2023年2月号|特集 佐野元春 SWEET16

【Part1】TIME OUT!|佐野元春90年代ストーリー

解説

2023.2.1

文/ドリーミー刑事


90年代、佐野元春は何を受け入れ、何に背を向けてそのクリエイティヴィティを発揮していたのか


 私たちが生きる’23年の混沌がどこから始まったのかという問いに答えるならば、それは’90年からと言えるのではないだろうか。東西の冷戦が終結しソ連が崩壊。軍事技術として開発されたインターネットが民間に解放され、バブル経済の崩壊で戦後長らく続いた日本の経済成長が終焉した10年。

 ロシアによるウクライナ侵攻をリアルタイムで目撃し、音楽や映画をオンラインで楽しみながら低賃金の若者がバイクで届けてくれたファストフードを食べている。そんな私たちのライフスタイルの源流の多くは90年代にあった、と言い切ってしまっても構わないだろう。

 そんな決定的に重要な30年の入口の10年間に、佐野元春は6枚のオリジナルアルバムと4枚のコンピレーション、ライヴ・アルバムをリリースしている。日本のポップミュージックの主役が歌謡曲からロック、そしてJ-POPへと目まぐるしく変遷した10年間で佐野は何を受け入れ、何に背を向けてそのクリエイティヴィティを発揮していたのか。彼のディスコグラフィーに沿ってその一端を読み解いていく、というのがこの本稿の趣旨である。

 本題へ入る前に、80年代の佐野元春の歩みを振り返っておきたい。このディケイドにおける佐野をワンフレーズで表すならば、“Ever Changing Moodな冒険者”といったところになるだろうか。常に変化を求め、誰も行ったことのない地平へと果敢に、軽やかに踏み込んでいく若きアーティスト。

佐野元春
『VISITORS』

1984年5月21日発売


 ’80年に「アンジェリーナ」を携えて颯爽と現れたリズム、メロディ、そしてメッセージは、はっぴいえんどの高度な諧謔性とも、フォーク・ソングの湿度の高い叙情性とも異なる鮮烈さで、都市に生きるあるいは都市を夢見るティーンエイジャーの繊細で大胆な野心を完全に捉えた。そして大滝詠一、杉真理との『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』を経て、セルフ・プロデュース(共同プロデューサーは伊藤銀次)で制作した3rdアルバム『SOMEDAY』によって、世代を超えたシティ・ミュージックを高らかに鳴らし、日本の音楽シーンの主役に躍り出る。しかし若く貪欲な彼の音楽的好奇心を満たすには東京、日本の音楽シーンは小さすぎたのかもしれない。単身ニューヨークに渡り、誰よりも早くヒップホップをポップミュージックに取り入れた衝撃作『VISITORS』(’84年)を発表、ヒットチャートのNo.1を獲得する。そして自らのバンドTHE HEARTLANDと共にイギリスでレゲエ、スカ、ソウルのビートを吸収した『CAFÉ BOHEMIA』('86年)を発表後、今度は単身渡英し、エルヴィス・コステロやニック・ロウの作品も手がけたコリン・フェアリーを共同プロデューサーに迎えた『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(’89年)をリリース。時代を代表するアーティストとしての地位を確立した。このいわゆる“海外三部作”を今回の原稿の執筆にあたり改めて聴き直したが、30年以上が経過した’23年の耳で聴いても最高にスリリングであり、この冒険をリアルタイムで目撃したファンの興奮を想像すると後追い世代の筆者としてはとても羨ましく思えてくる。後にも先にも、こんなにも自由に、大胆な跳躍を続けたメジャー・アーティストが日本にいただろうか。


佐野元春
『CAFÉ BOHEMIA』

1986年12月1日発売


若いリスナーにこそ耳を傾けてほしい熱が80年代の作品に眠っている


 この三部作のうち『VISITORS』に関しては、多くの後進がヒップホップのルーツに目を向けた時に必ず行き着く金字塔としての評価を確たるものにしているように思う。しかし、『CAFÉ BOHEMIA』、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に関してはどうだろうか。海外で流行しているサウンドの単なる模倣やサンプリングではなく、そこに佐野がバンド・メンバーと共に鍛えてきたビートと研ぎ澄まされた日本語のリリックを真正面からぶつけたスタイルとソウルのせめぎ合いは、今聴いても拳を握りしめてしまうくらいにエキサイティングでフレッシュだ。10年代以降のシティポップ・ブームを経て、あらゆる時代の音楽にフラットな視点でアクセスできる若いリスナーにこそ耳を傾けてほしい熱が、まだここに眠っているように思えてならない。

 80年代の佐野の挑戦はレコード作品とライヴに留まらなかった。ラジオ番組や自ら編集長となった季刊誌『THIS』を通じて、若きリスナーに対して音楽、アートの深みを伝播した。あえて90年代風の言葉で表すならば、自らが“マルチメディア”となって、リスナーを啓蒙してきた。現在活躍する若いミュージシャンにも大きな影響を与えた、立教大学での講義を収めたテレビ番組『ソングライターズ』にも通じるエデュケーションの哲学はデビュー当時から息づいていたのである。

 そんな佐野の八面六臂の活躍に呼応するように、’80年からの10年間で日本の音楽シーンはその姿を大きく変えた。80年代初頭にはアイドルや歌謡曲のシンガーが多くを占めていたヒットチャートは、年を追うごとにその顔ぶれが変わっていったのである。’89年のオリコン年間アルバムチャートを見ると、ザ・ブルーハーツ、プリンセス プリンセス、JUN SKY WALKER(S)といったロック・バンドの名前が数多く並び、音楽の受け手だけではなく作り手もプロフェッショナルなミュージシャンから路上出身の若者たちへと移りつつあることを感じさせる。

