2023年6月号|特集 林哲司の50年

【Part2】林哲司が語る50年~ナイン・ストーリーズ

会員限定

インタビュー

2023.6.6

第2回:Arranger


インタビュー/栗本斉 文/加藤賢 写真/山本マオ


【Part1】からの続き)

ニュートラルな気持ちで対峙して、限られた時間の中で答えを出してきた結果


―― それでは次のテーマ、「Arranger」としての林哲司さんに迫っていこうと思います。先程も「アレンジは作曲の延長である」ということをおっしゃっていましたが、アレンジの技法について、より詳しく伺ってもよろしいでしょうか。

林哲司 アレンジはですね、ほとんどの場合、曲の最終形態が見えた状態で書いています。

―― そうなんですか! じゃあメロディが浮かんだ時には、もうアレンジまで見えているということなのでしょうか。

林哲司 そうですね。以前、船山基紀さんが「林さんは最初からイントロが見えているんだ!」って言ってくれたことがあるのですが、そこまで具体的に編曲が固まっているわけではありません。ただ漠然としたサウンドのコンセプトは、曲を書いてメロディを乗せた段階ですでにありますね。具体的なアレンジの作業に入った時に、イントロ、間奏、エンディングなどをもう一度仕上げていく必要はありますが、それでも最初に曲を書いた段階で方向性は決めています。

―― ラフスケッチのような段階ではあっても、作曲した時点でアレンジの形もおおよそ見えている、ということなのですね。

林哲司 おっしゃる通りです。ただ、昔と今ではデモ時点での完成度に違いがあるんです。昔であれば、ギターかピアノで2小節ほどイントロっぽく流して、それですぐメロディに入っていけば良かったのですが、今はプレゼンテーションする段階で、すでに精巧なデモを要求されるんですよね。だから、ある程度の形までは自分で打ち込んで作ってしまうわけです。そうすると、自分が「一応作っておこう」というつもりで制作したイントロをスタッフが聴き馴染んでしまって、そのまま流用されちゃうことがあるんです。これはやっぱり嫌ですね。「アレンジャーの技を見たい!」って思ってしまうので(笑)。

―― それは昔と今の大きな違いですね。それから、やはりイントロの重要性がよくわかります。「アレンジャーの腕の見せどころはイントロだ」っていう人もいますからね。

林哲司 そうなんです。だからね、僕が職種として 「アレンジャー」には向いていないのかなあと思ったのは、イントロを書くのにめちゃくちゃ時間がかかるからなんですよ。イントロができないと、中を埋めようにも埋められない。自分の作品をアレンジするなら自己責任で割り切れるからまだいいけれど、職業アレンジャーとして他人の作品をアレンジするのは苦労の連続でした。僕は納得できるイントロができないと先に進めないから、ギリギリまでそこに時間をかけてしまう。割り切りがすごく悪いんです。でも、職人としてのアレンジャーは、レコーディングから逆算されたタイムリミットを守らなければならないから、写譜屋さんが来るまでに「よし、これでいい」って答えを出さないといけない。船山(基紀)くんとか、萩田(光雄)さんのような名アレンジャーはそういう判断がすごく巧みで、なおかつその限られた時間の中で素晴らしいアレンジに仕上げるので、本当に崇拝しますね。

―― 船山さんは「イントロの達人」と呼ばれることもありますよね。作曲とはまた違う、アレンジ作業の難しさが伝わってきます。ただ、一方で林さんはアレンジャーとしても、数々の名曲を手掛けて来られましたよね。

林哲司 それはですね、まずもって生活のためですよ。これは時代背景もあるんですが、僕はシンガー・ソングライターとしてデビューしたけれど、ヒットしなかった。そこから研鑽を重ねて、成功を目指すのがアーティストとしての道だと思うけれど、僕はそちらに進まなかった。それよりも、何でもいいから音楽の仕事を引き受けていったんです。まず音楽を職業として出来る生活が嬉しかった。そのうちヤマハの仕事を通して、アレンジのスキルが身に付いてくると、そのスキルが業界で必要とされるようになってくる。そんなに大した仕事量ではなかったけど、1か月に2、3曲アレンジすればどうにか食べていけたから、引き受けざるを得なかったんです。もうひとつは、作曲をやりたくても、僕の個性で楽曲を提供できるアーティストがまだいなかったんですよ。「ポップスを歌う」っていうことに、時代がまだ追いついてなかったんですね。僕らの仲間から大橋純子さんが出てきたように、新しい時代を感じさせるシンガーも少しずつ現れ始めてはいましたけれど、やはり歌謡曲という王道がものすごく頑強だった。そこにいる歌い手さんも、やっぱりジャズや歌謡曲をベースとする人なわけですよね。その人たちにはすでに大御所の作曲家の先生たちが付いているから、そこに新人が入り込む余地はなかったわけです。

