかっていうのは、ディスコという場所はとてもいいんですよね。体操よりもね、ディスコの方が少しスケベ心があるというか(笑)。おしゃれして来てくれますしね。僕はダンスが持っている魅力って、そこだと思うんです。
DJ OSSHY そうそう。曲を聴けば懐かしい感じがするし、ダンスも有酸素運動なんですよと言えば、すんなり入ってきてもらえますし(笑)。
パパイヤ鈴木 知っている曲がかかって、どうやって踊ればいいかわからない、じゃあ、右足からいきますよ、せーのという風にやればみなさんできるんです。ちょっとステップができるようになると飽きてきて、じゃあ次のステップということになる。
DJ OSSHY まさに錦織一清さんとのFunky Diamond 18のライヴでもそうした光景が見られそうですね。この新ユニットはどんな経緯で始まったんですか?
パパイヤ鈴木 僕らが師匠のように接していたダンサーの坂見誠二さんが、オリジナルをすごく大切にしていたんですね。その坂見さんから、ふたりとも歌えるんだから、オリジナルで歌作ったらって言われたんですよ。でも、すぐには実現しないで、しばらくしてから「そういえばさ、師匠そんなこと言ってたよね」と僕が話したら、ニシキが「ブルース・ブラザーズみたいなことをちょっとやりたいよね」という風に応えてくれたんです。「じゃあ、本当にやる?」となって、「やるなら、しっかりやろうか」と始まったのが今年の2月なんですよ。
DJ OSSHY え、でも7月にミニ・アルバム『PRIMEMAX』をリリースしていますよね。もともと曲があったんですか?
パパイヤ鈴木 ないです、ないです。やるとなって周りがバッと動き出して、「じゃあ、すぐに制作しなきゃ」って曲を集めてレコーディングして。おかげさまでいい曲が揃って、スムーズに完成しました。しかもツアーも7月だったので、振り付けも行いながら。これまで踊ってきた振り付けも織り交ぜていたので僕とニシキはそうでもなかったんですが、ダンサーたちは新しい振り付けばっかりなので苦労していましたけど(笑)。
DJ OSSHY ニシキさんとふたりで踊るということはこれまでもあったんですか?
パパイヤ鈴木 ニシキの誕生日イベントに呼ばれて踊ったことはありました。逆に僕は彼を自分のダンスイベントに出てもらったり。今までジャズ・ダンスしか人前で披露していなかった少年隊の錦織一清が、アンダーグラウンドのダンスを踊る姿を彼のファンにずっと見せたかったんですよ。僕はずっと見てきたから彼がうまいということを知っているけれど、ファンの人は知らないんですよ。チャチャとか、ロックダンスといったアンダーグラウンドのダンスをニシキがどんどん踊るようになって、7月のツアーはそのニシキのダンスが満載でした。
DJ OSSHY しかもディスコをテーマにして。
パパイヤ鈴木 はい、ラグジュアリーなディスコがコンセプトでした。僕が歌詞も曲も手がけたのは1曲ありますが、ほかの曲は思わず身体が動き出してしまうような踊れるものをというリクエストで作ってもらいました。
DJ OSSHY チークダンス用のスローな曲もなし。全部アップ・テンポのディスコ・ダンス・チューンですよ。これは私も使わせてもらいます!
