2022年9月号|特集 再生!アナログレコード

【Part1】 マスタリング/カッティング|GREAT TRACKS スペシャル~滝瀬茂のアナログ盤談義

インタビュー

2022.9.1

インタビュー・文/大塚広子


豊かな音質と確かな音圧にこだわった、ソニーミュージックのアナログ・レコード専門レーベル「GREAT TRACKS」。究極のアナログの響きとして理想を掲げる「80年代輸入盤レコードの音」を目指して、数々のレコードを送り出してきたプロデューサーの滝瀬茂が、アナログ・レコードについて語り合う対談シリーズ。第1回はアナログもデジタルも熟知したベテランエンジニア集団を擁し、日本の音楽シーンに大きく寄与してきた「ミキサーズラボ」の菊地功氏、北村勝敏氏と共にマスタリングやカッティング、アナログ・レコードを語り合う。



カッティングの技術は忘れようにも忘れられない。体が覚えている(北村)


滝瀬茂 菊地さん、北村さんが携わっている、マスタリング、カッティングは、アナログ盤の音質を一番コントロールする部分ですので、ぜひそのお仕事についてのお話をお伺いできたらと思います。ソニーミュージックでもレコードのカッティングをしていますが、CDの販売が始まる前から長年にわたってレコード制作に携われてきたおふたりと、過去と現在、そして未来についてお話していければと思います。

──本日はレコードの制作をお願いする立場からも、お三方のお話から色々と学ばせていただければと思います。まずは、菊地さん、北村さんのプロフィールからお話いただけますでしょうか。

菊地功 1974年にこの業界に入り、48年が経ちました。モウリスタジオ(後にメディアスタジオ)に入り、その後に移籍したワーナーパイオニアでは、主に中森明菜を担当していました。’83年頃にワーナーの有志でレコード会社を作る運びになり生まれたのがハミングバードで、そのエンジニアに抜擢されました。中村あゆみや浅香唯を担当しながら12年を経過して、なんと今度はハミングバードをワーナーが吸収することになり、再びワーナーに戻ってきたんですよね。

滝瀬茂 その頃はwea japanでしたか?

菊地功 いえ、’95年にワーナーに戻ってきたときは、ワーナーミュージック・ジャパンになっていました。’99年からワーナーミュージック・ジャパン録音部に所属していたエンジニアたちがミキサーズラボに転籍することになって今に至るんですよね。このミキサーズラボは、レコーディングエンジニア界の大巨匠である内沼映二さんが独立したエンジニア集団を作るために設立した会社で、もう設立から40年くらいが経ちました。

──ワーナーからミキサーズラボに移る際は何か試験のようなものはあったんですか?

菊地功 ないです、ないです。就職試験を受けたことがないんですよね(笑)。最初のモウリスタジオへの入社も会社に直談判したんです。社員になれないけどいいのか、と言われましたが、6か月後には晴れて社員になれて。22歳の時です。

──間もなくキャリアが半世紀になりますね。すごい。北村さんは?

北村勝敏 ’77年にポリドール株式会社などが出資した、レコードプレスを専門に扱う別会社、ポリグラムレコードサービスに21歳の時に入社したんです。ポリドールの川崎の工場で研修を受けた後、当時新しくできた甲府の工場でテープの編集の仕事からスタートし、レコードのカッティングをするようになりました。入社から7年経ち、CDが世の中に出始めた頃、外資系のポリドールは、CDを作らない会社は閉鎖するという方針をとったので、日本ビクター株式会社に移籍しました。ポリドールで作った音楽のプレス先が日本ビクターになったために、甲府の工場にあったカッティングマシン2台のうちの1台と一緒に私も移ったという流れです。

ドイツのノイマン社のカッティングレース「VMS 80」


──カッティングマシンに北村さんも付いてきたというような移籍話ですね(笑)。

北村勝敏 おまけみたいですよね(笑)。それが’84年です。それからレコードがなくなるまでカッティングを続け、CDに完全に移行してからはCDマスタリングやDVDオーサリングの仕事もしつつ、定年を迎えました。実は、レコード生産が終了した後も、カッティングのオーダーがあったので、手放したマシンを戻してもらい、上司と3人で組み立てて復活させていたんです。それが現在もJVCケンウッド・クリエイティブメディア(旧 日本ビクター)で稼働しています。

