2023年6月号|特集 林哲司の50年

【Part3】林哲司が語る50年~ナイン・ストーリーズ

会員限定

インタビュー

2023.6.9

第3回:Vocalist


インタビュー/栗本斉 文/加藤賢 写真/山本マオ


【Part2】からの続き)

どこかで自分はヴォーカリスト、パフォーマーではないという意識がある


―― さて、次は「Vocalist」としての林哲司さんに注目していきたいと思います。林さんのデビューはシンガー・ソングライターですよね。最初にそのような形でデビューした理由を教えていただけませんか。

林哲司 それは自然な流れでしたね。作曲家として音楽業界に入っていく意思がまったくなかったので、もう自分が作って、自分で作品を歌うっていうことがデビューした頃は当然の感覚でした。

―― じゃあ、他人に提供した楽曲で、やっぱり自分で歌いたいっていうものはあるんでしょうか。

林哲司 それ、まったくないんですよ。

―― あくまでも、自分の曲を表現するためのヴォーカルということでしょうか。

林哲司 表現というほどの意図もなかったと思います。そこはある種、加山雄三さんと同じような意識ですね。加山さんはやっぱり、自分が楽しいから曲を作っていて、それを提供するっていう意思もなかったじゃないですか。だから「自分が歌手だから歌わなきゃ」じゃなくて、「そこにいる自分が歌っちゃった」っていうまったく自然な感覚だと思うんです。それが当たっちゃったということなんだと。それと同じような感覚だから、自分が作ったものを自分で歌って、当時はテープに録ったりしていたわけです。それから洋楽のアーティストを知っていく中で、エルトン・ジョンなりビリー・ジョエルなり、シンガー・ソングライターに対する憧れも当然生まれてくるわけですよね。だから根源的なところで、自分で作品を書いて自分で歌うということに対する憧憬はあったんだと思います。でもね、今回のテーマは僕にとって厳しい質問なんですよ。

―― 意地悪な質問だったでしょうか。

林哲司 そんなことはないんだけど(笑)。でも、そういうことなんだなと改めて思ったのは、歌うことに対する執着心っていうのが、どこかで切れたということなんです。ある時期からは歌うことよりも、曲を作ることのほうが遥かに増えてしまった。だから、いい作品を集めて聴いたり、曲を書いたりすることがルーティンになっていくのに対して、ヴォーカルの練習をしたり、他人のために作った楽曲を自分の持ち曲としてギターを抱えて歌ったり、というモチベーションは全く失われてしまったわけです。だから、自分名義のアルバムを出した時にプロモーションの一環としてステージをやったりすることもあるんですけど、やっぱりどこかで自分はヴォーカリスト、パフォーマーではないという意識がある。クリエイターの部分に、自分が大半のエネルギーを注ぐようになっちゃったということなんでしょうね。

―― いつからか、作曲家としての林哲司が、ヴォーカリストとしての林哲司を押し退けてしまったということなんですね。

林哲司 そうですね。歌を忘れたカナリアになっちゃって……カナリアというか、カラスになっちゃったというか(笑)。この前、今回リリースされボックスセットを編集していてすごく新鮮だったのは、過去の創作ノートを見返したときにいっぱい詞が書いてあって、当時の自分が「自分で作って、自分で歌う」ことを自然体に行えていたことだったんです。だけど、今自分が、自分のアルバムのために作った作品を、その後も歌っているかっていうと、それはないんですよね。だから、その点で今の僕はヴォーカリストではないんだと思います。

―― 過去のご自身を通して、音楽家としてのスタンスの変化を実感されたわけですね。

林哲司 自分がパフォーマーではない、ということを最も強く感じたのは、20年ほど前に「グルニオン」というユニットをやっていた際の、ある出来事でした。このユニットは吉田朋代、チープ広石と3人で結成したもので、久しぶりに自分もヴォーカルを取っていたのですが、ある日のライヴにお客さんが数人しかいなかったんですね。それで「あれ、この前はあんなにいっぱい来てくれたのに、今日こんなに少ないんだ」って、気落ちしてしまって。2人の仲間に「がっかりしたな……」って言ったら、「いや、でもね。ライヴができて、こんな美味しい酒が飲めるんだったらいいじゃん」って言われて。「ええっ!?」って。その時に、ああ、やっぱり自分はパフォーマーじゃないって実感したんですよ。やっぱり彼らはパフォーマンスすることがすごく好きなんだけど、自分はそうじゃなかった。大きな別れ道でしたね。


GRUNION
『Voice』

2005年1月26日発日


―― メンバー間のミュージシャンシップには違いがあったわけですね。「音楽のどこに喜びを見出すか?」という違いですよね。

林哲司 そうです。じゃあ自分は音楽をやっていて、どういう時に喜びを感じるのだろうかと考えてみると、それは「スタジオの中で完成された音を聴く瞬間」なんですよ。出来上がった曲をもう20回、30回と聴くんです。それはね、ある種のナルシシズムなんですよ。完成した楽曲に酔っているんです。ここがうまくいった、アレンジが綺麗に仕上がったとか、そういうことを思いながら飽きるまで聴くんですよね。もちろん、ヴォーカリストとしてライヴの舞台に立つのも楽しいですよ。でも、僕は「自分の歌で相手を酔わせている」という瞬間を味わったことがないから、歌を通して観客と繋がるっていう感覚がまだわからないんです。ステージに立つと、やっぱりお客さんが喜んでくれて嬉しいんだけども、それはプロデューサーとしての目線であって、ヴォーカリストとしてオーディエンスを見る感覚とは違うと思うんです。なんというか、餅は餅屋だなって。