―― そこでソロアーティストとしての成功に拘らなかったからこそ、のちの名作曲家が誕生したと思うと不思議な運命を感じますね。70年代という激動の時代に、職業音楽家として自活していく難しさも改めて実感します。アレンジという仕事を除いて、林さんのカラー、つまり新しい時代のサウンドを発表する場がなかったわけですね。

林哲司 そういうことになりますね。だから70年代半ば以降、大橋純子を皮切りに、竹内まりや、松原みきといった新しい世代のアーティストが現れてきたことで、やっと自分の楽曲を提供できたっていうのが現実です。アレンジをやらない限りは、音楽業界で僕らが利用されるってことはなかったんですよ。ちょっと余談なんですけれど、それ以前は自作曲を公開する場もなかったから、デモテープを作って、いくつかのレコード会社さんへ持ち込みをしたことがあるんですね。それはもう苦難の連続で、ある会社では、僕の曲を聴いたディレクターさんが朝丘雪路さんの「雨がやんだら」(’70年)っていう筒美京平さんの曲を持ってきて「こういう曲を書きなさい」っていうんですよ。別の会社に行ってみたら、そっちでは、かぐや姫の「マキシーのために」(’72年)って曲を聴かされて「こういう曲が書けるようになれば、作曲でも使ってあげるよ」みたいな話をされて、いや俺どっちもタイプ違うんだけど、って(笑)。





―― 歌謡曲にフォークにと、極端ですね。林さんもそんなご苦労をされた時期があったわけですね。先ほど、曲ができた時にはアレンジも何となく見えているとおっしゃいましたが、実際にアレンジを形にしていくためには、どのような手順で作業を行なっていくんでしょうか。




林哲司(はやし・てつじ)
●1973年シンガー・ソングライターとしてデビュー。以後作曲家としての活動を中心に作品を発表。竹内まりや「SEPTEMBER」、松原みき「真夜中のドア〜stay with me」、上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみがとまらない」、中森明菜「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」など全シングル、菊池桃子「卒業 -GRADUATION-」など全シングル、稲垣潤一「思い出のビーチクラブ」など、2000曲余りの発表作品は、今日のシティポップ・ブームの原点的作品となる。また、映画音楽、TVドラマ音楽、テーマ音楽、イベント音楽の分野においても多数の作品を提供。ヒット曲をはじめ発表作品を披露するSONG FILE LIVEなど、積極的なライヴ活動も行っている。
http://www.hayashitetsuji.com/


林哲司
『Hayashi Tetsuji Song File』

仕様 : CD5枚組 +ブックレット
品番 : MHCL-30815〜30819
価格 : ¥14,850(税込)
2023年6月21日発売




【関連作品】


林哲司
『林哲司 コロムビア・イヤーズ』

2023年6 月21日発売



林哲司
『ディスコティーク:ルーツ・オブ・林哲司』

2023年6 月21日発売





【関連イベント】


林哲司50周年記念SPイベント
『歌が生まれる瞬間(とき)』 ~Talk&Live~

会場:赤坂レッドシアター

●6/30(金)
出演:林哲司
ゲスト:萩田光雄(作曲家・編曲家)、船山基紀(作曲家・編曲家)
ゲストMC:半田健人

●7/1(土)
出演:林哲司
ゲスト:売野雅勇(作詞家)
ゲストシンガー:大和邦久、富岡美保、一穂

●7/2(日)
出演:林哲司
ゲスト:松井五郎(作詞家)
ゲストシンガー:藤澤ノリマサ、松城ゆきの、一穂

https://ht50th.com/