2023年2月号|特集 佐野元春 SWEET16

【Part1】|佐野元春ドキュメンタリー 2022-2023

解説

2023.2.2

文/大谷隆之


世界中が大きな変化を遂げつつある今、佐野元春はどこに向かおうとしているのか


 2022年7月6日、佐野元春 & THE COYOTE BANDの6thアルバム『今、何処(Where Are You Now)』がリリースされた。’80年のデビュー以来、さまざまな局面で日本語ロックのフロンティアを切り拓いてきた先駆的アーティストにとって、通算19枚目となるスタジオ盤だ。

 全14曲。きわめて精緻に構築されたこのコンセプト・アルバムを初めて聴いたときの、名指しがたい感情は忘れられない。急速に傾き、黄昏れていく社会。戦争やパンデミックなど未曾有の事態に直面し、為すすべもなく日々を送る人びと──。そこには’22年を生きる私たちの姿が、克明に刻まれていた。

 どのナンバーも、冷徹なまでのリアリズムに裏打ちされている。言葉と言葉の隙間から、ふと作り手の諦念やシニカルさが垣間見える瞬間も少なくない。だがより本質的なのは、安直なオプティミズムからはもっとも遠いこのアルバムが、とてつもなく力強く瑞々しいサウンドで鳴っているという事実だろう。

 荒れ地のような現実にフィクションで対峙し、リスナーの魂を奮い立たせるのがポップ・ミュージックだとするならば、『今、何処(Where Are You Now)』はまさにそういう傑作だ。暗闇の先にある微かな光を、リリックではなくバンドのアンサンブルそのもので表現したという意味では、全キャリアにおける1つの到達点と言ってもいい。

佐野元春 & THE COYOTE BAND
『今、何処(Where Are You Now)』

2022年7月6日発売


 世界が巨大な変革に晒されている今。表現者・佐野元春のクリエイティビティは、間違いなく何度目かのピークを迎えつつある。昨年は『今、何処(Where Are You Now)』を含むスタジオアルバム2枚を発表。春から夏にかけてはTHE COYOTE BANDを引き連れ全国ホールツアーを開催し、最高の演奏を繰り広げた。

 それだけではない。古くからの盟友・ THE HOBO KING BANDとの恒例のオーガニック・セッションや’92年の名盤『Sweet 16』完全再現ライヴ。さらには独自の書籍出版、同世代ミュージシャンとのコラボレーション企画など、まさに止まるところを知らない活動を続けている。60代に入って質量ともにこれだけのアクティビティを維持し、自らの表現を更新できるミュージシャンは、世界的にも本当に稀有だと筆者は思う。

 成熟と凄みを同時にたたえた佐野元春はどこに向かおうとしているのか。そのビジョンを共有する試みとして、本稿では昨年1年間のトピックを5回にわけて振り返ってみたい。まずは前段となるパンデミック初期の動きを、ごく簡単に押さえておこう。

スキルと愛情を兼ね備えたスタッフとの協力関係が、モチベーションを高めた



佐野元春
『MOTOHARU SANO THE GREATEST SONG COLLECTION 1980-2004』

2020年10月7日発売



佐野元春 & THE COYOTE BAND
『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005-2020』

2020年10月7日発売


「2020年はハードな年だった。計画したものがほとんど実行できないという事態に直面したから」(『STEPPIN' OUT』’22年夏号/聞き手は山崎二郎氏)

 世界の成り立ちを根本から変えたコロナ禍について、佐野はこのように振り返っている。予定されていたデビュー40周年の関連プロジェクトは軒並み延期。スタジオも相次いで閉鎖され、レコーディングもままならない。誰も経験したことのない状況下で、創作者として何ができるのか。さまざまな企画が矢継ぎ早に繰り出された。

「それでも僕は愉快な気持ちでいたよ。『だったらこれができるぜ』って。愉快と言ってもヘラヘラ笑っていた訳じゃないけれども、ファンとのリレーションをどう健全に保っていくかについて、どんどんアイデアが出てきた。それはバンド、僕のレーベルの制作チーム、〈ソニーミュージック〉のチームが充実して、プランを実行して作品にできるスタッフが揃ったから実現できたことなんだ」(同前)

