2022年11月号|特集 アレンジャーの仕事

【Part1】序章~萩田光雄|日本の編曲家ヒストリー

解説

2022.11.1

文/小川真一


萩田光雄アレンジの特徴は、その明瞭さと斬新なイントロダクション。


 今ほど、作詞家や作曲家、編曲家が注目を浴びている時代はないと思う。中でも編曲家/アレンジャーに焦点が当てられるようになったのは、近年に入ってからだ。編曲家の評伝や研究本が出版されたり、アレンジャー毎に編纂されたCDのボックス・セットが出たり、随分と見晴らしがよくなってきた。
 かつて編曲家というのは、どちらかと言えば裏方的に見られていた。作詞家、作曲家の先生がいて歌手がいて、それを最後に装飾する仕事……そんなふうに考えられてきた。

 編曲家の仕事は多岐に渡っている。レコーディングに集まってきた演奏者のために楽器別パート譜を書き、曲のイントダクションを考え、ハーモニーに従ってオブリガートやリフレインを練り上げていく。時にはバッキングのミュージシャンを指名したり、歌手の弱点を補う編曲をしなければいけない時もある。つまりはレコーディングにおける設計士であり現場監督であり、総合的なディレクターのような仕事をすることもあるのだ。
 アレンジャーのさじ加減で、名作になったり、せっかくの名曲が凡庸なものになってしまったり。そしてそれはヒット曲という形で、明白な証拠を残すこととなる。つまりは、絶大なる魔術を持った存在、それが編曲家/アレンジャーなのだ。
 まずは最初に、久保田早紀「異邦人」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、山口百恵「プレイバック part 2」、H2O「想い出がいっぱい」、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」、小林明子「恋におちて -Fall in love-」など、数多くのヒット曲手掛けた名編曲家の萩田光雄を取りあげさせていただくことにしよう。


山口百恵
『ドラマチック』

(「プレイバック part 2」収録)


 萩田アレンジの特徴は、その明瞭さにあると思う。短調の曲であっても、どこか優雅さを帯びていてヨーロッパの香りがする。さらに特徴づけているのが、イントロダクションの斬新さだ。「プレイバック part 2」の扇動的なギターのフレーズ、布施明「シクラメンのかほり」での叙情的な調べ、柏原芳恵「ちょっとなら媚薬」のアコーディオンと手拍子が交錯するドラマティックな導入部など、心に残っているイントロが次々に浮かんでくる。華麗なオブリガートも、時には本メロをも脅かすほどだ。
 萩田光雄は1946年に疎開先の福島県で生まれた。その後、埼玉県の浦和に引っ越し育った。中学に進学し、ブラスバンド部の応援で打楽器を演奏した。これが楽器との最初のコンタクトとなる。その後、正式部員となりチューバに転向する。
 高校に入ってからギターを手に入れる。リスナーとしてはレイモン・ルフェーヴル・オーケストラ、マントヴァーニ楽団といったムード・ミュージックをよく聞いていたという。これらの弦の響きが、編曲家としての萩田光雄に影響を与えていったと思う。
 慶應義塾大学に合格してからは、クラシック・ギターのクラブに入部。ここでは楽譜を書くことや、アンサンブルの大切さを学んだのではないだろうか。まだ当時は、自分が音楽を生活の糧にしようとは思ってもみなかった。
 転機が訪れたのは22歳の時。雑誌が主催する「アマチュア作曲コンクール」に応募し、見事に1等に輝く。これは最初の自信になったはずだ。音楽の道に進んでみようと思い、24歳になった時に、ヤマハ音楽振興会の作編曲コースに入学する。
 ヤマハはソングライターやアレンジャーの育成に力を入れていた。当時のヤマハが発行していた雑誌「ライトミュージック」には、音楽の紹介記事だけでなく、中島安敏による作曲セミナー、渡辺貞夫のジャズ・スクール、ポップス作曲講座などが掲載されている。同時期に、アマチュア・バンドのためのライト・ミュージック・コンテストを主催し、’69年にはポピュラーソングコンテストの前身となる第1回目の作曲コンクールを開催している。
 萩田は作編曲コースで、音楽理論やストリングス・アレンジを学ぶこととなる。高校、大学まで自己流で音楽をやっていたのだが、ここで論理的な裏付けを得たのだ。この作編曲教室では林雅彦氏に師事し、弦アレンジの基本を習得した。
 さらに幸運なことに、ヤマハの7Fにあった録音スタジオでアルバイト先をみつける。ここで録音機材の取り扱いやマイク・セッティングなどを間近で見ることとなるのだ。この録音の現場を体験できたのは、とても大きかった。さらにアルバイトのアルバイトとして、ロックの採譜の仕事を始める。レコードから耳コピーし、それを楽譜としてまとめていく作業だ。雑誌『ライトミュージック』の’73年の3月号を見ると、「フォーク・ギター~ボトル・ネック奏法はライ・クーダーにまかせろ」の記事に、萩田光雄の名前が記されている。
 ヤマハとはこういった縁が重なり、萩田光雄はポプコンの応募曲のアレンジを任されるようになる。そしてこのポプコンでは、川村栄二、林哲司、信田かずお、そして、船山基紀との出会いが待っていたのだ。
【Part2】へ続く)

参考文献:『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック刊)



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音の魔術師/作編曲家・萩田光雄の世界

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