滝瀬茂 菊地さんと出会われたのはその頃だったんですか。

北村勝敏 菊地さんと初めてお会いしたのは菊池さんがハミングバードの頃、’88年くらいでしたね。

──ミキサーズラボに移られたのはおふたりとも同じくらいのタイミングだったんですか。

北村勝敏 いえ、私は定年後です。定年してから菊地さんに久々にお会いした時に、「まだおまえカッティングできるか?」「忘れようにも忘れられないです。体が覚えていますから」なんていう話しをしましたよね。その時にはミキサーズラボでは、すでにアナログ盤のプロジェクトが出来上がっていて、私は逃げられない状況になっていました(笑)。’17年3月に呼び出され、4月末にはカッティングマシンが導入されました。

菊地功 よく覚えているね(笑)。このカッティングマシンは’79年製で、海外で使われていたマシンなんです。コンソールと、アンプと合わせて3点を取り寄せました。コンソールだけ、マシンだけの寄り集めではなく、セットになっているものを探していて。本来はカッティングするためには4点セット(カッティング用のコンソール、レコーディングアンプ、カッティングレース、カッティング用の特別な細工がしてあるテープ・レプロデューサー)が通常なので、揃ってないものは諦めました。

絶対にレコードの時代がもういちど来ると思っていた(菊地)


──ソニーミュージックがカッティングマシンを導入したものほぼ同時期ですよね。ニーズの高まりを受けてのカッティングマシン導入だったんでしょうか。

菊地功 ニーズのことは考えもしなかったです。でも絶対にレコードの時代がもういちど来ると、レコードがなくなった時から思っていました。カッティングを導入したのもレコードに対する熱い思いが集まって大きくなったプロジェクトだったんです。今の会長を説得して、カッティングマシンを購入しました。

滝瀬茂 僕はその時はレーベル側にいたので、カッティングマシンの導入には関与しなかったので背景はわからないのですが、乃木坂スタジオにマシンが導入された時は、OBをはじめ、他のスタジオのエンジニアの方々に教えを乞いながらマシンを組み立てていました。ソニーはCDを開発した経緯もあるので、再びアナログ盤を手がけるにあたってはデジタル音源からやろうという発想から始まっています。しかし、本来のベーシックなやり方を理解した上で、デジタルからのロジックがあればいいのですが、他の部屋で作られたデジタルデータを単にカッティングするという考えになっていたんですね。でも、それは音質を微調整するにはすごく無駄が多いんです。そこが最初の苦労点でしたね。

北村勝敏 アナログ・レコード用にマスタリングされた音源ではなく、CD用に作られたレベルがピークのギリギリまで入っているデジタル音源をカッティンングするのはとても難しいので気を使います。人は年をとると高い音域がどんどん聴こえなくなりますが、機械であるカッターヘッドやカッターアンプにはとても厳しい状況になる。聴こえない程の高い音が入っているとそれだけでカッターアンプが悲鳴をあげてブレーカーが飛んでしまうこともあるんです。でも、アナログテープは、構造上そこまでは入らないから自然にカッティングができるんですよね。

菊地功 デジタルとアナログの違いを簡単に言ってしまえばヘッドルームの違いですね。ヘッドルームとは音が歪まない、音割れしない部分までの範囲で、デジタルの方が限られているんです。だから、デジタルの高音部と低音部はピークを越えれば潰れるだけですが、アナログはダイナミックレンジが広く取られていて、歪むまで上げていってもそれはいい具合に自然なコンプレッションがかかるんです。ですからメーターは振り切れているけれど、音は潰れた感じには聴こえない。その良さを利用してレコーディングする人もいるんですね。

──現在はCDもレコードもできるだけ大きい音で、という傾向になっているように感じます。

北村勝敏 その結果、CDの限られた44.1kHz/16bitの器の中に、どれだけ大きい音を入れるかがトレンドになってしまいました。ですので、そんな音源を使ってカッティングするのは、とてもやりにくいですよね。でも菊地さんのようにアナログ・レコードをわかっているエンジニアがマスタリングすると、CDマスターと同じでもアナログ盤のことを考えて目一杯音を入れることはないんです。CDでも聴いても自然になる音を作ってくれるので、とてもやりやすいです。

菊地功 そもそも今は、アナログ盤に求めているものが、かつてのアナログ盤時代と若干違うような気がして、つまりジャンルとでも言いましょうかCDや配信などで、すごく良いサウンドになっているような気がしますね。売れているから、レコードで売ろうというケースも多いと思うんですが、CDのように、レコードにそれを求めると、さっき、北村が言っていたようにマシンが悲鳴を上げることになると思います。