 最初の緊急事態宣言から約3か月後の’20年7月には、40周年記念オンラインイベント「SAVE IT FOR A SUNNY DAY」をいち早くスタート。アーカイブから選りすぐったライヴ映像や未公開フィルム、新作ドキュメンタリーなどを毎月1タイトルずつ配信する「佐野元春40周年記念フィルムフェスティバル」を開催し、ファンを勇気づけている。ストリーミングの収益は、参加したミュージシャンやスタッフに分配された。

 大きな後押しとなったのが、インタビューでも言及されているソニーミュージックとのリユニオンだ。’80年のデビュー作『BACK TO THE STREET』から24年間在籍し、佐野元春というアーティストと作家性やアティチュードを知り尽くした古巣のレーベル。翌’21年9月、佐野が主宰するレーベル「Daisy Music」のディストリビューションがユニバーサルミュージックからソニー・ミュージックエンタテインメントに移行するが、両者の再接近はこの時期から始まっていた。スキルと愛情を兼ね備えたスタッフとの協力関係が佐野を支え、モチベーションを高めたことは想像に難くない。

 ’20年10月には、EPIC・ソニー時代のナンバーをまとめた『MOTOHARU SANO THE GREATEST SONG COLLECTION 1980-2004』と、THE COYOTE BANDの楽曲をセレクトした『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 - 2020』というベスト盤2組を同時にリリース。さらに’21年6月には、EPIC時代に発表された全25タイトルに名手テッド・ジェンセンが最新リマスタリングを施したCDボックス『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』も限定発売され、話題を呼んだ。

 ’21年に入ると、佐野はリアルなライヴの再開に向けて動きだす。ファンが待ち望んでいた40周年アニバーサリー・ライヴ「ヤァ! 40年目の武道館」(3月13日)と「ヤァ! 40年目の城ホール」を、東京・大阪でそれぞれ実現。社会全体に強い緊張感が漂う中、徹底した感染対策とリスクマネジメントのパッケージを考案し、圧巻のパフォーマンスを繰り広げた。終わった瞬間には「心底ほっとした」と、佐野は述懐している。

「バンドメンバー、制作スタッフ、運営に関わったみんなが感染対策を強く意識した。もちろん集まってくれるファンのみんなの協力もそう。その気持ちがひとつになって、奇跡的に実現できた時間だったなと思います」(ウェブマガジン『Cocotame』’21年6月14日掲載のインタビューより/聞き手は筆者)

 同年11月には東京・横浜・名古屋・大阪の4都市で、佐野元春 & THE COYOTE BANDの「ZEPP TOUR 2021」を敢行(6公演)。実はこの間もバンドのメンバーと継続的にレコーディングを続けており、パンデミック以降は「エンタテイメント!」(’20年4月22日)、「合言葉 - Save It for a Sunny Day」(’20年10月30日)、「街空ハ高ク晴レテ - City Boy Blue」(’21年4月23日)という3つのシングル曲を配信リリースした。これが’20〜’21年にかけての、佐野の大まかな動向だ。厳しい行動制限の中で、驚くべき活動量と言うほかない。

 本人の表現を借りるならば「パンデミックの嵐をかいくぐるかのように」してサバイブの手法を模索し、時代を切り取るドキュメントのような楽曲を書き続けた。そして表現者としての真摯な取り組みは、’22年に入って一気に顕在化することになる。

文部科学大臣賞の受賞は、従来のファンを超えた幅広い層に届いている証し



佐野元春
『THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』

2021年6月16日発売



 最初のトピックは3月。芸術分野で優れた業績を挙げた人に贈られる文化庁主宰の「芸術選奨」に選出されたことだろう。’21年度の受賞者はぜんぶで28名。その中で佐野は、大衆芸能部門・文部科学大臣賞の栄誉に輝いている。