―― クリエイターとパフォーマー、という性質の違いが楽曲への向き合い方にはっきりと出てくるわけですね。

林哲司 その点で面白いのは、稲垣潤一さんがレコーディングを終えて「完成した録音はあまり聴かない」と言っていたことですね。僕と稲垣さんで、なんでこんなに違うのかなと思ったんですけど、これも歌手とクリエイターの違いなんですよ。僕は曲を送り出して作品が完成したら、そこで完結なんです。だから、その段階が一番面白い。でも彼はそれを受け取って、これからずっと歌っていくわけですよね。その曲を持って旅に出るわけです。レコーディングはひとつの通過点で、歌い続けて何度もその歌と向き合う。そこがパフォーマーとクリエイターの大きな差だと思います。


稲垣潤一
『稲垣潤一 meets 林哲司』

2022年3月30日発売


―― とはいえ一方で、これまで『BRUGES~ブルージェ』(’73年)に始まり、『バックミラー』(’77年)、『サマー・ワイン』(’80年)、『ナイン・ストーリーズ』(’86年)など、何枚ものヴォーカル・アルバムをリリースしてこられましたよね。

林哲司 なんて言ったらいいのかな。人に歌ってもらえないタイプの曲だとか、コマーシャリズムではない部分で、自分がやりたいものっていうのはあるんですよね。それを発表する場として、シンガー・ソングライターの側面が時折、芽生えてくるわけです。だから逆にいうと、このソロアルバムを出したから、1、2年後にまた新しいアルバムを出そうってことにはならなかった。間が空いて、しばらくしたらまた作るみたいな状況になって、気がつくと毎回同じプロモーションをやっていたりするんですよ。ということは、やっぱりヴォーカリストとしての部分を構築してない、積み重ねてないってことじゃないですか。ただ、自分の声でなければ出せない色、っていうものも最近になってようやくわかってきて、過去のソロ作品に対して「好きです」って言ってもらえたりなんかすると、自分の作曲の一部として、自分の声質で表現するという部分があってもいいのかなと受け止めています。


林哲司
『NINE STORIES-Longtime Romance-』

1986年9月1日発売


―― 僕は林さんのヴォーカル、好きですよ!

林哲司 おおっ、ありがとうございます(笑)。

―― やっぱり「作曲家が歌う」っていうのは すごく特別だと思っていて。例えば、バート・バカラックも自分で歌う曲があるじゃないですか。バカラックは決して上手いわけじゃないけど、でも、やっぱりあの人にしか出せない味がある。ライヴでも、ピアノをポロンと爪弾きながら歌ったりする。あの瞬間はやっぱりゾクゾクっと来ますし、ショーの山場になったりもする。だから、そこはやっぱり大事な部分なのかなと思います。

林哲司 そうですね、だから僕も、今は1曲だけは歌うことにしています。ヴォーカルものを作っているということが音楽家として一番のスタンスですが、そのデモを作る時だって自分で歌っているわけですからね。やっぱり、表現の出発点には自分の歌声があるのだと思います。そのあたり筒美京平さんはちょっと違うみたいで、ピアノのメロディだけでも歌曲として想像させる力がある。でも僕は、言葉が乗るってこと以前の問題で、別にスキャットでも構わない。人間のヴォーカルには特有の響き方があるんです。まして歌モノを作っているわけですからね。

―― これは以前から質問してみたかったんですが、林さんから見て、ヴォーカリストの理想系っていうのは、どういう人なのでしょうか。




林哲司(はやし・てつじ)
●1973年シンガー・ソングライターとしてデビュー。以後作曲家としての活動を中心に作品を発表。竹内まりや「SEPTEMBER」、松原みき「真夜中のドア〜stay with me」、上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみがとまらない」、中森明菜「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」など全シングル、菊池桃子「卒業 -GRADUATION-」など全シングル、稲垣潤一「思い出のビーチクラブ」など、2000曲余りの発表作品は、今日のシティポップ・ブームの原点的作品となる。また、映画音楽、TVドラマ音楽、テーマ音楽、イベント音楽の分野においても多数の作品を提供。ヒット曲をはじめ発表作品を披露するSONG FILE LIVEなど、積極的なライヴ活動も行っている。
http://www.hayashitetsuji.com/


林哲司
『Hayashi Tetsuji Song File』

仕様 : CD5枚組 +ブックレット
品番 : MHCL-30815〜30819
価格 : ¥14,850(税込)
2023年6月21日発売




【関連作品】


林哲司
『林哲司 コロムビア・イヤーズ』

2023年6 月21日発売



林哲司
『ディスコティーク:ルーツ・オブ・林哲司』

2023年6 月21日発売





【関連イベント】


林哲司50周年記念SPイベント
『歌が生まれる瞬間(とき)』 ~Talk&Live~

会場:赤坂レッドシアター

●6/30(金)
出演:林哲司
ゲスト:萩田光雄(作曲家・編曲家)、船山基紀(作曲家・編曲家)
ゲストMC:半田健人

●7/1(土)
出演:林哲司
ゲスト:売野雅勇(作詞家)
ゲストシンガー:大和邦久、富岡美保、一穂

●7/2(日)
出演:林哲司
ゲスト:松井五郎(作詞家)
ゲストシンガー:藤澤ノリマサ、松城ゆきの、一穂

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