2023年4月号|特集 大滝詠一 2023

【Part4】伊藤銀次 インタビュー|“後継指名者”が語る大滝詠一のノヴェルティ・ソング

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インタビュー

2023.4.25

インタビュー・文/荒野政寿 写真/島田香


ココナツバンク、シュガー・ベイブ、そして『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』と、70年代より大滝詠一と密接に関わってきた伊藤銀次。大滝のノヴェルティ・ソングへの傾倒をいち早く理解し、その世界を受け継ぐ後継者として指名された伊藤が当時を振り返りながら、『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK』の果てしなき魅力について語り尽くす。

【Part3】からの続き)

『シャボン玉ホリデー』から生まれた一大ノヴェルティ・ソング「ウキウキWATCHING」


── 80年代初頭からの、いわゆる“漫才ブーム”以降、お笑いタレントが歌うレコードも多数登場しました。大滝詠一さんが手がけたうなずきトリオ「うなずきマーチ」(’82年)はその時期を象徴する1曲ですが、銀次さんもその頃、ビートたけしさんのシングルでアレンジを担当していますよね。

伊藤銀次 「いたいけな夏」(’81年)ね。作曲はワイルドワンズの加瀬邦彦さんでした。僕が『G.S.I LOVE YOU』(’80年)というアルバムで沢田研二さんのアレンジをやり始めてから、プロデューサーのひとりだった加瀬さんが僕のことを気に入ってくださってね。その流れで、加瀬さんが関わっていたひかる一平さんや、たけしさんのレコードでもアレンジを担当することになりました。でも未経験のジャンルだったので、加瀬さんに「僕でいいんですか?」って聞いたら、「いいよいいよ、ロックにするから」って。「ひかる一平はロックパイル風で行こう!」なんて言ってね。加瀬さんも、やっぱりロック・バンド出身の魂を持ち続けている方なんだなと思いました。ただ、たけしさんとは残念ながらお会いすることができなかったので(笑)、正直曲としてそれほど強い思い入れはないんです。

── そうですか。「いたいけな夏」はノヴェルティ的な要素はないですけど、60年代っぽいギター・サウンドをフィーチャーしながら80年代らしいアレンジでまとめていて、とても良いロック歌謡でした。

伊藤銀次 ちょうどあの頃、アメリカン・オールディーズのリヴァイヴァルが再び来ていましたから。曲をもらったときに(ポール・アンカの)「ダイアナ」みたいな曲だなと思ったので、これをニュー・ウェイヴ風に味付けできたらいいかな、と思ってアレンジを考えました。

── その後、銀次さんは「うなずきマーチ」と縁が深い『オレたちひょうきん族』のプロデューサー、横澤彪さんの依頼で、『笑っていいとも!』のために「ウキウキWATCHING」を書き下ろされましたね。

伊藤銀次 横澤さんがじきじきに事務所まで来てくださって。横澤さんとはシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」をEPOさんのカヴァーで、『オレたちひょうきん族』のエンディングに使っていただいた、という縁もありました。そのとき横澤さんから、「タモリを昼間のスターにする」と聞いたときは驚きましたね。まだ漫才ブームの余韻が続いていて、前番組の『笑ってる場合ですよ!』も人気があったのに、それをもう終わらせると言うのでテレビってすごい世界だなと思いました(笑)。


伊藤銀次
『POP FILE 1972-2017』

2017年11月21日発売


 最初からあの歌詞があって、タモリさんがいいとも青年隊を従えて踊りながら歌う曲を書いて欲しいと言われて。そのときにパッと頭に浮かんだのは、子供の頃に見ていた『シャボン玉ホリデー』でした。番組のエンディングの前に、その日の出演者全員が出てきて歌って踊るコーナーが大好きでね。みんなでボックスを踏みながら「明日があるさ」とかを歌う光景が目に焼き付いていたので、そんな感じでどうでしょうとお伝えしたら、横澤さんも乗ってくださって。そこからイメージを膨らませて、ほんの20〜30分で一気に作曲しました。その後何年も経ってから、ウルフルズが「明日があるさ」をカヴァーすることになるとは夢にも思わなかったので、不思議な因縁を感じますね。

── 大滝さんは「ウキウキWATCHING」を聴いて、これはハーマンズ・ハーミッツの「ミセス・ブラウンのお嬢さん」だろ、とおっしゃったそうで。

伊藤銀次 そう、僕はそんなつもりはまったくなかったんですけどね。言われてみると確かに、潜在的に僕の中にある要素を見抜かれたのかなと思いました。アレンジは僕がとても忙しい時期だったので、鷺巣詩郎さんがああいうバンジョーを入れた楽しい感じに仕上げてくださったんですよ。それが結果的にハーマンズ・ハーミッツっぽく聴こえたのかもしれません。

 考えてみると、横澤さんのチームはナイアガラと非常に近いセンスを持っていたんですよね。クレイジー・キャッツも出ていた『シャボン玉ホリデー』の笑いも音楽もあるヴァラエティ感覚、「オレたちひょうきん族」で「DOWN TOWN」を使ってくださったこと…それらをひっくるめて、不思議と呼び合うものがあった気がします。

 僕みたいなロック・ミュージシャンに『笑っていいとも!』のテーマ曲を任せていただいたこともそうですけど、80年代ってそれまでの時代ではあり得ないようなもの同士を組み合わせて、新しいものが次々と生まれた時代だと思うんですよ。たとえば、YMOのメンバーがお笑いの番組に出たりとか、今までだったら考えられなかったじゃないですか。そういう、まったく予測できなかったことが起こり始めた。それまでのいわゆる芸能界的な、お決まりの形が壊れ出して、あの真面目な坂本龍一くんがおかしな格好をしてギャグを言うとか……シリアスな音楽とヴァラエティ番組との境界線すらなくなってきて。

── 坂本さんのことは『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(’76年)の頃からご存知だと思いますが、ああいうひょうきんな面もある方だったんでしょうか?





伊藤銀次(いとう・ぎんじ)
●1950年12月24日、大阪府生まれ。’72年にバンド“ごまのはえ”でデビュー。その後ココナツバンクを経て、シュガー・ベイブの’75年の名盤 『SONGS』(「DOWN TOWN」は山下達郎との共作)や,大瀧詠一&山下達郎との『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』(’76年)など,歴史的なセッションに参加。’77年『DEADLY DRIVE』でソロ・デビュー。以後、『BABY BLUE』を含む10数枚のオリジナル・アルバムを発表しつつ、佐野元春、沢田研二、アン・ルイス、ウルフルズなど数々のアーティストをプロデュース。『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWATCHING」の作曲、『イカ天』審査員など、多方面で活躍。