 また、『Delight Slight Light KISS』で’89年度のアルバム売上年間1位となった松任谷由実やTM NETWORKなど、シンクラヴィアに代表される最新鋭のシンセサイザー/サンプリングマシーンを楽曲制作に導入するアーティストの活躍も目立った。’89年にSONYから48トラックのデジタル・レコーダー「PCM-3348」が発売されるなど、音楽制作の現場におけるデジタル化が急速に進展した時期でもある。

 こうした“ストリート出身のミュージシャンの台頭”と“テクノロジーの高度化”という80年代後半に起きたふたつの流れを踏まえれば、デビュー・アルバム『BACK TO THE STREET』で都会の若者のリアルな視点をポップ・ソングの世界に持ち込み、『VISITORS』ではオーバーハイム社のデジタルドラムマシン「DMX」にプログラムしたビートに乗せて新世代の到来を希求した佐野元春に、ようやく時代が追いついたようにも見える。90年代という新たな時代に彼がどんな斬新なビジョンを見せてくれるのか。そんな期待が高まっていたのではないだろうか。


佐野元春
『TIME OUT!』

1990年11月9日発売


後に続く実り多き30年に向けた確かな第一歩となった『TIME OUT!』


 しかし、’90年11月にリリースされた『TIME OUT!』はそんな文脈を鮮やかに裏切るものであった。冒頭を飾る「ぼくは大人になった」の、フィルインに連なって流れ込んでくるのは、うねるベースラインとモッドなオルガン、そして乾いたギターのリフからなる、装飾を抑えた骨太でクールなグルーヴ。これから始まるタフな90年代へ漕ぎ出していくための完璧なイントロダクションに、胸が高鳴った。

 しかし当時の受け止め方は少し複雑なものがあったようである。『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』に収められた音楽評論家・小尾隆氏の解説ではこの作品について、“アルバム全体に暗さや諦観が漂っているのは何故だろうか?”、“世間が求める佐野元春というパブリック・イメージと、「大人になった」佐野との乖離が気になってしまう”と評されている。またこの時期はセールスを重視するレコード会社とアーティストである佐野の意識にずれが生じていたとも言われており、そうした軋轢もサウンドの変化の背景としてあったのでは、とされている。

 佐野本人も雑誌『SWITCH』’21年6月号の片寄明人(GREAT3)との対談において、“煌びやかでゴージャスな当時の流行りの音楽に対する批評”があったことを認めつつ、“『TIME OUT!』のタイトで生々しい音はファンを戸惑わせてしまったかもしれない”と振り返っている。

 たしかに2曲目に収録された「クエスチョンズ」はこんな歌詞から始まる。

 “誰かここに来て救い出してほしい 部屋の壁際に追い詰められているのさ 傷が深すぎて何も感じられない”

 上述のような背景を重ねて聴くと、バブルに浮かれて膨張を続け、真っ当な感覚が麻痺した社会に対する批判であると同時に、音楽ビジネスの理不尽さに追い詰められていく佐野自身の叫びのようにも聴こえてくる。しかしそれを理解した上でもなお、いや理解したからこそ、ポスト・パンクの影響を感じさせるソリッドなビートと、“僕はとても小さい けれど革命する”という後半のシャウトに、レベル・ミュージックとしての興奮を禁じ得ない。逆境をも表現の熱源に変えてしまうミュージシャン・シップはいささかも萎えていないのだ。

 もっとも、『TIME OUT!』がストイックなロックンロールに特化したアルバムかと言えば、決してそうとは言い切れない。彼がこれまで追求してきた日本語のポップスに多彩なグルーヴを持ち込むという音楽的な冒険は、本作においてもその歩みを止めていない。タイトルからドクター・ジョンへのストレートな敬意が伝わってくる「ガンボ」や「サニーデイ」といった楽曲では、THE HEARTLANDが生み出す太いセカンド・ラインのグルーヴに、佐野一流の洒脱な歌詞とメロディが組み合わされ、彼らにしか鳴らすことができない、そしてこの時代ならではのニューオリンズ・ビートに仕上がっている。

 また「恋する男」は名曲「CHRISTMAS TIME IN BLUE」で見せたUKレゲエへのアプローチを一層洗練させたリズムが印象的だし、アルバムの最後を飾る「空よりも高く」におけるチルアウトなギター・サウンドは、当時のイギリスで勃興していたセカンド・サマー・オブ・ラヴ、マッドチェスター・ムーヴメントとの同時代性すらも感じさせる。

 なお、このアルバムからのシングルカットは4曲目「ジャスミンガール」。佐野の代表曲のひとつだが、メロディ・ラインの上下動ではなく、言葉とグルーヴを不可分な塊としてオーディエンスの心に投げ込んでくる、これぞ佐野元春というポップネスをもったロックンロール。時代や流行に左右される要素を一切含まない音像ゆえ、褪色とは無縁のクラシックナンバーとなっている。

 オーセンティックなロックのビートを基調にしながらも、さりげなく多彩なグルーヴを入れ込んでいくという構成は、’23年現在の最新作にして最高傑作との呼び声も高い『今、何処』にも通じるところがある。その点も踏まえて振り返ると、“一時中断・小休止”を意味する『TIME OUT!』というタイトルを与えられたこのアルバムは、その名と裏腹に、後に続く実り多き30年に向けた確かな第一歩だったのである。

【Part2】へ続く)