2023年5月号|特集 大江千里 Class of ’88

【Part1】Life of S.O.~大江千里のライフ・ストーリー[N.Y.編]|2008-2011

解説

2023.5.1

文/大窪由香


2008年、47歳にしてポップスターとしての功績をすべて整理して単身N.Y.へ向かう――


(Life of S.O.~大江千里のライフ・ストーリー 1983-2007からの続き)


大江千里
「静寂の場所」

2007年9月19日発売


 2008年1月10日、「侍」の文字がプリントされたTシャツ姿で、右手にスーツケース1個、左手に愛犬のいるキャリーバッグを抱え、千里さんは雪舞うN.Y.に向かった。47歳にしてポップスターとしての功績をすべて整理して、N.Y.にあるカレッジ「THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC」に留学するためである。

 その前の年のある日、六本木ヒルズのショーウィンドーに映った自分の姿を見て、自分じゃない顔をしているような気がしたことがきっかけだと言う。「自分がしたいことをしているか?」と自問自答した末に出した答えが、“ジャズ・ピアニストになりたい”というかつての夢だった。受験用のデモテープを作り、カレッジに送ると「承認」の知らせが届いた。年末にはクリスマス・ロングコンサートを予定していた。しかし、それを聞いた長年彼を支えてきたマネージャーは、「そんなにジャズをしたいなら行くべきだ。スケジュールはすべてキャンセルする」と、その夢を後押しする。しかし当時のファンの人たちの気持ちはどうだったのだろう? もしも自分の推しが突然日本を離れ、ジャズミュージシャンに転向すると言ったら、どんな気持ちになるだろうか? 千里さんがN.Y.ストーリーを書いたエッセイを読みながら、ふと15年前に思いを馳せる。


『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』
大江千里・著/KADOKAWA・刊

2015年4月17日発売


 ちょうどその時、千里さんが音楽監督を務めた2008年秋に公開された映画『能登の花ヨメ』の主題歌、「始まりの詩、あなたへ」を再生した。作詞作曲:大江千里。岩崎宏美さんの温かく滋味深い歌声が流れる。都会育ちの花嫁と能登の人々との心の交流を描くハートウォーミングな作品に千里さんが書き下ろした「始まりの詩、あなたへ」は、“あなたにありがとう 心からそう告げたい”と始まる。映画のストーリーに寄り添いながら、丁寧に丁寧に感謝の思いを綴ったこの曲に、千里さん自身の思いが詰まっているように感じ取れて、勝手な解釈だが温かい気持ちになった。

 この第一回、2008〜2011年の4年間は、千里さんの波乱万丈の学生生活にあたる。N.Y.に着いた翌週から始まったSpring Semester(春学期)のオリエンテーションでは、2日目に大遅刻して初っ端から落ちこぼれてしまう。ポップミュージシャンとしての長年のキャリアは、ジャズの基礎を学ぶここではマイナスに働き、歳の離れたクラスメイトに「ジャズができてない人がクラスにひとりいる」と言われる始末。授業に追いつけるようひたすら練習を重ねた結果、手の痛みがひどくなって日本に一時帰国したことも。苦渋を飲む経験を重ねながら一年を過ごした頃、自分が何を身につければいいのか、少しだけ自分の頭で考えることを覚え始めたと言う。

 学生生活2年目では、どの程度ジャズの実力がついたかをチェックする試験「ソフォモアジュリー」をクリアした後、基礎のプライベートレッスンを卒業する試験「Out of Proficiency」を受ける。ジャズを志す人間が最低限やらなければならないことのすべての基礎が、この実技試験に詰まっているという。日を追うごとに不安に苛まれていた千里さんには、ジャズへの見えない壁と、この試験の壁が重なって見えていたそうだ。2009年12月、その過酷な試験を突破し、基礎クラスを無事に卒業することができた。

 基礎クラスを卒業した千里さんは、学生生活3年目で現代屈指のピアニスト、アーロン・ゴールドバーグのプライベートレッスンを受けることになる。二人でデュオを弾いてみると、自分の粗が見えてくる。「歌手ならば譜面に書き起こしたりしないで、耳で聞いた音を全部そのまま歌えるようにしなきゃ」というアーロン氏の言葉をきっかけに、シンガーソングライターとして活動してきた実績をもつ千里さんだからこそできる方法を見つけた。

