2023年3月号|特集 シティポップ・ストーリー

澤部渡(スカート) × 栗本斉(『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』著者)「シティポップを再考する」・前編|シティポップ対談Part2

対談

2023.3.22

文/加藤賢
写真/島田香

澤部渡(左)と栗本斉(右)


「otonano」のエディターであり、『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』の著書でもある栗本斉が、シティポップについて語り合う対談シリーズ。第二弾は、ラジオ番組でシティポップの語り部としても活躍するスカートの澤部渡を迎え、シティポップを巡る昨今の動向について語り合った。

日本の古き良き音楽を、シティポップの名の元に、いい意味の誤解をさせながら後世に引き継いでいくことを考えている


栗本斉 今回、『シティポップ・ストーリー CITY POP STORY ~ Urban & Ocean』というコンピレーション・アルバムを作ったのですが、お聴きになって澤部さん的に「これは違うだろ」とか、「これは絶対に入るだろう」とか、そういったご感想はありますか?

澤部渡 聴かせていただきました! 昔の僕だったら「いや、伊勢正三さんは最高だけど、シティポップじゃないんじゃない?」とか言っていたかもしれないですけど、いま違和感を抱く曲はなかったですね。スムーズなものばかりで、すごく気持ちよく縫ってくれたコンピレーションだなと思いました。例えば、惣領智子さんの「City Lights by the Moonlight」なんかは聴いたことがなかったですし、上田正樹さんの「小さな宇宙」もびっくりしました。めちゃくちゃかっこよかった。それから、極端な技術主義というか、テクニックばかりが全面に出た楽曲がないのも良かったですね。

栗本斉 ありがとうございます。僕は1970年生まれで、いわゆる「シティポップ」って言われている70年代後半から80年代にかけての音楽はギリギリ体感としてわかるんですけど、澤部さんは1987年生まれですよね。リアルタイムではないと思うのですが、シティポップ的なアーティストやサウンドには、どのように出会ったんでしょうか?

澤部渡 僕、小学生の頃にYMOがすごく好きだったんですよ。母親が音楽好きだったんです。母は1960年生まれで、’80年ぐらいのニューウェイヴがドンピシャな世代。だからYMOから遡って、細野さんのソロとか、そういうのが何枚かあったんですよね。そういう下地があった上で、シュガー・ベイブを高校ぐらいの頃に聴いていました。

YMO
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』

1979年9月25日発売



シュガー・ベイブ
『SONGS』

1975年4月25日発売


栗本斉 早いですね!

澤部渡 そうかもしれないですね。でも、とても自然な流れだったんですよね、自分の中では。日本の音楽に興味を持ったのなら、まあシュガー・ベイブは聴くだろうな、みたいな。

栗本斉 その頃は、シュガー・ベイブの『SONGS』(’75年)ってもう「確固たる名盤」的な存在でしたよね?

澤部渡 そうでした。CD化もされていて、3度目ぐらいの再発がされた頃でしたね。いきなり言う話じゃないかもしれないんですが、当時、(山下)達郎さんってちょっとダサいものみたいな扱いをされていたんですよ。僕らの皮膚感覚的には。90年代後半とか2000年代前半ぐらいの頃です。極端なことを言うと、ヒットを飛ばすようになる直前の『MOONGLOW』(’79年)までだなとか、そういうムードがあったんですよ。今にして思えば作品の評価どういうよりも、アンチ・フェイムみたいな部分があったんでしょうね。


山下達郎
『MOONGLOW』

1979年10月21日


栗本斉 なるほど。それはシティポップ的なサウンドのことですか? それとも達郎さんそのものに対して?

澤部渡 うーん、要はシティポップ的なサウンドってことだと思うんですけど…。僕が考えていた「シティポップ」と、今シティポップ・ブームの中で言われている「シティポップ」が、若干ずれている気がするんですよね。僕が以前抱いていた「シティポップ」は、「シュガー・ベイブを起点とした、アメリカの音楽に憧れている、クロスオーヴァー前後の音楽」というイメージでした。だから、最初にシティポップ・ブームって言われて戸惑ったのは、『FOR YOU』(’82年)がシティポップの名盤だって言われたときだったんですよ。


