2022年10月号|特集 70年代女性SSW

第1回:湯川潮音|私が好きな70年代女性SSWのレコード

インタビュー

2022.10.3

インタビュー・文/長井英治


現在進行形のアーティストは、70年代の女性シンガーソングライターからどのような影響を受けてきたのか。ここでは、第一線で活躍する現代の女性シンガーソングライターに、70年代洋邦女性シンガーソングライターの魅力を語ってもらった。第1回目は7年ぶりのフル・アルバム『10の足跡』を発表したばかりの湯川潮音が登場。

一筋縄ではいかないリアルさのようなものがたまらなく魅力的


──お父様の湯川トーベンさんからの音楽的な影響は大きいでしょうか?

湯川潮音 やはり幼少期から音楽に触れる機会は多かったですね。ドライブするときはスパイダースがかかっていたかと思えは、家ではクラシックが流れていましたし、ビートルズは幼少期から普通に口ずさんでいました。小さい頃は誰でも泣きわめいたりするじゃないですか、そういう時に「その気持ちを曲にしてごらん」と言われて作った曲のテープが残っています。

──湯川さんがこの世界に入ろうと思ったきっかけになったアーティストはどなたですか?

湯川潮音 父がエンケンバンド(遠藤賢司バンド)のメンバーだった影響で、10代の頃からよくライヴを見ていたのでエンケン(遠藤賢司)さんからの影響が大きいです。当時は感受性が鋭かったのか、エンケンさんがギターを弾く指からいろいろな色が見えたんです。それが魔法のように見えて、エンケンさんからもらったお菓子は怖くて食べられなかったです(笑)。


カーラ・ボノフ
『Restless Nights』

1979年9月発売


──湯川さんが、最初に影響を受けた女性アーティストはどなたですか?

湯川潮音 アーティストというより曲になりますが、カーラ・ボノフの「The Water Is Wide(邦題:悲しみの水辺)」という曲です。トラディショナルのカヴァーなのですが、この曲を高校の文化祭で唄いました。とても自分の内面に響いた1曲だったので、この曲を録音したテープをあちこちに送ったことが、のちにデビューのきっかけになりました。当時は、モーニング娘。のオーディションも受けたことがあったんですよ(笑)。PUFFYやSPEEDなんかも普通に聴いていましたから。

──洋楽のカヴァー曲と言えば2009年に発売された湯川さんのアルバム『Sweet Children O'Mine』は洋楽ロックの名曲をカヴァーしたアルバムでしたよね。当時、選曲がオアシスやレディオヘッドなどロック中心だったのでとても驚きました。

湯川潮音 あのアルバムはヴィレッジヴァンガードの企画だったですが、私に唄って欲しい曲を募集してカヴァーしたんです。ロックの曲が中心だったので知らない曲ばかりだったんですが、カヴァーしてみて新しい扉を開いたような感覚になりました。メジャーのレコード会社でしか経験できなかったこともたくさんあったので貴重な体験になりました。

──湯川さんの音楽ルーツは、特に70年代の音楽だと思いますがご自身にどのような影響を与えていると思いますか?

湯川潮音 誰も知らないようなアシッド・フォークの音楽を片っ端から聴いている中で、ヴァシュティ・バニヤンやブリジット・セント・ジョンを知りました。一回好きになるとそれこそ1,000回以上聴かないと気が済まないですし、一語一句訳したりしてどっぷりと作品の世界に浸ります。この世界観を日本語でなんとか表現することは出来ないものかと考えた時に、それが存在しないのであれば自分で作ればいいんだと思い、オリジナル曲を作るようになりました。

──今回、湯川さんに影響を与えた3枚のアルバムを教えていただいたのですが、どのアルバムも70年代初頭の作品ですね。どのあたりが湯川さんをこんなに魅了するのでしょうか?

湯川潮音 機材や技術など足りないものがある分、頭と体を使って手探りで作り出して生み出していく感覚や、だからこそ表現できる音像の世界観が羨ましいんです。いろいろなものが溢れかえっている時代に生まれたので、一筋縄ではいかないリアルさのようなものがたまらなく魅力的に映ります。


ヴァシュティ・バニヤン
『Just Another Diamond Day』

1970年12月20日発売


──まず挙げていただいた1枚は、ヴァシュティ・バニヤンのファースト・アルバム『Just Another Diamond Day』ですが、このアルバムは1970年に自主制作で発表されたものが、歳月を経てカルト的人気になった1枚ですよね。

湯川潮音 このアルバムがリアルタイムでまったく評価されず、時間が経過して認められた背景に興味を持ちました。当時のインタビューを読むと、彼女は決してフォークを歌っていたつもりはなくて、ポップスターのつもりでアルバムを作っていたそうなんです。情報のない時代の想像力というのはある意味すごいなと思います。馬車で旅をしながら自然や家族を愛した生きざまが、作品に現れている部分が素晴らしいですね。

──湯川さんの持つ世界観にも、どこか共通するものがあるんじゃないですか?

