2023年4月号|特集 大滝詠一 2023

【Part1】伊藤銀次 インタビュー|“後継指名者”が語る大滝詠一のノヴェルティ・ソング

インタビュー

2023.4.3

インタビュー・文/荒野政寿 写真/島田香


ココナツバンク、シュガー・ベイブ、そして『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』と、70年代より大滝詠一と密接に関わってきた伊藤銀次。大滝のノヴェルティ・ソングへの傾倒をいち早く理解し、その世界を受け継ぐ後継者として指名された伊藤が当時を振り返りながら、『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK』の果てしなき魅力について語り尽くす。

ナイアガラのノヴェルティ・ソングは昔のテレビのバラエティな感じがあった


──大滝詠一さんがノヴェルティ・ソング路線へ向かっていく大きなきっかけとして忘れられないのが、中原弓彦(小林信彦)の著書『日本の喜劇人』と『世界の喜劇人』です。この2冊を銀次さんが発見して大滝さんに渡したのは、いつ頃のことでしたか?

伊藤銀次 僕がいた「ごまのはえ」というバンドがベルウッド・レコードにいた頃、大滝さんにアルバムのプロデュースをお願いして、’73年の春に東京へ向かう直前の話です。僕はまだ大阪に住んでいて、梅田の紀伊國屋書店で、たまたまあの2冊を見かけて手に取りました。僕は子供の頃からクレイジー・キャッツとかトニー谷が大好きでしたし。昔はテレビで夕方から名画劇場みたいな番組でボブ・ホープやジェリー・ルイスの喜劇映画をよく放送していて、大ファンでした。でも、子供の頃に見ていたそういうものが、どういう仕組みで作られているのかとか、まったくわからなかったから。それで『日本の喜劇人』『世界の喜劇人』を立ち読みしてみると、今まで知らなかったいろんな情報が書いてあったので、これは! と思って2冊ともゲットしました。

『日本の喜劇人』と『世界の喜劇人』(伊藤銀次の私物)


 上京して福生に着いてから大滝さんにプロデュースしてもらっている間に、いろいろお話ししていると、実はクレイジー・キャッツのファンだったり、僕と同じようにお笑いや演芸に興味のある方だとわかってきて。それで「こんな本が出てるんですよ」と、『日本の喜劇人』『世界の喜劇人』をご紹介したら、大滝さんは狂喜して(笑)。

 それからロックとかとは別に、クレイジー・キャッツのシングル漁りが始まりました。当時中古のシングル盤が300円とか400円ぐらいで売ってたんですよ。お互いにレコード店に行っては買い漁って盛り上がった時期があって。僕が思うに、そこが大滝さんのノヴェルティ熱が本気になった瞬間だと思うんですよね。

 そもそも、はっぴいえんどの『風街ろまん』に「颱風」があったり、大滝さんの最初のソロ・アルバムに「びんぼう」があったり……ちょっと面白い、ノヴェルティ的な要素がある曲ですよね。そういう曲をやっている人だったら、ごまのはえの「留子ちゃんたら」の諧謔も理解してもらえるんじゃないかなと思ってプロデュースを依頼したわけですけど。でも、まさかあんなに濃密なクレイジー・キャッツ・ファンだとは、最初は思いもしませんでした。

──なるほど。つまり、そういうことが起きたのは、布谷文夫さんの『悲しき夏バテ』('73年、伊藤銀次も参加)より前のことだったわけですね。

伊藤銀次 そう。ごまのはえが福生に出てきて、初っぱなからでした。福生では、昼間は僕らのところに大滝さんが来て、リハーサルをしたりアレンジを相談したりしてたんですけど。夜はご飯を食べてから、僕は毎日のように大滝さんの仕事部屋へ行って、そこでいろんな曲を聴かせてもらったりして。音楽の話よりも、落語や喜劇人の話、それとボードゲームですね。初めて会ったんだけど、僕の子供時代と似た体験をお持ちで、そんな人は今まで僕の周りに大滝さん以外いなかったんですよ(笑)。多分、大滝さんもそうだったんじゃないですかね。だから、一緒にゲームをやったりして過ごすのがとっても楽しくてね。ナイアガラのノヴェルティ・ソングは、音楽的な要素はもちろんあるけども、音楽以外のエンターテインメント……昔のテレビが持っていたようなバラエティな感じがあって、それはそういう大滝さんのキャラクターから来ているものだと思います。でもね、それがのちに『LET'S ONDO AGAIN』(’78年)の域まで行ってしまうとは、当初は思いもしませんでした。


『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK』
2023年3月21日発売


──今回のアルバムは、ディスク2の『NIAGARA ONDO BOOK』にクレイジー・キャッツの「実年行進曲」「新五万節」(’86年)も入ってますが。大滝さんが本物のクレイジーにまで到達して新曲を作ったときはどう思われましたか?

伊藤銀次 本当にうれしかった! 『日本の喜劇人』とか読んで盛り上がってた頃から、10年ちょっとでここまでたどり着いてしまうわけですからね。そんなことになるとは夢にも思わなかったし、これは大滝さんもうれしかったんだろうなと思います。



上岡龍太郎最後の独演会へ大滝さんから誘われたときに……


──落語については、大滝さんとどんなお話をされました?