山下達郎
『FOR YOU』

1982年1月21日発売


栗本斉 なるほど。いきなり核心の話になっちゃいますけど、じゃあ澤部さんが考える「シティポップ」は、シュガー・ベイブを起点とする、70年代終わりぐらいまでの音楽だったわけですね。ティン・パン・アレーとか、ああいう生の、粘っこいグループを持っている音楽みたいなものがシティポップで、80年代以降のデジタルの匂いがちょっと濃くなってくるようなものは、もう全然違うみたいな。

澤部渡 自分の中では、ああいうのはフュージョンやAORとかに近いのかなって思っていたんですよね。なんかそれが最初に戸惑った部分でもありました。

栗本斉 シティポップって言葉自体、よく使われるようになったのは、この10年ぐらいじゃないですか。その出始めの頃、それこそceroの『My Lost City』(’12年)とか、あの辺からシティポップって言われ始めたと思うんですけど、その辺の時は80年代半ばぐらいのものは、シティポップっていう感じはなかったですよね。

澤部渡 なかったですよね。『My Lost City』とか、その前作の『WORLD RECORD』(’11年)を聴けばわかりますけど、いわゆる80年代半ばのノリじゃない。ブラックなノリではあるんですけど、ブラコンとか、ああいうスムーズなものじゃない。ちょっとファンクな感じだったりするし、『WORLD RECORD』は小坂忠さんの引用とかもあったし、要は「都市の音楽」だったんですよ。「都会の音楽」じゃなかった。それに一番戸惑いましたね。


cero
『WORLD RECORD』

2011年1月26日発売


栗本斉 都市の音楽であって、都会の音楽ではない……というと。

澤部渡 なんていうか、cero以降の「シティポップ」って言われるようなバンドって、「都会にいる俺たち楽しい」みたいな雰囲気になっていった気がするんです。これは感覚の話なんで、全然違うかもしれないんですが、でもそれって、自分の中でシティポップじゃないんですよね。やっぱり「都市へのまなざし」があって、初めてシティポップになるんじゃないかって思っていた節があったので。

栗本斉 それこそ福生から都心を見るみたいな?

澤部渡 そうそう! 浦和から都心を見る、八王子から都心を見る、という感じ。

栗本斉 いわゆるサバービアの人たちが作る音楽ってことですね。

澤部渡 そうです。だから、意外と「外側の音楽」なんじゃないかなって思っているんですよね。達郎さんだったら東武練馬から都会を見るみたいな、そういう目線の音楽だったんじゃないかなと思ったんだけど、知らない間に「東京のど真ん中の音楽」みたいな感じになっていたような気がして、そうこうしていくうちに、どんどんシティポップって言葉も多様化していって、リゾート的にもなっていって……。その変化には戸惑っていましたね。



栗本斉 なるほど、よくわかります。『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』でも書いたんですけど、シティポップってジャンルじゃないんですよね。雰囲気を伝えるキーワードでしかないかなって思っていて。「癒し系」っていうのと同じ。だから、いろんな人がいろんな音楽をシティポップって言い始めて、なんだかわからなくなる。

澤部渡 本当にわからなくなりますよね。「Winkもシティポップ」って言われた時には、本当にどうしようかと。

栗本斉 そうそう。アイドルポップも今は全部シティポップですもんね。話を戻すと、じゃあ澤部さんの考えるシティポップのコアというのは、①アメリカ音楽への憧れ、②都市へのまなざし、という2点になるんですね。ということは、サウンド的なものはもちろんだけど、歌詞も重要になってくるわけですか。

澤部渡 そうですね。僕、シティポップの本質って、「話に疲れた頃には 誰かが歌い始める…」(シュガー・ベイブ「SHOW」より)の一言で、全部言い当てられるような気がするんですよ。ただ、そう思えてしまうのは僕自身がミュージシャンだから共感してしまえる、っていうある種のファンタジーだとも思うんですよね。都合のいいロマンチシズムだとは思うんですけど、 そういうものなんじゃないかな、っていう気がしているんです。自分にとって、そういう瞬間、ある一夜の瞬間がパックされているみたいなね。だから、すごく刹那的ではあると思うんですよ。音楽として。でも得てしてそうじゃないですか。都会の、都市生活っていうのは。

栗本斉 そうですよね。よく思うのは、シティポップっていわゆるメッセージソングではないし、その生活に密着しているようで、実はちょっと実生活から掛け離れたところのものを描いていたり、都市での生活を描いていても、実際歌っている人とその生活は違っているようなところがあって。一種のファンタジーというか、作り物というか、箱庭的というか。そういうものがシティポップの面白さかなっていう風に思うところはあるんですけれども。その辺りについてはどう思われますか。

