2023年4月号|特集 大滝詠一 2023

【Part3】伊藤銀次 インタビュー|“後継指名者”が語る大滝詠一のノヴェルティ・ソング

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インタビュー

2023.4.18

インタビュー・文/荒野政寿 写真/島田香


ココナツバンク、シュガー・ベイブ、そして『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』と、70年代より大滝詠一と密接に関わってきた伊藤銀次。大滝のノヴェルティ・ソングへの傾倒をいち早く理解し、その世界を受け継ぐ後継者として指名された伊藤が当時を振り返りながら、『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK』の果てしなき魅力について語り尽くす。

【Part2】からの続き)

ロックンロールが持つノヴェルティ性を理解したうえで、音頭を結びつけた


── 「ナイアガラ音頭」(’76年)を最初に聴いたときは、正直どう思われましたか?

伊藤銀次 その頃はまだメインの大滝サウンドがある一方で、「颱風」や「びんぼう」の世界もあって、そちら側の曲として「ナイアガラ音頭」があるんだと僕は思っていたので、そんなに驚かなかったし、おもしろいなと思って聴いていたんですよ。しかも途中でファンクになってチョッパーベースが入ったり、これぞ大滝さんだ! と思いました。

 でも『LET'S ONDO AGAIN』(’78年)には仰天しましたね。僕がイメージしていた大滝さんのノヴェルティ的な“部分”が、一気に全体に広がったでしょ。あのアルバムを聴いたときは、さすがに「えーっ!」て思った。それはね……僕は大滝さんのプロデューサーでもディレクターでもないですが、失礼を承知の上で当時の気持ちを正直に言うと、これは売れないんじゃないかと心配になりました。やっぱり僕自身が好きになった大滝さんは「空いろのくれよん」とか「空飛ぶくじら」……マイルドなメロディと、あのヴォーカルの魅力ですよね。そちらがメインで、もうひとつ別の要素としてノヴェルティ的な世界があるものだと思っていたのに、『LET'S ONDO AGAIN』ではノヴェルティ・ソングが真ん中に来てしまった。

NIAGARA FALLIN' STARS
『LET'S ONDO AGAIN』

オリジナル発売日 : 1978年11月25日


 ナイアガラが発足した当初は、シュガー・ベイブ、ココナツ・バンク、布谷文夫さん、大滝さんの4大柱で始まるはずだったのが、僕たちも山下達郎君たちもそこから離れてしまって。布谷さんと大滝さんだけになっちゃったので、それはちょっと気がかりだったんですよ。その頃の僕は何か手伝うこともできないし……逆に大滝さんのことを手伝うなんて言いながらずっとおそばにいたら、結局大滝さんにお世話になり続けることになってしまうと思ったので、僕は福生から離れたんです。

 でも大滝さんは不屈の魂でシリア・ポールさんの『夢で逢えたら』(’77年)を完成させて。ご自身のアルバム『GO! GO! NIAGARA』(’76年)と『NIAGARA CALENDAR』(’77年)、さらに多羅尾伴内楽團でもアルバムを発売して、鬼のような勢いで作品をリリースしていたでしょ。なんてすごい人だろうと思いましたけど、僕はずっと心配だったんですよ。この調子で続くのかな、って思ってた。大滝さんは誰でも手がけるわけじゃなくて、眼鏡にかなった人としか組まないから、ナイアガラの所属アーティストもなかなか増えないですし。そうやって心配していたところに『LET'S ONDO AGAIN』が出てきたので、これはいよいよ……というのが当時の素直な心境でした。

── 『LET'S ONDO AGAIN』は、発売された当時はそこまで過激な作品に聞こえたんですね。民謡クルセイダーズのようにドメスティックな音楽を咀嚼したグループが活躍している21世紀現在の感覚で聴くと、今はそこまで違和感なく楽しめますが。

伊藤銀次 後から聴くとね。「実は先進的な作品だった」という評価に変わっていきましたけど、当時の僕は戸惑いの方が大きかった。そんな中でも、当時からピーター・バラカンさんはあのアルバムを高く評価していた、という話がありますよね。それを聞いてちょっと思ったのは……日本人にとっての音頭って、「オバQ音頭」だったり「東村山音頭」だったり、音楽どうこう以前に音頭と聞くだけでクスッと笑ってしまう、ちょっとコミカルな要素があるものじゃないですか。そういう背景があんまりない状態で聴くと、あのリズムに着目すると思うんです。音頭のちょっと変わったリズム……世界のリズムを見渡してみると、あれはレゲエとも似たところがあるリズムですから。僕らは音頭を聴いた瞬間にどうしてもちょっと笑っちゃう……志村けんさんの顔が思い浮かんだりして(笑)、シリアスに聴けなくなってしまいますけど。それとは対照的に、外国から来た方が先入観抜きで聴くと、音楽そのものにフォーカスしやすいのかな、ということは思いました。

── なるほど。そもそも『LET'S ONDO AGAIN』に詰め込まれた“笑い”の要素を全て理解するのは、日本人にとっても容易ではないわけで。

伊藤銀次 やっぱりリズムの斬新さ、組み合わせのおもしろさに目が行くと思うんです。そこは大滝さんが徹底的に磨いたところでもあるし。これは、もしかするとですけど……「イエロー・サブマリン音頭」も、日本語カヴァーの許諾を得るときに、作者もどこかのタイミングで曲を聴いたんじゃないかな?

── ポール・マッカートニーが聴いておもしろがったと言われていますね。





伊藤銀次(いとう・ぎんじ)
●1950年12月24日、大阪府生まれ。’72年にバンド“ごまのはえ”でデビュー。その後ココナツバンクを経て、シュガー・ベイブの’75年の名盤 『SONGS』(「DOWN TOWN」は山下達郎との共作)や,大瀧詠一&山下達郎との『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』(’76年)など,歴史的なセッションに参加。’77年『DEADLY DRIVE』でソロ・デビュー。以後、『BABY BLUE』を含む10数枚のオリジナル・アルバムを発表しつつ、佐野元春、沢田研二、アン・ルイス、ウルフルズなど数々のアーティストをプロデュース。『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWATCHING」の作曲、『イカ天』審査員など、多方面で活躍。