2023年6月号|特集 林哲司の50年

康珍化(作詞家)|林哲司の50年に寄せて~同時代を築いたジャイアンツからのメッセージ集

スペシャル

2023.6.1

①林哲司との仕事で忘れられない時間やシーン、いちばん印象に残っている事柄は?

 上田正樹さんの「悲しい色やね」の完パケを聴いて、林さんがびっくり、絶望したという話かな(笑)。若手のメロディメーカーとして一際注目を集めていた林さんが、自信を持ってキー坊(上田正樹)に提供した楽曲です。まさか関西弁の歌詞がつくとは思ってもみなかったから、ショックが大きかったみたい。林さん、「もうこの曲のことは忘れよう」って決心したそうです。先日久しぶりにお会いした時に、そのエピソードを直接確かめてみました。

 星勝さんの素晴らしいイントロから、キー坊のソウル満載の歌い出し、完璧な展開なのに、Bメロでいきなり「泣いたらあかん、泣いたら」と関西弁が聞こえて、凍りついたそうです。この時の林さんの驚きを想像すると、怒っただろーなー、申し訳ないなーと(ちょっとクスッとしながら)思います。関屋ディレクターとの打合せでも、ちゃんと「都会の大人のオシャレなラヴ・バラードを」と指示を受けていたし、僕もそのつもりだったんですよ。

 でも実際に書いていると、期待されてる「シティ」という響きの都会のバラードが、どうしてもキー坊の個性とフィットしなくて、ブレーキが掛かかってしまう。で、急遽、関屋ディレクターに「大阪弁で書いていいですか」とお願いしたんです。林さんの驚きと失意は、ここから始まるんですね(笑)。

「悲しい色やね」はヒットに時間が掛かったんですけど、林さんは、関西のお笑い芸人のみなさんが支持してくれて、それがヒットのキッカケだったと聞いてるよと。僕は全然ちがって、確か関屋ディレクターからの情報だったと思うけど、なぜか札幌で火がついて、それから大阪に飛び火したんだよと聞きました。実際にどうだったか知らないけど、僕は今でも「札幌」派です。

 関西弁が札幌のファンにとってフックになったということはないでしょう。きっと札幌の人たちは、林メロのオシャレさに気づいたんだと思います。「悲しい色やね」のせつなさは、寒い国のせつなさにも通じていますから。札幌は夜景もキレイですしね。林さんが望んだシティのラヴ・バラードは、しっかり伝わっていたんだと思いますよ。


上田正樹
「悲しい色やね」

作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:星勝
1982年10月21日発売



②『Hayashi Tetsuji Song File』収録曲のなかでいちばん印象に残っている作品は?

 これがいちばんと決めるのは難しいけど、「悲しみがとまらない」は僕にとって大事な作品になりました。シュープリームスの「スラムの小鳩」、知ってます? スラムで育った黒人の少女が、やがて裕福な家庭の白人と結婚してスラムを忘れ、母親の臨終に駆けつけて懺悔するという歌。全米ナンバー1です。歌の力はすごいなーと思いました。僕もそんな歌を書きたいと心に秘めました。そんな時、幸運がベルを鳴らして、林さんとのペアで杏里さんへの作品依頼が来ました。

 林さんにシュープリームスの話をし、「悲しみがとまらない」というタイトルと、「I can’t stop the loneliness」というコピーを送り、楽曲制作がはじまりした。そして、見事なアップチューンの曲が届きました。タイトルとコピー以外に詞のテーマなどは何も決まっていなくて、あとはメロに引っ張られながら詞を書きました。

 林メロは構成がはっきりしていて、「ABC」と展開がとても速いんです。作詞家はいろいろ説明したいので、多い音数を望むのだけど、林曲は「AA’BC」のような余裕を与えてくれないんです。だから、たとえば「悲しみがとまらない」のAメロは、「あなたに彼女合わせたことを わたし今も悔やんでいる ふたりはシンパシー感じてた 昼下がりのカフェテラス」、ここまでしか表現できない。できればもういちどAをリフしてA’してもらってシチュエーションを膨らませたいのだけど、その余地なくBメロへ突入。メロが展開しているので、詞も展開を強いられ、歌詞は唐突に別れ話になります。「あの日電話が ふいに鳴ったの あの人と別れと 彼女から」と展開します。早い早い(笑)。この展開の速さが、歌詞の説明的な箇所を削ぎ落としてくれて、スピード感と想像力を働かせる余地を生んでくれます。

 同じ林メロ「真夜中のドア」の歌い出しを、三浦さんは「私は私 貴方は貴方と きのう言ってたそんな気もするわ」と書き出してます。それ以前はこういうカットインみたいな詞の斬新な書き出しはあまりない気がする。でもそうやって始めないと、メロに詞の全体が収まらなくなる。そしてすぐBメロへ展開。三浦さんも「早い、早い」と言いながら、書いてたんじゃないかしら。「真夜中のドア」がメロ先だとすれば、林さんの新しいメロが、言葉の新しい展開を引き寄せたんじゃないかしらって、経験からそう思います。


杏里
「悲しみがとまらない」

作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:角松敏生
1983年11月5日発売


《康珍化 作詞作品『Hayashi Tetsuji Song File』収録曲》
・上田正樹「悲しい色やね」(1982)作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:星勝
・杉山清貴&オメガトライブ「SUMMER SUSPITION」(1983)作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司
・杉山清貴&オメガトライブ「君のハートはマリンブルー」(1984)作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司
・杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」(1984)作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司
・杏里「悲しみがとまらない」(1983)作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:角松敏生
・中森明菜「北ウイング」(1984)作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司
・原田知世「天国にいちばん近い島」(1984)作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:萩田光雄
・堀ちえみ「稲妻パラダイス」(1984)作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:萩田光雄
・角松敏生「SINGLE GIRL」(2000)作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:角松敏生
・成清加奈子「パジャマ・じゃまだ!」(1984)作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:椎名和夫


③デビュー50年を迎えた林哲司さんへのメッセージ

 おめでとうございます。

 生誕50周年ではなくて、音楽活動をスタートしてからの50年、ずっと情熱と、真摯さと、音楽に対する愛情を失わない半世紀は、本当にすごいことだと思います。その間、たくさんの林メロに取り組ませていただいて、幸運でした。林さんのメロの新しさ、デリケートさに触れて、学んだことがたくさんあります。またご一緒できる機会があるといいですね。




康珍化(かんちんふぁ)
1953年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、CM制作会社勤務を経て、作詞家に。浅野ゆう子「半分愛して」(’80年)が林×康コンビの初作品。以後上田正樹「悲しい色やね」(’82年)他、多くのヒット曲をコンビで送り出す。





林哲司
『Hayashi Tetsuji Song File』

仕様 : CD5枚組 +ブックレット
品番 : MHCL-30815〜30819
価格 : ¥14,850(税込)
2023年6月21日発売