澤部渡 自分の中で、そういう都会的な作り物って、シティっていうよりかは「アーバン」で片付けられていた分野だと思うんですよね。それこそ亜蘭知子さんの「Midnight Pretenders」(’83年)とか。ああいう、誰にでも当てはまるわけじゃない経験が歌われるってのは、自分の中では衝撃的だったんですよね。一方で、大貫妙子さんの「都会」(’77年)を歌っても、あれが大貫さんのリアルだとか、シンガーソングライター的なリアルだとは思ってないんですけど、全く違うペルソナだとも思えないというか。「都会」で歌っている大貫妙子さんと、「新しいシャツ」(’80年)で歌っている大貫さんは、どこかに大貫妙子って人間が残っている気がするんですよ。


亜蘭知子
『浮遊空間』

1983年5月28日発売



大貫妙子
『SUNSHOWER』

1977年7月25日発売


栗本斉 なるほど。僕は逆に、大貫さんだとシュガー・ベイブの頃や、1stソロ・アルバムの『Grey Skies』(’76年)などは割と私小説的なイメージもあるんですけど、『MIGNONNE』(’78年)あたりから徐々にヨーロッパ路線へ行くと、大貫さんの個性はもう間違いなく入っているんだけれど、フランスのリゾートだったり、南米に行っていたりとか、すごく物語性のある、映画を見ているような歌の世界が多いなって感じたんですよ。それは、達郎さんにしてもそうだし、南佳孝さんなんかも確実にそうだし。ファンタジックな世界観みたいのを持っている歌で、洗練されたサウンドをあわせ持つ楽曲がシティポップでいいんじゃないかな、っていう風に思うんです。

澤部渡 面白いですね。僕も昔は「歌謡曲のカウンターなんだから、私小説的なものであるべきだ!」って極端なこと思っていたけど、だんだんそういう風にも思えるようになったんですよ。



栗本斉 澤部さんは、TOKYO FMのラジオ番組「GOODYEAR MUSIC AIRSHIP シティポップレイディオ」のパーソナリティも担当されていますよね。僕も毎週聴かせていただいているんですが、どういうきっかけでスタートしたんですか?

澤部渡 僕の予想なんですけど、きっといろんな人に断られて、話が来たんだと思うんですよ(笑)。でも、BSフジの「CITY POP CRUISING」という番組でシティポップの話をしたり、『週刊少年ジャンプ』の最後の方のページでシティポップについて書いたりとか、そういう機会が何度かあったんですね。そういった経緯を踏まえてのオファーだったと思います。最初は「なぜ?」とも思ったんですよね。もっとシティポップっぽい音楽をやっているバンドもたくさんいるじゃないですか。だから、断ろうとも思ったんだけど、「でもこれ他の人に任せていいのか、ちょっと嫌だな」って思ったんですよね。身を投じなければ、見えないこともあるかもしれないと思って、それで引き受けることにしたんですよ。

栗本斉 実際に番組を始められて、どう感じていますか。

澤部渡 一番苦悩するのは、「もっと有名な曲はないのか」って言われることです。寺尾聰の「ルビーの指環」をかけたときは精神的にこたえましたね(笑)。それはシティポップじゃなくて歌謡曲、懐メロじゃないですか。だから、結構矛盾は抱えながらやっていますよ。でも、それを僕は楽しんでいる感じはします。皆さんからのリクエストもいい目線のものもたくさんあるので、全く知らなかった音楽とかもあったし。逆に若い感性で、これってシティポップじゃないですか、みたいなメールもいただくんですね。この前はCymbalsがリクエストされたこともありました。そういうリスナーからの問いかけにどう向き合うかを、いつもトークの中で考えています。逆に言えばリスナーを付き合わせちゃっている感じもして、申し訳ないんですけど(笑)。

栗本斉 でも、あの番組の面白さっていうのは選曲の妙はもちろんですが、やはり澤部さんの視点で曲解説に切り込んでいるところですよね。ただ単に「シティポップっていいですね」って言っているパーソナリティだと、ああいう番組にはならないと思うし、澤部さんの視点がしっかり入っているっていうのがいいなって思いながら、いつも聴いています。