伊藤銀次 僕は大阪だったので、テレビで笑福亭松鶴、桂米朝とかをよく見てたんですよ。上方落語が多かったんですが、ときどき古今亭志ん生や三遊亭圓生の噺も聞けて、面白いなと思ってました。まだそんなに深くは聴いてなかったんですが、大滝さんも落語が大好きで、テープに録っておられたんですよ。僕が落語を好きだと言ったら、圓生をいくつか聴かせてくれて、そこですっかりはまって。それから自分でもラジオを録音して聴くようになって、定番の形や古典について知るようになっていきました。

 大滝さんは何をするにも徹底される方で、落語もそうなんですよ。落語の話が盛り上がるのは夜の10時とか11時ぐらいからで、「よし、じゃあ圓生をかけるぞ」ってテープを流し始めるでしょ。しゃべりの調子をずっと聴いてると気持ちよくて、だんだん眠くなってきて寝ちゃうんですよ。音がしなくなったことに気付いてハッとして起きると、大滝さんが「どうだ?」って言うんで、「いいですね~!」って(笑)。多分大滝さんは僕が寝てたことに気付いてるんだけど、何も言わないんですよね。その間、大滝さんは夜通し起きてるんです。大滝さんが夜に何かを始めて、途中で寝たことなんて一回もないですよ。徹底的なんです。「まあ、これぐらいにしておこうか」っていうのがない。

 大滝さんのネットワークはすごくてね。とにかく驚いたのは……僕は子供の頃から吉本新喜劇や中田ダイマル・ラケットを見て育ったんですけど、そういう話を大滝さんにすると、関西にいなかったのに知ってるんですよ。平参平のギャグとか、財津一郎の「チョーダイ!」とか(笑)。どうして知ってるんだろうと思って聞いてみたら、テレビ神奈川で新喜劇が流れていたらしくて、しょっちゅう見てたんですって。上方落語も有名どころは全部押さえていました。

 大滝さんは漫才も大好きでしたけど、唯一知らなかったのが漫画トリオ。横山ノックさんのことは知ってましたけど、漫画トリオは見たことがないとおっしゃってて。僕は漫画トリオの大ファンでしたから、彼らのネタを教えてあげると、すごく喜んでね。この話は何年も後に繋がっていくんですけど……大滝さんは上岡龍太郎さんとお友達で。上岡さんが最後の独演会をするときに大滝さんから電話があって、「君も一緒に行かないか」と言われたんです。「なんで僕が行くんですか?」と聞いたら、「漫画トリオを僕に教えてくれたのは君だから」と(笑)。それで、一緒に行ったんですけどね。

 終演後、楽屋に上岡さんを訪ねて、いろいろお話をさせてもらって。帰り際に大滝さんから「時間あるか」と言われて、お茶しに行きました。そのとき、「実は今、僕は自分が持っているものをひとつずつ預けていってるんだ」と。最初を何を言おうとしているのかよくわからなかったんですけど。「ノヴェルティの世界を君に譲ろう」というニュアンスのことをおっしゃるんですよ。僕はその頃、ウルフルズをやった後でした。大滝さんは恐らくウルフルズのプロデュースぶりを見て、ナイアガラの5人(*大滝、伊藤、山下達郎、杉真理、佐野元春)の中で、銀次はノヴェルティものがやれるやつだと思ったんでしょうね。


ウルフルズ
『バンザイ』(プロデュース:伊藤銀次)

1996年1月24日発売


──ウルフルズの出世作『バンザイ』(’96年)は銀次さんがプロデューサーとして手がけられています。

伊藤銀次 ウルフルズの場合は、本当に詞が面白くてノヴェルティ性が高かったんですよ。だからこれはやり切るしかないと思って、思い切りそっち側に(作風を)振ったんですね。ウルフルズの曲は、初期はまだトータス松本君の中に確信がなくて、僕がアイディアを出すことも多かったんです。トータス君と僕の共作扱いでクレジットされている曲は大抵それで、「すっとばす」の“耳の穴と鼻の穴開通させて のぞみ号走らしたろか”っていうのも僕(笑)。これは藤田まことですよね。「てなもんや三度笠」の“耳の穴から指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろか”です。

 そういう僕の気質を読み取って、大滝さんは僕ならノヴェルティの世界を譲れると思ったんでしょうね。物凄く遠回しな言い方の中で、それを伝えようとされるんですけど……僕はそのとき不覚にも「僕に言われてもな」と思ってしまって、その場で「うん」とは言わなかったんです。お断りはしなかったんだけど、なんとなく話をそらしちゃって。大滝さんも銀次は乗ってないんだなとわかったのか、そのままになっちゃったんですけど。あのとき素直にお承けしておけばよかったなと、大滝さんが亡くなられてから思いました。

【Part2】へ続く)





伊藤銀次(いとう・ぎんじ)
●1950年12月24日、大阪府生まれ。’72年にバンド“ごまのはえ”でデビュー。その後ココナツバンクを経て、シュガー・ベイブの’75年の名盤 『SONGS』(「DOWN TOWN」は山下達郎との共作)や,大瀧詠一&山下達郎との『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』(’76年)など,歴史的なセッションに参加。’77年『DEADLY DRIVE』でソロ・デビュー。以後、『BABY BLUE』を含む10数枚のオリジナル・アルバムを発表しつつ、佐野元春、沢田研二、アン・ルイス、ウルフルズなど数々のアーティストをプロデュース。『笑っていいとも』のテーマ曲「ウキウキWATCHING」の作曲、『イカ天』審査員など、多方面で活躍。