2023年8月号|特集 EPIC 45

【Part3】|EPIC 45 yearsストーリー1978-2023

会員限定

解説

2023.8.23

文/大谷隆之


【Part2】からの続き)


草創期はさまざまなアプローチで、革新的なロックアルバムを続けて世に問うていた


 ここからはクロニクル形式で、EPIC・ソニー(当時)の所属アーティストと主な出来事を追っていこう。

 前述したように、EPIC・ソニーは業界最後発のレコード会社として’78年にスタート。邦楽部門のトップを任された丸山茂雄氏は、「他がまだ本格的に手を出していない領域」であるロックに狙いを定めた。その路線が実を結ぶまでの数年間、まず同社を支えたのがシャネルズ、後のラッツ&スターだ。’75年、リーダーの鈴木雅之を中心に地元の仲間同士で結成。昼間は東京・大森周辺のガソリンスタンドや町工場で働きながら、コンテスト出場を繰り返していた。会場で初めて彼らを見たときの印象を、丸山氏は次のように綴っている。

「音楽的な位置づけはよくわからないが、ほかでは見たことのないパフォーマンスをする10人組だった。アメリカの黒人音楽を歌うコピーバンドで、不思議と引きつけられるものを感じた」(日本経済新聞、丸山茂雄「私の履歴書」より)

 まだ会社が正式に発足する前だったというが、丸山氏はすぐに楽屋を訪れて、契約を打診。レコードこそすぐには出せなかったが、熱気あふれるステージと「顔を黒く塗る」という彼らなりの黒人音楽リスペクトが話題を集め、次第にライヴに人が集まりだした。そして新宿のライヴハウス「ルイード」で人気に火が点いていた’80年2月25日、運命のデビューシングル「ランナウェイ」がついに世に放たれる。もともとはパイオニアのラジカセのCMタイアップ用に制作された本曲を手がけたのは、湯川れい子(作詞)と井上忠夫(作曲、後の井上大輔)。30秒の出来があまりにもよかったために、丸山氏が2人に頼んでフルサイズに引き延ばしてもらったという逸話が興味深い。CMとの相乗効果も相まって「ランナウェイ」は100万枚に迫るセールスを記録。EPIC・ソニーの経営安定にも絶大な貢献を果たした。

「その後、私が好きなように気分よく仕事ができるようになったのも彼らがいてこそだ。/まずライブハウスで披露し、聴く人の反応を探る。ロック歌手を売り出すときの方法もシャネルズから学んだ」(日本経済新聞、丸山茂雄「私の履歴書」より)


一風堂
『NORMAL』

1980年3月21日発売


 その1か月後の’80年3月21日には、一風堂のデビューアルバム『NORMAL』がリリースされている。中心メンバーは、セッションギタリストとして実績を積んでいた土屋昌巳。当時隆盛を極めていたニューウェイヴを独自に解釈した音作りで、ヒネリの利いた世界観を展開した。約2年後の’82年7月、カネボウ化粧品のキャンペーンソングとして企画された「すみれ September Love」で、彼らの妖しい魅力がお茶の間を席巻する。

 佐野元春のファーストアルバム『BACK TO THE STREET』が発売されたのは、一風堂『NORMAL』から1か月後の’80年4月21日。日本語のロック表現に衝撃を与えたこのオリジネイターが、当初はほとんど注目されなかった経緯については、本稿第2回で述べた。サードアルバム『SOMEDAY』(’82年5月)でブレイクをはたすまで、私たちはもう少し待たなければならない。



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