 受賞理由は「’80年にデビューしてから40年以上。コロナ禍にあっても活動への熱意を失うことなく、現役感たっぷりに新曲リリースを重ね、日本武道館や大阪城ホールなど大会場も含むライヴにも挑み続けた」こと。またEPIC・ソニー時代の全アルバムを網羅した前述の29枚組CDボックス『THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』も、「いつの時代も変わらず、鋭い眼差しと瑞々しい感性で日本のポップ音楽界に有効な方法論を提示し続けてきた」自身の集大成として高く評価された。もっとも佐野本人は、権威あるこの賞について何も知らなかったという。

「でも、文部科学大臣賞をもらって、省庁のような、いわゆる権威といえるなかにも僕の音楽を冷静に評価してくれる人がいる事実にびっくりしました。僕の音楽、僕のリスナーが多様になっている証しだと感じました。そう思うと、とてもうれしい出来事でしたね」(『週刊朝日』’22年8月12日号/聞き手は神舘和典氏)

 佐野はこれまで、おしなべて賞には無頓着に生きてきた。かつてアルバム『Sweet 16』(’92年)が日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞した際、まる2年間そのことを知らなかったというエピソードは有名だ。だが、見ている人はちゃんと見ている。困難な状況下でも決して創造を止めない姿勢と真摯な音楽は、従来のファンを超えた幅広い層にしっかり届いていた。芸術選奨は、それを象徴する出来事と言えるだろう。

重要なキャリアのひとつとなった『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を振り返る



佐野元春・杉真理・大滝詠一
『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 完全生産限定BOX』

2022年3月21日発売



 同じく3月21日には、名盤『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』の40周年アニバーサリー・エディションがリリースされている。大滝詠一がプロデュースを手がけ、若き日の佐野と杉真理が参加したこのオムニバス・アルバムは’82年3月21日に発売され、大ヒットを記録。デビュー2年目だった佐野の知名度を大きく高めた。

 この「完全生産限定BOX」には、佐野のナンバー「Bye Bye C-Boy」の“2011 Remix Version”が収録されている。オリジナル音源に佐野本人が手を加え、楽曲を書いた15、16歳の頃に描いていたイメージにより近付けた貴重なヴァージョンだ。

「この曲は、個人的にとても愛着のある作品でしたし、『ナイアガラ トライアングルVOL.2』に収録されたヴァージョンも、あの当時の完成形として、僕自身、満足はしていたのですが…。これはアーティストとしてのエゴかもしれませんが、あの楽曲の中で気になっている部分が一箇所だけあったんです。それは、ヴァース1、コーラス1と進んでいって、ヴァース2に移行する瞬間なんですけど、その部分だけ、僕のなかでは未完のままというか、こうすればよかったという思いがずっとあったんです」(『レコード・コレクターズ』’22年4月号/聞き手は木村ユタカ氏)

 マルチテープを繊細に修正した「Bye Bye C-Boy(2011 Remix Version)」以外にもTBSラジオの公開録音番組で演奏された「彼女はデリケート」のライヴバージョンや、’81年12月3日に開催された伝説の「HEADPHONE CONCERT」でナイアガラ楽団をバックに歌われた「SOMEDAY」など、とびきりのレア音源も多数収められている。

「あの当時、大滝さんから声をかけていただいて、杉(真理)君と一緒に参加したこのプロジェクトは、僕のキャリアの中でも重要な位置を占めていますし、その作品が歳月を経て、また新たな意味を放ちながら存在していることに驚いています」(同前)

 インタビューでこう語った佐野は、5月1日にビルボードライブ東京で行われた「伊藤銀次 & 杉真理トライアングルソングス」の公演にゲスト出演。「マンハッタンブリッヂにたたずんで」「Bye Bye C-Boy」を演奏し、盟友2人と「A面で恋をして」で共演、さらにアンコールでは「彼女はデリケート」を披露して、この作品の持つエヴァーグリーンな魅力を体現してみせた。

 こうやってさまざまな露出で存在感が高まる中、ファン待望のオリジナルアルバムもいよいよ登場する。佐野元春 & THE COYOTE BAND、連続2タイトルリリースの第1弾『ENTERTAINMENT!』だ。

【Part2】へ続く)