湯川潮音 そうですね、私にとって唄うことは、掃除する、食べる、寝るのと同じように生活の一部なので、たとえ引退したとしてもすぐに唄い出すと思います。馬車で旅は出来ないですが(笑)。


ブリジット・セント・ジョン
『Songs for a Gentle Man』

1971年発売


──そして、次はブリジット・セント・ジョンのアルバム『Songs for a Gentle Man』をセレクトしていただきましたが、随分渋い所がお好きなんですね。

湯川潮音 来日した時にもライヴに足を運びましたし、ニューヨークに住んでいた時期にもライヴを観たほどの大ファンです。このアルバムはピンク・フロイドの『原子心母(Atom Heart Mother)』のアレンジを手掛けたことでも知られるロン・ギーシンがプロデュースを手掛けた作品なんですが、オーケストレーションのバランスがとにかく素晴らしいんです。シンプルなフォークをどこか捻じ曲げてくれるというか。私の今回のアルバム『10の足跡』にも大きく影響を与えたアルバムですね。


金延幸子
『み空』

1972年9月1日発売


──そして、もう1枚は日本のアーティストですが、金延幸子さんのアルバム『み空』ですね。

湯川潮音 日本のジョニ・ミッチェルと言ったら金延さんしかいないと思います。日本語の歌詞で、しかもこんなコードを使って表現する人が存在していたことが衝撃でしたね。当時はもっと暗い感じというか、マイナーコードの曲が多かったと思うんですね。そんな時代に金延さんはとてもカラっとした印象なので、すでに違う場所に居たのかな、と思います。

──金延さんの『み空』を聴いたのはいつ頃だったんですか?

湯川潮音 高校生の頃ですね。何年か前に運よく金延さんのライヴを見る機会があって、生の金延さんを目の前にして泣きそうになりました。とにかく金延さんの存在感がすごくて、みなさん彼女という存在そのものを見に来ている感じでしたから。


ジョニ・ミッチェル
『Blue』

1971年6月22日発売


──他に、湯川さんが擦り切れるほど聴いた70年代のレコードはなんでしょうか?

湯川潮音 やはりジョニ・ミッチェルの『Blue』でしょうか。ギターもオープン・チューニングという独自のスタイルを確立していて羨ましい限りです。彼女は芸術家なので表現方法は特に音楽じゃなくてもよかったでしょうし、その自由奔放さに魅かれます。


湯川潮音
『10の足跡』

2022年9月16日発売


──7年ぶりのフル・アルバム『10の足跡』が発売になったばかりですが、意外な事に初のセルフ・プロデュースなんですね。

湯川潮音 今子育て中で、しかもコロナ禍でなかなか人と会うの難しい状況の中で、コミュニケ―ションが取れずに落ち込んだりもしたのですが、すでに自分の中に明確なビジョンが確立されていることがわかったので、自然な形でセルフ・プロデュースになりました。愛情を込めて作ったアルバムですので是非聴いてください。私のHPから直接購入できますので、よろしくお願いします。

──まだアルバムが発売になったばかりですが、今後の展望のようなものがあれば教えて下さい。

湯川潮音 まずはアルバム『10の足跡』をアナログレコードで発売したいです。今はレコード・ブームで工場が混んでいるので、発売はもう少し先になりそうですが。



湯川潮音(ゆかわ・しおね)

●小学校時代より東京少年少女合唱隊に在籍、多くの海外公演などを経験。2001 年、ポップフィールドではじめて披露された歌声が 多方面からの話題を呼ぶ。翌年のアイルランド短期留学から帰国後、自作の曲も発表し本格的な音楽活動をスタート。以降、美しいことばの響きを大切にした歌詞、クラシックやトラディショナルを起点に置いた独自の世界観で音楽を紡ぎ続けている。2022年9月16日、セルフ・プロデュースによる、約7年ぶりとなるフル・アルバム『10の足跡』をリリース。


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