2023年1月号|特集 Japanese R&B

【Part1】|座談会:編集者が語るあの頃のJapanese R&Bシーン

座談会

2023.1.5

進行・文/川口真紀 写真/島田香

左より、星出智敬(元「LUIRE」)、川口真紀、荒野政寿(元「WOOFIN’」)、猪又孝(元「bounce」)

当時のR&Bシーンは渋谷系周辺とヒップホップ・カルチャーが合わさったもの


「R&B」という言葉が定着して久しい。今ではわざわざ「R&Bシンガー」を名乗らずとも、自然とR&Bを歌い、アティテュードとしてのR&Bを体現しているシンガーや、独自の色を打ち出して新たなR&Bを作り出しているアーティストも多くいる。そこで思い出すのが、今から20数年前、90年代後半に巻き起こったジャパニーズR&Bの一大ムーヴメント。あまりに爆発的で、あまりに瞬間的でもあったが、あの時蒔かれた種は確実に実となり花となり、また新たな形で我々を楽しませてくれている。あのムーヴメント無くして、今の状況はありえなかったというのは間違いない。

今回は「編集者が語るあの頃のJapanese R&Bシーン」というテーマで、当時R&Bブームを盛り立てた3誌の元編集者である、荒野政寿(元「WOOFIN’」)、星出智敬(元「LUIRE」)、猪又孝(元「bounce」)の3名にお集まりいただき、シーンをリアルタイムで体験したライターの川口真紀進行の元、当時を振り返る座談会を敢行した。編集者の目にあのブームはどう見えていたのか、そして今のジャパニーズR&Bの在り方についてどう思っているのか、懐かしい話から興味深い話まで、様々な話を聞くことができた。

──まずは自己紹介からお願いします。

荒野政寿 ’97年の創刊から「WOOFIN’」編集部に約4年在籍していて、最終的に副編集長をやっていた荒野です。

星出智敬 2000年から2007年まで「LUIRE」という雑誌で編集長をやっていた星出です。その前に「GROOVE」という雑誌の編集部にいて、 2年ぐらい 2冊掛け持ちでやっていました。

猪又孝 ’94年から’99年まで「bounce」編集部にいたライターの猪又です。



──ジャパニーズR&Bブーム前夜がどんな状況だったか覚えてらっしゃいますか?

荒野政寿 当時からヒップホップはシーンが確立されていたように思うけれど、R&Bに関して言うとシーンがあったわけではなくて。むしろ歌い手は少数派だった記憶があります。もちろん、クラブイベントで歌う人が出てくるってこともあったけど、メインはダンサーやラッパーでしたよね。’96、7年ぐらいまではそんな状況だったと思うんですけど、多分日本語でそういうことをやろうって人達が出始めるのが’96年頃なのかな。それ以前にも久保田利伸さんとか古内東子さんとかいらっしゃいましたけど、いわゆるクラブ・オリエンテッドなR&B、ヒップホップ・ソウル的なR&Bってなってくると、日本語のオリジナルでどう作ったらいいのか、みんなわからない状態だったんだと思うんです。

──なるほど。

荒野政寿 そこに最初にトライしたのがインドープサイキックス(エンジニアのD.O.I.、DJ KENSEI、NIKによるヒップホップ・プロジェクト)がDEJJAとシャカゾンビのOSUMIとやった「100万光年のやさしさが注がれる限り」じゃないかなと思うんですが。「フューチャー・ショック」の前身になった「ストリート・フレイヴァ」っていうレーベルから出たEP『STREET FLAVA Presents - DOUBLE IMPACT E.P.』に入っていたこの曲が、国産のあの世代のものになるとかなり早いんじゃないですかね。いわゆる黎明期の、現場と密着している人達が作り始めた歌モノで記憶しているのはこの辺りですね。


V.A.
『STREET FLAVA Presents - DOUBLE IMPACT E.P.』

1997年4月9日発売


──この曲のどこがインパクトありました?

荒野政寿 まだ誰もやっていない時にやっているという感じがありましたよね。しかもいわゆるアメリカ風では全然なくて。KENSEIさんのトラックも独特だったし、その上で歌っているというのが当時は新鮮でした。それに続いてアンダーグラウンドのシンガーが出てくるのかなと思ったら、意外とそうはならなくて、そこからメジャーへの展開にどんどん変わっていったんです。その後すぐにMISIAが出てきちゃうんで、それで一気にマーケットが大きくなったし、’98年の初頭でガラッとそれに追随しようって空気になりましたよね。



──’97年にSugar Soul、’98年にMISIAやDOUBLE、宇多田ヒカルと、ジャパニーズR&Bブームの立役者とも言うべきシンガーがどんどん出てきて。日本のR&Bが盛り上がっていく状況を当時どのように見ていましたか?

