2023年4月号|特集 大滝詠一 2023
【Part2】伊藤銀次 インタビュー|“後継指名者”が語る大滝詠一のノヴェルティ・ソング
インタビュー
2023.4.12
インタビュー・文/荒野政寿 写真/島田香
ココナツバンク、シュガー・ベイブ、そして『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』と、70年代より大滝詠一と密接に関わってきた伊藤銀次。大滝のノヴェルティ・ソングへの傾倒をいち早く理解し、その世界を受け継ぐ後継者として指名された伊藤が当時を振り返りながら、『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK』の果てしなき魅力について語り尽くす。
(【Part1】からの続き)
大滝さんにとってあんなに楽しかった時期はないんじゃないかな
── 福生と大滝さんと言うと、お笑い以外の重要な要素として野球が思い浮かびます。福生エキサイターズというチームまで作ってしまう徹底ぶりがすごいですが、ロック・ミュージシャンが野球チームを作るということ自体、当時はかなり異例なことだったのではないでしょうか?
伊藤銀次 やっぱりロック観が今とは全然違いますから。日本人のロッカーが出てきた当時、ロックンローラーが野球をやるっていうのは……本当は多分、みんなやりたかったと思うんですよ。だけど、それはイメージ的にできなかったんじゃないですか。そういう巷じみたことをロックンローラーがやるっていうのは。でも大滝さんはそんなことはまったく気にしなかった。
大滝さんは小学校の頃から相撲と野球をやっていた人でね。で、そばにいるのが僕達ごまのはえの5人でしょ。ちょうどその頃、布谷文夫さんが大滝さんにプロデュースをして欲しいと頼みに来てて、僕らのところに割と入りびたりだったんですね。僕らはその頃、近所の米軍ハウスに住んでいる人たちと知り合ってたので、毎夜のごとく彼らが来て、麻雀大会をやってたんですよ。僕は当時まだ麻雀ができなかったので加わりませんでしたけど。『NIAGARA MOON』の「楽しい夜更かし」という曲は本当にそのまんまです。だから、周りにちょうど9人ぐらいいるんですよ。それで大滝さんが野球チームを作ろうと思い立って。
大滝詠一
『NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-』
オリジナル発売日 : 1975年5月30日
何事にも徹底する大滝さんですから、近くの公園でキャンプをするんですよ(笑)。まずランニングから始まって、大滝さんがノックして。ところが僕は子供の頃から野球が本当に下手でね。真っすぐボールを投げられないんですよ。自分では真っすぐ投げてるつもりが、必ず曲がっちゃう。守備をやってもフライを落とすし、バッティングもイマイチ。そもそも野球が苦手だったから中学でバスケットボールを始めたぐらいで。なので、大滝さんにはかなりしごかれました(笑)。
── 銀次さんのポジションはどこでしたっけ?
伊藤銀次 セカンドです。まあ、フライを取らなくてよかったし。僕は福生エキサイターズの穴でしたね。僕を狙えばボロ勝ちしましたよ、きっと。
── 試合はどんなチームとやってたんですか?
伊藤銀次(いとう・ぎんじ)
●1950年12月24日、大阪府生まれ。’72年にバンド“ごまのはえ”でデビュー。その後ココナツバンクを経て、シュガー・ベイブの’75年の名盤 『SONGS』(「DOWN TOWN」は山下達郎との共作)や,大瀧詠一&山下達郎との『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』(’76年)など,歴史的なセッションに参加。’77年『DEADLY DRIVE』でソロ・デビュー。以後、『BABY BLUE』を含む10数枚のオリジナル・アルバムを発表しつつ、佐野元春、沢田研二、アン・ルイス、ウルフルズなど数々のアーティストをプロデュース。『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWATCHING」の作曲、『イカ天』審査員など、多方面で活躍。
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