 その一方で、J-POPの楽曲をビッグバンドでカバーする「モーニング息子。」に加入する。きっかけは2009年に出演した、日本人フルーティスト・Yukaさんのシニアリサイタルで出会ったトロンボーン奏者ジョー・ベイティ。バックグランドが違う人たちが演奏すると、日本のポップスもまた違った響きがする。その体験は長年日本のポップスに携わってきた千里さんにとって、新鮮だった。「モーニング息子。」の活動は評判を呼び、N.Y.近辺のみならず、首都ワシントンDCでのイベントや、有名なジャズクラブSOBやBlue Noteにも出演することになる。ビラ配りという地道な草の根運動が実を結び、ついにはMTV AWARDでグランプリを獲得。この時「モーニング息子。」の活動はピークを迎え、その後音楽的な方向性の違いから、それぞれが別々の道を辿ることになる。その年の夏、親交のあったジャズ・ベーシストの河上修氏がN.Y.を訪れ制作したデュオ・アルバム『Duo』を、12月22日にリリース。2011年2月に一時帰国して、河上氏との<duo gig>を開催した。


『マンハッタンに陽はまた昇る 60歳から始まる青春グラフィティ』
大江千里・著/KADOKAWA・刊

2021年3月31日発売


 アメリカでの生活はあまりにも忙しすぎて、チャンスをもらいながらも活かしきれず、自分自身の成長の遅さに苦しむ日々が続いていた。そんな時に授業を通して、自分が最も好きだった“曲を書く”ということをもう一度真剣にやってみようと思い立つ。そして書き始めたのが、故郷の景色を綴った「ホームタウン」だった。夢中になって最後まで書き上げたところで、一休みをしようとPCを開けたところ、そこに映っていたのは「ホームタウン」である日本で起こっている大地震、津波の映像だった。2011年3月11日、東日本大震災。N.Y.のメディアでも大きく報道されていた。

 何か役に立ちたい。その一心だった。仕事でN.Y.に来る予定だった渡辺美里さんに連絡を取り、約一カ月後の4月5日にふたりで復興コンサートを開くことになった。会場探しやその準備のため、学校は欠席することが多くなった。当日の会場は、中を歩けないほどの超満員。「10 years」や「ふるさと」を歌い演奏する。多くの募金が集まり、人々の善意に胸が暑くなったと言う。その後も、日系のジャズクラブ「富ジャズ」で東北復興ライヴを開いたり、「モーニング息子。」と震災救済コンサートに参加したりと、できることを無我夢中でやってきた。そんな中で、N.Y.に移住して以来、演奏を楽しめるようになった自分に気が付く。この時初めて、「音楽」が自分の「ホームタウン」だったのだと思い出したと著書の中で語っている。7月に彼は6日間にわたりサマージャズフェスティバルを主催する。タイトルは<6 Seeds>。日替わりでゲストミュージシャンを迎え、ジャズの種を撒き、様々な花を咲かせていくというもの。このイベントによる売り上げの一部も東日本大震災の復興支援金として寄付した。

 2011年は様々な活動を通して復興支援に奔走した一年だった。欠席が多かったにも関わらず、落ちた科目は一つもなかった。クラスメートと先生の善意に胸を熱くしながら、“まだジャズ山の麓にも達していない”と思った千里さんは、もう1セメスター学校に残ろうと決意する。自分が「美しい」と思う世界を曲で表現することができたら卒業しよう。ここから音楽家としての第二章がスタートしたのだ。

【Part2】に続く)

※参考資料:
・『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』(KADOKAWA)
・『マンハッタンに陽はまた昇る 60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)




大江千里
『Class of '88』[初回生産限定盤]

2023年5月24日発売
MHCL-3032~3034/¥8,800(税込)
●Disc-1:CD 『Class of '88』 ※通常盤と共通
●Disc-2:CD 『Senri Jazz 〜First Decade〜』
●Disc-3:DVD 『大江千里Piano Concert ~Remember Homeroom!~』



大江千里
『Class of '88』[通常盤]

2023年5月24日発売
MHCL-3035/¥3,300(税込)