2023年1月号|特集 Japanese R&B
【Part1】藤林聖子 インタビュー|クリエイターが語るJapanese R&B
インタビュー
2023.1.25
インタビュー・文/川口真紀
写真/山本マオ
写真/山本マオ
試行錯誤しながら、気持ちよくハマる言葉を探し続けていた
90年代末に盛り上がりを見せたJapanese R&Bのムーヴメントは、シンガーやパフォーマーだけでなく、彼らを支えるクリエイターの功績も大きい。1995年に作詞家としてデビューした藤林聖子は、R&Bやヒップホップという新しい音楽シーンが席巻する中で、いかに日本語の歌詞を乗せるかということを追求した第一人者である。90年代半ばの黎明期から現在に至るまで、言葉を操るリリシストの視点でJapanese R&Bの魅力を語ってもらった。
──子供の頃はどんな音楽が好きだったんですか?
藤林聖子 久保田利伸さんが好きでした。中高生の頃はバンド・ブームで、バンドがすごく流行っていたのですが、そっちには行かないで、久保田さんが好きでしたね。
久保田利伸
『SHAKE IT PARADISE』
1986年9月10日発売
──子供の頃から黒っぽいものがお好きだったのでしょうか。
藤林聖子 わりとそうですね。洋楽は最初に買ったレコードこそワム!でしたけど、久保田さんが「Me And Mrs Jones」(ビリー・ポール)をカヴァーしていたから後追いで聴いたり、シャーデーも完全に背伸びして聴いたりしていました。あとはベイビーフェイスとかジャネット・ジャクソンとか。リアルタイムで最初にR&Bに触れたのはジャネットだったかな。
──すごく大人びた子供ですね。
藤林聖子 山形出身なので、ちょっと都会の景色に憧れるみたいな感じで(笑)。あと、物心ついた時に、この世で一番綺麗な人だって思ったのがホイットニー・ヒューストンだったんですよ。あの白いハイレグのジャケット(デビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』)にすごい衝撃を受けた記憶がある(笑)。
ホイットニー・ヒューストン
『そよ風の贈りもの』
1985年2月14日発売
──あれはインパクトありましたよね(笑)。ピアノとか楽器はやっていたんですか?
藤林聖子 ピアノは習っていましたけれど、全然真面目にやってなくて。そっちの道に行こうなんて全く思っていませんでした。自分が歌ったりする方にも意識がなくて。それよりは読書っ子だったので、本の方が興味ありましたね。
──どんな本を読んでいたのですか?
藤林聖子 村上春樹さんとか村上龍さんとか。それも時代ですよね。読むのは好きだったけど、特別書くのが好きだったわけではなかったですね。
──そうなんですね。そんな藤林さんが作詞家になろうと思ったきっかけは?
藤林聖子 秋元康さんのイメージから、作詞家にちょっとキラキラしたイメージは元々持っていたんですが、東京に出てきて、あるきっかけで知り合った放送作家の方に「うちの事務所にも作詞家いるよ。興味があるならなんでもいいから書いてみなよ」って言われて。それでその方に歌詞を渡したら、興味を持ってくださる方がいて、事務所に入れてもらったって感じです。だからバンドやっていて、とか歌やっていてとか、そういう入り口ではなかったんです。
──曲やメロディがない状態で、歌詞だけ書いたものを渡したのですか?
藤林聖子 洋楽の曲に日本語で歌詞を乗せたものですね。それこそジャネットとかジャクソン5とか、あまりフェイキーじゃないものを選んで。
──そこからすぐ作詞家デビューとなったのですか?
藤林聖子 半年くらい見習い期間だよって言われていたんですけど、自分が書いたものを見て面白いねって言ってくださった方がいて、その方と一緒に直しをやっていって。そうしたら半年も経たないうちに歌詞が使われることが決まったんです。それが中村うさぎさんのラジオ・ドラマの主題歌(三重野瞳「Wonderful Bravo!」)だったんですけど。
三重野瞳
「Wonderful Bravo!」
1995年5月24日発売
──トントン拍子ですね。
藤林聖子 自分ではそんなトントンという感じではなかったですけどね。作詞家デビューしてから名前を多くの人に知ってもらえるようになるまでは、結構時間がかかったなって自分の体感的には思っています。
──R&Bのお仕事をするようになったきっかけは?
藤林聖子 同い年くらいのサウンド・プロデューサーさん達と出会っていったんですね。それは仕事だったり、夜遊びの場だったりで(笑)。今井了介くん、今井大介くん、PALM DRIVEのAKIRAくん、春川仁志さんとか。AKIRAくんからF.O.Hとか、大介くんはAIちゃんとLAで一緒だったからとか、そんな感じでどんどん横に広がっていった感じです。みんなで話し合いながらやっているような感覚があって、すごく楽しかったのを覚えていますね。どうやって日本語のグルーヴでビートに乗せていくのかをみんなで研究したりとか、そんな話ができることってあんまりなかったですし。
PALM DRIVE
「PARTY TUNE」
2002年03月20日発売
──サークルみたいな感じですね。
藤林聖子 まさにそうですね。どういう風にカッコいいR&Bを日本語でやるかっていうのをサウンドの子達も模索していた時期だったし、その試行錯誤を一緒にできたのはすごく楽しかった。「あれ聴いた? これ聴いた?」って新譜について話し合って、サークル兼ラボみたいな感じで、今思うと本当に夢のような時間でしたね。
──最初に手掛けたR&Bシンガーって誰になるんですか?