星出智敬 前置きとして、僕は当時「GROOVE」編集部にいたんですけど、当時はテクノとかハウスとかドラムンベースの担当だったんですね。だからR&Bとかヒップホップはそんなに聴いてなかったんです。でも「GROOVE」にやたらR&Bの広告が入り始めて。それで、「R&Bを一冊にした方がいいんじゃないか」って言って出来たのが「LUIRE」だったんです。

──雑誌を一冊作ってしまうほど盛り上がっていたと。

星出智敬 ですね。本当にすごい数の広告が入っていましたから。MISIA、宇多田ヒカル、DOUBLEがバーッと出てきて、すげえ盛り上がっているなっていうのは端から感じていました。

猪又孝 感覚ではF.O.Hのインディー・デビューのシングル「Be Alright」とか、青山のクラブ「Ojas」で当時やっていた「春夏秋冬」っていうイベントが印象に残っていますね。F.O.Hが「春夏秋冬」に出ていたのを見て、R&Bがすごく盛り上がっているなと思った記憶がある。


F.O.H
「Be Alright」

1999年10月20日発売


──今井了介さんのR&Bイベント「JUICE」(2000年〜2002年に三宿のクラブ「Club Paradise」で開催)もありましたよね。

猪又孝 あった、あった。既にその頃にはたくさんのR&Bシンガーがイベントに出ていたわけで、それ以前となるとやっぱりMISIAは大きかったですね。WATARAI君とMURO君が参加したシングル「つつみ込むように…」は衝撃的だったし。


MISIA
「つつみ込むように…」

1998年1月28日発売 ※アナログ盤


──「つつみ込むように…」のリミックスにMUROさん、WATARAIさんが参加したり、DOUBLEの「BED」のリミックスに坂間兄弟(ライムスターのMummy-Dとメロー・イエローのKOHEI JAPAN)が参加したり、当初はヒップホップ勢と一緒に上がっていったというイメージがありましたよね。「今すぐ欲しい」(Sugar Soul feat. ZEEBRA。プロデュースはDJ HASEBE)もそうだし。


DOUBLE
「BED」

1998年10月21日発売


Sugar Soul feat. Zeebra
「今すぐ欲しい」

1997年1月25日発売 ※アナログ盤


荒野政寿 「つつみ込むように…」はアナログを先に出しましたよね。セカンド・シングルの「陽のあたる場所」も映画『Hood』のサントラ(MURO、ZEERA、PMXなどの曲も収録)に入っていたり、リミックスはDJ MASTERKEYが手掛けてK DUB SHINEが参加したり、そういういわゆるストリート寄りのところからプロモーションをかけていったイメージだけど、「陽のあたる場所」は佐々木潤さんのプロデュースだし、その後もSPANK HAPPYの河野伸さんとか、ヒットを出さなきゃいけないっていう段階にきてからは、ヒップホップ云々というよりも、割と実績のある、ちょっと前にクラブ・ミュージックで活躍していた作り手が入ってくるようになっていったように思う。朝本浩文さんとか大沢伸一さんもそうだし。


MISIA
「陽のあたる場所」

1998年5月21日発売


猪又孝 R&Bがより商業化していく流れ、宇多田ヒカルとかまで行くようなところのラインの元を辿っていくと、渋谷系とサバービアがあるような気がする。MISIAのデビューに(サバービア主宰で当時「bounce」編集長だった)橋本徹さんが喜んでいた記憶がありますもん(笑)。UAが’96年に朝本さんプロデュースで「情熱」、大沢さんプロデュースで「リズム」をリリース。その前の’95年にはEllieがボーカルを務めていたラヴ・タンバリンズがCrue-L Recordsから『ALIVE』を出している。そういう流れも下地のひとつになっているような気がしますね。日本人に馴染みやすいR&Bの下地というか。


MISIA
『Mother Father Brother Sister』

1998年6月24日発売


UA
「情熱」

1996年6月21日発売


ラヴ・タンバリンズ
『ALIVE』

1995年2月24日発売


荒野政寿 そういうラインもある一方で、90年代後半になるともうちょっと下の世代の今井了介さんみたいなクリエイターが出てきて、すごく活躍するようになりますよね。その2つのラインがあるような気がします。

猪又孝 そうですね。渋谷系周りとDJ HASEBE、DJ WATARAI、今井了介とか、ヒップホップ・カルチャーにいる人達が作るもの、その両方があった気がする。

──いわゆる「Japanese R&Bブーム」っていうのは、その2つを合わせたものになるのでしょうか。

猪又孝 そうですね。どっちかひとつだったら成り立ってないと思う。

荒野政寿 旧世代の職業作曲家の人達はほとんどいないですよね。世代が変わったのはすごく感じました。

【Part2】へ続く)