2023年5月号|特集 大江千里 Class of ’88

第1回:音楽|Column of ’88 ~ 1988年のカルチャーシーンを斬る!

コラム

2023.5.1

文/長井英治

©長井英治


『Class of ’88』にちなみ、1988年にフォーカスするカルチャーコラム。第1回目は8cmCDシングルが席巻した音楽シーンについて。

バブル時代の風が吹いてくるような音楽シーン


 西暦1988年。元号でいうところの昭和63年だが、昭和64年はたった1週間で終わってしまうので、ざっくり言えば’88年は、ほぼ昭和最後の年ということになる。ディスコ、ワンレングス、ボディコンなどは、’88年を表現するわかりやすいワードだろう。

 のちに“バブル時代”と呼ばれた80年代後半の日本だが、意外なことに音楽業界は世の中の景気に比例していたわけではなく、’87年のシングルの年間チャートの1位は瀬川瑛子の「命くれない」で、オリコンの売上枚数は42.3万枚、10位の少年隊の「君だけに」は28.1万枚という低い売上枚数であった。しかし、そんなシングル盤の救世主となったのが、’88年2月21日に登場した、短冊形の8cmシングルと呼ばれた新たなフォーマットだ。海外でも同時期に8cmシングルは発売されていたが、“3インチシングル”と呼ばれ、わりと早い段階で撤退している。

 8cmシングルはそれまでに発売されていたCDプレーヤーでは再生できず、専用のアダプターをかませないと再生できない仕組みになっており、意外に扱いが厄介だったことは否めない。発売当初は、ジャケットを半分に折りたたんで保存することが推奨されており、子供たちは玩具感覚で楽しんでいたように思う。とはいえ、この8cmの登場で音楽がより手軽なアイテムになり、多くのヒット曲が世に送り出されることになる。’88年はシングルレコードと8cmが並行して発売されていたが、’89年に入るとソニーは早くもCDのみの発売に切り替えている。ちなみに、自分が最初に買ったシングルは、’88年2月26日に発売された中島みゆきの「仮面」で、これをきっかけにレコードではなくCDを買うようになった。


光GENJI
『光GENJI』

1988年1月1日発売


 ’88年のトピックスは何と言っても、前年の8月にデビューしたジャニーズ事務所の7人組アイドルグループ“光GENJI”の社会現象だろう。ローラースケートを履き、歌い踊る彼らに当時の若い女性ファンは熱狂し、3月に発売された「パラダイス銀河」は年間チャートの首位を獲得する大ヒットになっている。「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」「剣の舞」も年間チャートのTOP10にランクインし、’88年のヒットチャートを賑わせた。元日に発売になったファーストアルバム『光GENJI』もユーミンの『ダイアモンドダストが消えぬまに』を押さえ、みごと年間チャートの首位を獲得している。シングルの年間チャートの4位には、昨年、期間限定で再結成し大きな話題になった男闘呼組のデビュー曲「DAYBREAK」もチャートインしている。80年代からジャニーズ系のアーティストの活躍はめざましく、彼らの成功がなければ、のちのSMAPや嵐のブレイクもまた違ったものになっていたかもしれない。


松田聖子
『Citron』

1988年5月11日発売


 80年代を牽引してきたトップアイドル松田聖子と中森明菜は、この年、新たなアルバム制作にチャレンジしている。松田聖子はプロデューサーにデイヴィッド・フォスターを起用した『Citron』、中森明菜は海外のアレンジャーやミュージシャンを起用しLAでレコーディングしたアルバム『Femme Fatale』をリリースしている。両者とも、アイドルからアーティストへのターニングポイントになったチャレンジだったが、アルバムは見事に首位を獲得している。

 松田聖子、中森明菜が、アルバム制作に活動をシフトチェンジしたこの年は、アイドル四天王と呼ばれた、工藤静香、南野陽子、中山美穂、浅香唯らの活躍が特にめざましかった。工藤静香は中島みゆきが詞を提供した「MUGO・ん…色っぽい」、中山美穂「人魚姫 mermaid」、南野陽子「吐息でネット。」、浅香唯「C-Girl」がそれぞれ首位を獲得し、トップアイドルに躍り出ている。