澤部渡 ありがとうございます。スレスレのことを時々やりたくなるんですよね。この番組を始めた時、僕は斉藤哲夫の「グッド・タイム・ミュージック」をシティポップって嘘ついてかける、っていうのを1つのゴールに設定したんです(笑)。シティポップ・ブームの中で発生した「古い日本の音楽が脚光を浴びる」っていう状況が、今後起こることはまずないなと思ったんですよね。それをいい意味で拡張していくにはどうすればいいんだろうって考えた時に、どうにか「グッド・タイム・ミュージック」をかける方法はないのかって思ったんですね。それで、番組始まって、2、3ヶ月でかけちゃったんですよ(笑)。「山下達郎特集です!」って言って。あの曲、シュガー・ベイブがコーラスで参加している曲なんですよね。それで、今話したような日本の過去の音楽に、これだけ国内外から脚光が集まっている時期って、今までの歴史の中でないと思うんですよ。それを我々がどうやって有意義に過ごすべきか、ということを説明して、「グッド・タイム・ミュージック」をかけたのですが…反応はほとんどなかったですよ (笑) 。


斉藤哲夫
『グッド・タイム・ミュージック』

1974年7月発売


栗本斉 いやいや、それをかけるっていう行動がやっぱり大事ってことですよ。そういう意思が。

澤部渡 そうなんですよね、だから、とにかく今はその一心でやっていますね。僕は、日本の古い音楽がすごく好きなので、それをシティポップの名の元に、いい意味の誤解をさせながら、後世に引き継いでいくかっていうことを考えています。悪い意味では、やっぱり真面目なんですよね。もっと適当でいいと思うんですよ。だけど今は、バイラルチャートで何位のこの曲かけましょう。みたいな感じにはまだなれない。

栗本斉 そうした挑戦の甲斐あってか、番組は今後も続くそうですね。

澤部渡 信じられないんですけど、続きます(笑)。レーティングも好調らしいんですよ。今後の課題なんですけど、懐メロ主義とシティポップ・ブームはやっぱり背中合わせなんですよね。 それをうまく回避していかなきゃいけない。時々そういう懐メロ主義みたいなのに落ちそうになるのを、本当に注意深く見張ってないと、すぐそっちに落ちそうになるんですよね。

栗本斉 そこを闘っているわけですね。

澤部渡 そうです。この間、収録を見に来た社長(カクバリズム代表取締役・角張渉氏)が「シティポップ警察」って言って帰っていきました(笑)。


【後編】へ続く)



澤部渡(さわべ・わたる)

●2006 年にスカート名義での音楽活動を始め、2010 年に自主制作による 1st アルバム『エス・オー・エス』のリリースにより活動を本格化。以降もセルフプロデュースによる作品をコンスタントに制作し、2016 年にカクバリズムからリリースした『CALL』は全国各地で大絶賛を浴びた。2017 年にはメジャー・ファースト・アルバム『20/20』をポニーキャニオンから発表。またスカート名義での活動のほか、ギター、ベース、ドラム、サックス、タンバリンなど多彩な楽器を演奏するマルチプレイヤーとしても活躍しており、yes, mama ok?、川本真琴、スピッツやムーンライダーズのライヴやレコーディングに参加。これまでに藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)ら他アーティストへの楽曲提供および、ドラマや映画の劇伴制作にも携わっている。2022 年 11 月公開の今泉力哉監督・稲垣吾郎主演の映画『窓辺にて』の主題歌として「窓辺にて」を書き下ろし、同月にメジャー4枚目となるニューアルバム『SONGS』発売。13 曲収録中 10 曲タイアップ付きと現代ポップの旗手として際立った存在となっている。

HP:https://skirtskirtskirt.com/
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Instagram:@skirt_oh_skirt


スカート
『SONGS』

2022年11月30日発売



Tokyo FM・FM愛知「GOODYEAR MUSIC AIRSHIP シティポップレイディオ」
毎週土曜 11:00~11:25 放送
https://www.tfm.co.jp/airship/




栗本斉(くりもと・ひとし)
●旅と音楽の文筆家、選曲家。ウェブマガジン「otonano」エディター。著書に『アルゼンチン音楽手帖』(DU BOOKS)、共著『Light Mellow 和モノ669 Special』(ラトルズ)ほか。2022年2月発売の最新刊『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)が重版を重ねヒット中。企画選曲解説を手掛けたコンピレーションCD『シティポップ・ストーリー CITY POP STORY ~ Urban & Ocean』が3月22日に発売。

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Instagram:@tabirhythm
note:https://note.com/tabirhythm

『シティポップ・ストーリー CITY POP STORY ~ Urban & Ocean』
2023年3月22日発売