2023年4月号|特集 大滝詠一 2023

第1回 榎本健一|昭和コミック・ソング・アーティスト名鑑

コラム

2023.4.3


榎本健一
『キングアーカイブシリーズ②エノケン芸道一代』

2019年10月9日発売

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榎本健一


 日本の喜劇王と呼ばれたエノケンこと榎本健一。1904年に東京の青山で生まれたエノケンは、チャーリー・チャップリンやバスター・キートン、ハロルド・ロイドなど海外のコメディアンのモダンな笑いのセンスをいち早く取り入れ、アクロバティックな体の動きで笑いをとって、戦前の日本のコメディを盛り上げた。その一方で、浅草オペラのコーラスボーイとして初舞台を踏んだエノケンは音楽をこよなく愛した。舞台や映画で歌を披露。「私の青空」「月光値千金」「エノケンのダイナ」などジャズの名曲を日本語でユーモラスにカヴァーしたエノケンは、日本のジャズ・シンガーの草分け的な存在でもあった。

 エノケンのシンガーとしての魅力は、抜群のリズム感覚と個性的な歌声。決して美声とはいえない塩辛い歌声には愛嬌がある。ジャズ、ルンバ、オペラ、浪曲、さらにはお経までエノケン節に置き換えてノヴェルティ・ソングを歌ったが、なかでも作詞家/作曲家の三木鶏郎との相性は抜群で数々の名曲を生み出した。そんななか、「これが自由というものか」はアメリカに頭が上がらない日本政府を痛烈に風刺したパンクなノヴェルティ・ソングで、この曲が発表された’54年に三木が手掛けていたラジオ番組「日曜娯楽版」は政府の圧力で打ち切りになった。後に歌詞を変えたヴァージョンも作られたが、大御所がこんな危険な歌を歌うなんて今では考えられないこと。そこにエノケンの笑いに対する捨て身の情熱を感じさせる。

 晩年、エノケンは病気で片足を失い、得意の体を使った笑いができなくなってしまったが、シンガーとして勢力的に活動。フォークやGSサウンドに挑戦するなど、’70年に亡くなるまで笑いと歌への情熱を失うことはなかった。

文/村尾泰郎