BOØWY
『“LAST GIGS” LIVE AT TOKYO DOME "BIG EGG" APRIL 4,5 1988』

1988年5月3日発売


 ’88年の音楽ニュースの中で大きなトピックスとなったのは、人気ロックバンドのBOØWYの解散だろう。4月4日、5日に東京ドームで行われた“LAST GIGS”で惜しまれつつ解散した彼らだが、解散から3か月後には、ヴォーカルの氷室京介がソロ第一弾シングル「ANGEL」をリリース。布袋寅泰も解散から約半年後にアルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、両者とも商業的に大成功を収めている。


久保田利伸
『Such A Funky Thang!』

1988年9月30日発売


 もっとも活躍がめざましかった男性ソロアーティストは、久保田利伸だ。本格的なブラック・コンテンポラリーをベースにしたサウンドで人気を博してきた久保田だが、サードアルバム『Such A Funky Thang!』でついに首位に躍り出ている。“ニュージャックスウィング”というサウンドは、当時の日本ではまだ聞きなれないジャンルであったが、のちにブラコンをベースにした多くの男性アーティストが成功を収めていることを考えると、日本の音楽史において久保田利伸の功績はとても大きな意味を持つ。


松任谷由実
『Delight Slight Light KISS』

1988年11月26日発売


 この時期は女性アーティストの活躍もめざましく、特に松任谷由実のCD売り上げは社会現象になっており年末の風物詩にもなっていた。この年発売されたアルバム『Delight Slight Light KISS』は日本人初のCD売り上げ100万枚を突破した記念すべき作品で、当時のユーミンは決して他の追随を許さなかった。バブル時期の象徴のように比喩されるユーミンだがこの時期に、「私のCDが売れなくなった時は、都市銀行が潰れる時」という有名なコメントも残している。


中島みゆき
『グッバイガール』

1988年11月16日


 “ご乱心時代”と呼ばれた中島みゆきの音楽的実験期間は、アレンジャーの瀬尾一三とタッグを組むことで、この年ついに終焉を迎えている。瀬尾一三がアレンジを手がけたアルバム『グッバイガール』は見事首位を獲得しており、“ニューミュージックの女王”と呼ばれたユーミンと中島みゆきにとっても大きな転機になった。


岡村孝子
『SOLEIL』

1988年7月1日発売


 岡村孝子、杏里、今井美樹、渡辺美里らの活躍もめざましかった。“OLの教祖”の異名を持つ岡村孝子は、大きなシングルヒットこそなかったが、アルバムの売り上げが非常に高く、『SOLEIL』でついに首位を獲得している。前作のアルバム『BREATH』が初の1位を獲得した渡辺美里は、この年も『ribbon』を大ヒットさせている。岡村も渡辺もその後、数年間にわたり、多くのアルバムをヒットさせ大活躍をした。


杏里
『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』

1988年5月21日発売


 杏里と今井美樹はバブル期の音楽シーンに欠かせない二人だ。音楽性の高いアルバムは男性ファンからも大きな支持を集めたが、彼女たちのファッションやライフスタイルは多くの女性ファンの人気を博した。特に今井は資生堂の秋のキャンペーンのモデルとCMソングに起用されており、シングル「彼女とTIP ON DUO」は初のTOP10入りを果たしている。今井がCMで取り上げた真っ赤な口紅も大ヒットになり、彼女の存在自体が女性の憧れの的になった。前年のアルバム『SUMMER FAREWELLS』からセルフプロデュースを開始した杏里はセールス面でも大成功させ、アルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』に収録の「SUMMER CANDLES」は結婚式の定番ソングとしても愛されロングセラーを記録している。

 ほぼ、昭和最後の年になった’88年。シングルレコードは8cmシングルに移行し、それまではスナックで歌われていたカラオケも、カラオケボックスの出現でその形を変えていくことになる。まだ携帯電話もインターネットも何もなかった時代だからこそ人々はシンプルに“音楽を聴く”という行為を楽しんでいたのだろう。翌年には、人気音楽番組『ザ・ベストテン』の放送が終了。ニューミュージックやフォークソングは徐々に影を潜め、バンドブームの到来とともに、アイドル冬の時代に突入することになる。昭和から平成、そして1990年代にかけて音楽シーンは大きく変わっていくわけだが、’88年のヒット曲を改めて振り返ってみると、時代を反映させたポジティヴな気分にさせてくれる前向きなサウンドがヒットしていたことがお判りいただけると思う。「日本ひとつで、アメリカがふたつ買える」と、とんでもない勘違いをしていたバブル時代だったが、改めてこの時代の曲を聴いてみると、あの熱に浮かされたバブル時代の風が吹いてくるような気がする。