パパイヤ鈴木 あと、僕が以前、坂見さんたちと一緒にやっていたグループ、FUNKY DIAMONDでやっていた曲をカヴァーしています。その歌詞は僕が書いています。あと、うちの親父がやっていたラテン音楽グループ、トリオ・ロス・チカノスが歌っていた「グァンタナメラ」も取り上げています。
DJ OSSHY 親父の歌を息子が歌う。ちょっと感動的ですね。ラテンの名曲をソウル・ファンクにアレンジしています。
パパイヤ鈴木 やっていたら「グァンタナメラ」がいちばんかっこ良くなってきて(笑)。ほかの曲大丈夫かな、って心配になりました。
DJ OSSHY でも、歌うだけじゃなくダンスもあるわけですから、その両立は難しそうですよね。
パパイヤ鈴木 いや、まさに自分が書いた曲は歌いやすいので踊る方も大丈夫なんですよ。ライヴでも落ち着いて歌えましたし。でも、書いてもらった曲はほかの方の振り付けを踊るような感じと似ていて、自分の歌にするまで時間がかかりますね。
DJ OSSHY しかし、歌詞も書いて、作曲もして、振り付けも考えて、歌って、踊って、世界中を見渡してみてもこんなエンターテイナーはそうそういないですよ。
パパイヤ鈴木 だから、ほかの人とコラボするのが楽しいんですよね。ライヴでは僕のコーナーもあるんですが、そこのダンスは若手に振り付けをお願いしました。覚えるのに時間がかかりますが、やっぱりいいんですよね、自分が思いつかない振りが出てくるので。自分だと一辺倒になってしまいがちなので、勉強にもなりますね。
DJ OSSHY 色々なお仕事を経験されてきましたけれど、ここでぐるっと最初に志した歌に戻ってきた感じがしますね。
パパイヤ鈴木 やっぱり歌をやりたいんでしょうね。歌でヒットを出すというのは、まだ自分はできていないので、みんながああ、あの曲を歌った人ねと言われるようなヒット曲を歌いたいですね。「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けをやらせてもらった時は、あの振り付けやった人ねという風に思われるけれど、そういう反応が歌ではないので、今後の目標ですね。ニシキと一緒にやっているFunky Diamond 18でヒット曲を出したい。
DJ OSSHY ぜひ、ディスコの現場からもヒットのお手伝いをさせてもらいます。でも、2024年は何かまたご一緒できることがあるといいですね。
パパイヤ鈴木 ぜひぜひ! Funky Diamond 18はディスコがコンセプトなので、OSSHYさんとご一緒するのは自然な流れというか。FAMILY DISCOもまたやりたいな。
DJ OSSHY やりましょう! パパイヤさんのレッスン付きで。来年が楽しみです!
対談進行・文/油納将志 写真/島田香
●パパイヤ鈴木- 1966年6月29日生 振付師・タレント。
16歳でダンサーとしてデビューし、東京ディズニーランドを最後に振付師になる。1986年、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)で振付、タップダンスの インストラクターを務め、1998年にパパイヤ鈴木とおやじダンサーズを結成。2023年、結成25周年を迎えた。
振付け代表作品は、AKB48「恋するフォーチュンクッキー」、ロッテ「Fit's」CM等。
現在、新型ソリオCMの振付・出演中。
2023年夏より少年隊 錦織一清氏と新ユニット Funky Diamond 18 を結成、活動中。
Funky Diamond 18
ミニアルバム『PRIMEMAX』絶賛発売中!!
DJ OSSHY オフィシャルファンクラブ
DJ OSSHY official YouTube Channel
DJ OSSHY 出演スケジュール
2023.10.27《EVENT》 | 【東京都・赤坂】Gallery Music Night Out |
2023.10.29《EVENT》 | 【東京・六本木】サンデーディスコ |
2023.11.03《EVENT》 | 【東京・銀座】DJ OSSHY DISCO R&B Night |
2023.11.06《TV》 | BSフジ「DJ OSSHY DISCO TV」24:00~24:25 |
▲諸事情によりイベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。
プロフィール
- DJ OSSHY (公式サイト www.osshy.com)
-
7月22日「ディスコの日」制定者。80′s ディスコ伝道師。
MCとミキシングを両方こなす、DISCO DJのスペシャリスト。
安心・安全・健康的でクリーンなディスコの魅力を全国に伝えている。
テレビ司会者の第一人者「押阪 忍」の長男。
親子で楽しめる「ファミリーディスコ」、高齢者向け「シルバーディスコ」など、 世代を超えて楽しめるイベントを開催。
東京スカイツリー、東京タワー、羽田空港、大型客船シンフォニー、 小金井カントリー倶楽部などでのディスコイベントのメインDJを務め、郷ひろみ、鈴木雅之、角松敏生との共演イベントも大きな話題を呼んだ。
売野雅勇 作詞活動35周年記念コンサートでは、総合司会を務めた。
民放テレビ初のディスコTV番組「DISCO TRAIN」(TOKYO-MX)を始めとした、ディスコ放送番組DJのパイオニアでもある。
【レギュラー番組】
・「DJ OSSHY DISCO TV」(BSフジ)毎月第3木曜日24:00~24:25
・「DJ OSSHY × まつきりな 推しナイト!」(BSフジ)毎月第4木曜日24:00~24:25
・「Family Disco」(JFN系列)全国FMラジオ放送
・「RADIO DISCO」(InterFM897)毎週土曜日15:00~17:45
・「横浜DiscoTrain」(FMヨコハマ)毎週日曜日15:48~15:57
他、2018年6月4日 テレビ朝日「徹子の部屋」など様々な番組に出演。
2021年9月22日には最新mix CD『 SURF DISCO 2 -NO SURF, NO LIFE.- mixed by DJ OSSHY 』をリリース。
2016年10月には、初の書き下ろし・エッセイ『ディスコの力』(PHP出版)を出版した。
今、日本で一番集客力のある、ディスコ世代に支持されているDJタレント。
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