藤林聖子 露崎春女さんかな。彼女は当時から抜群に歌がうまかったですけど、歌いやすい母音の調整とかその辺はレコーディング・スタジオで一緒に調整しながらやっていましたね。
露崎春女
「FEEL YOU」
1996年9月5日発売
──私も藤林さんのお名前を認識するようになったのは露崎さんとかF.O.H、Tylerとかですね。こういう方がいらっしゃるんだなぁって。R&Bの歌詞を書かれている作詞家さんって当時あまりいなかったですし。
藤林聖子 そうかもしれないですね。自分で歌詞を書かれる方は別として、R&Bを意識している作詞家さんって確かにそんなにいなかったから、ニーズがあったのかもしれません。私も本当に見様見真似でしたけど。どういう構成にした方がいいのかなとか、韻は同じメロディが来たらある程度合わせておかないといけないとか、そういうマナーも含め、そういうことに気をつけてやってらっしゃる方があまりいなかったのかもしれないです。
──R&Bを書くときの内容や方向性は、他の歌謡曲とかとは全然違うものになるんですか?
藤林聖子 R&Bって内容がちょっとセクシーじゃないですか。だからその辺をやりたいとなると、日本の土壌というか、コンプラまで行かなくても、少し穏やかな表現でやってみるとか、どのへんまでだったらニーズがあるのかないのかとか、そういったことは最初ちょっと苦労しました。まんまやろうとしてみて、これはタイアップがつくからやっぱりダメだとか、そういうこともあったし。それにR&Bってストーリーがそんなにガッツリ入る構成にはなってなかったりするし。
──そうなんですか?
藤林聖子 J-POPって曲が勝手にすごく盛り上がっていくじゃないですか。エスコート上手な構成になっていて、泣きそうなくらい盛り上がっていくと、こっちもストーリーをつけやすいんですけど、やっぱりR&Bはワンループでいくことも多いので、そうなると展開はつけにくいですね。その中で試行錯誤しながら歌詞を乗せていくという感じです。
──R&Bってワンループだったり、さらにビートが立っていたり、独特のグルーヴがあったり、その上で歌詞を乗せなくてはいけないですもんね。
藤林聖子 だからやっぱり当時の曲を聴くと、ここはミスリズムしていると思ったり、ここはこうすればよかったなと思ったりはしますよ。ごめんねっていう(笑)。アタックをつけるっていうのも、当時も気をつけていたつもりではあったんですが、やっぱり意味が通らないって言われたりとか、リズムのための言葉がNGになったりするから、ヌルッといっちゃったり。言葉で説明すると難しいんですけどね。わりと小さい「つ」をつけるようにして、アクセントをつけていくとか、自分なりに拗音を使うなど、試行錯誤していました。伸びて止まるんですよね、グルーヴって。その中で気持ちよくハマる言葉を探し続けていた感じです。
──歌詞をアーティストさんと話し合って作ることもあったのですか?
藤林聖子 かつてはありました。歌詞を預けてくださる方って若い方が多かったんで、精神年齢みたいなものを考えつつ歌詞を提供するためにも、結構彼女達の話は聞きましたね。信用してもらわないといけないので。アーティストさんが置き去りにならないように、彼女達のバックグラウンドとか、今どういう感じ?みたいな恋愛の話も含めてなるべくコミュニケーションを取った上で、「こういう感じの方がいいかな」って歌詞を提供していきました。だけど今は大人の仕事が多くて(笑)。
──あら(笑)。
藤林聖子 今はマネージャーさんやディレクターさんを通すことが多いけれど、チャンスがあればまたやりたいですね。一緒に作る時間があるうちはよかったんですよ。伊藤由奈ちゃんとかJeff Miyaharaくんのスタジオに行って、一緒に話し合って作っていったり。でもそういう時間がだんだん取れなくなっていくわけです。それってどうしても数時間かかるから。
伊藤由奈
『DREAM』
2009年5月27日発売
──ビッグ・アーティストになればなるほど無理でしょうね。
藤林聖子 ですね。やっぱりどんどん孤独な作業になっていって。アーティストさんと「あれが好き、これが好き」とか、「今これ聴いている」といったいろんな話をしながら作るのはすごく楽しかったですけどね。
──90年代後半のサークルのような作り方は夢のような時間だったんですね。
藤林聖子 この時間がずっと続いていくと思っていたんですけどね。わたしの青春でしたね。青春が終わってしまいました(笑)。
(【Part2】へ続く)
藤林聖子(ふじばやし・しょうこ)
●1995年作詞家デビュー。本人自身が造詣の深いR&B、HIPHOP系を中心にサウンドのグルーヴを壊さず日本語をのせるスキルで注目され、独特な言葉選び、藤林ワールドにも定評がある。安室奈美恵、E-girls、Lead、w-inds.、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、GENERATIONS from EXILE TRIBE、JUJU、BENI、ジャニーズ WEST、Hey! Say! JUMP、平井堅、西川貴教、BOYS AND MEN、三浦大知、水樹奈々、May'n 、ももいろクローバーZ、 BTS、TOMORROW X TOGETHER、2PM、TWICE、BIGBANG、等のポップスから、スーパー戦隊、仮面ライダーシリーズの特撮、『ONE PIECE』主題歌「ウィーアー!」をはじめ『ジョジョの奇妙な冒険』『ドキドキ!プリキュア』、『暗殺教室』、『遊戯王』等のアニメ主題歌、「ヲタクに恋は難しい」等ミュージカル映画、その他CMソングまで多岐に渡って活躍。映像作品の芯を理解しアーティストの世界観として創り上げる能力とスピード感に定評がある。NHKみんなのうた『29Qのうた』(つるの剛士)はその歌詞の面白さからロングバージョンで放送される等話題曲多数。作詞一本で多方面に及び活躍する稀有な存在として注目される作詞家。
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Twitter:@fantaslyric
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