滝瀬茂 CDが出てきた時は、逆だったんですよね。アナログ・レコードのマスターでカッティングの時にEQコピーみたいなものをPCM-1630に録って、それがCDマスターになった。音圧とかそのあたりはまったく無視されて、コピーしたものがCDのマスターになっていたんです。でも、だんだんCDが売れてきて’86、7年くらいになると、初めてマスタリングという作業がCDをメインに行われて、ついでにアナログ盤を作るという風に変わっていった。そうして、2、3年もしたらアナログ盤を作らなくなったんですね。当時はアナログ盤のためにミックスしていたエンジニアがほとんどだったから、ご法度なことはだいたいわかっていた。でも、CDがメインになってだんだん音圧レベルが上がってくる。レベルを難なく上げられるデジタル機器が普及してきて、’98年くらいにはピークになりました。ラジオや有線のオンエアの時に他の作品よりも大きな音で聴こえるように、競うようにしてレベルが上がっていったんです。そういう状況がずっと続いていたんです。

──CDの再発など、アナログ盤時代のマスターを使用したリマスターもすごく音が大きい印象がします。

滝瀬茂 デジタルに適した音楽だったらいいんですが、昔のアナログ盤時代に録った音楽も、インパクト重視でリマスタリングされてしまうケースもあります。CDの再発では、そうした耳が疲れるリマスタリングも見受けられますね。でも、5年前くらいからそろそろ変えませんか? と言う人も出てきて、最近は若干レベルが下がってきましたね。今またアナログ盤が復活してきて、伸びやかな起伏を大事にしようと、リスナーも作り手も気づいたのかなと思います。菊地さんはアナログ盤用のマスタリングをする時に、コンプレッションをゆるくするとか、ローを切ったりということはしないんですか?

菊地功 ローは切らないです。どうしてかと言うと、必要であればカッティングの時にローを切ってくれるから。上も伸ばしていますよ。でもカッティングに邪魔になる伸ばし方はしないです。コンプもかけていますね。CD用のときも処理は同じですね。

滝瀬茂 それではCDの音圧が低いということはないですか?

菊地功 CDにする時は、必要であればコンマ5とか1dBあげます。アナログ盤では、マスタリングの状態を見てカッティングでもレベルを決めます。レコードはこのカッティングで決めたことがほぼすべてになりますから。

レコードブームによって切磋琢磨し音が良くなった(滝瀬)


──今までのお話を踏まえて、皆さんが手がけた作品の中で印象的な作品を教えてください。

北村勝敏 ミキサーズラボに入った初期の頃に手がけた『Mixer's Lab Sound Series Big Band Sound vol.2』ですね。高い周波数の音がふんだんに入っている音源なのでカッティングに苦労しました。ドラムのシンバルやトランペット、あとサックスなどもすごく倍音が入っている。特にミュートをかけたトランペットにたくさん含まれています。とても高い周波数が含まれた音は再生時に飛び散ってしまって汚くなりがちです、そこが難しかったですね。


角田健一ビッグバンド
『MIXER'S LAB SOUND SERIES VOL.2』

2021年10月20日発売



菊地功 マスターが384kHz/32bitで作られているから、本当に伸びている音があるんですね。聴こえる音は20kHzくらいまでなので、そこから上は聴こえないのですが、音の成分としては192kHzくらいまであるので、マシンにとっては辛いことなんです。

北村勝敏 ですので、アンプが飛んでしまうギリギリまで攻めました。再生して歪んだり針飛びも絶対あってはならないので、そのあたりのせめぎ合いでしたね。

──菊地さんが選ばれる作品は?

菊地功 私は、’21年に発売された竹内まりやの「PLASTIC LOVE」の12インチ・シングルですね。これは北村と私にとっての渾身の作品です。カッティングは溝切れの危険があるギリギリのところを攻めています。このレコードはふたつヴァージョンがあって、B面が違うんですよね。ファンへのプレゼント用だった最初のヴァージョンのB面は「夢の続き(’89 Remix)」として作ったもの。21年の販売用のものも、あっという間に店頭から消えましたね。


竹内まりや
「PLASTIC LOVE」

2021年11月3日発売



滝瀬茂 A面のExtended Club Mixは、僕が(山下)達郎さんと編集しているんです。3M社のデジタル・マルチトラックレコーダーで音響ハウスのエンジニア時代にやりました。

──こうしたリマスタリングの時は、当時のマスター音源を参考にするんですか?

菊地功 いえ、前のマスターを手本にすることはないです。今の耳でかっこいいかどうかが基準なので。アーティスト側からも当時とは違う要素をオーダーされることもありますし。オリジナル・マスターをいじるのはとても嫌ですけどね……。

滝瀬茂 僕も前のものは聴かないです。まず気にしない。データとして必要な人や評論家は気にする点だと思いますが、ほとんどのエンジニアは今いいなと思ったらそれでいいという考えだと思います。

北村勝敏 私はどのくらいの音量で入っているかだけ確認します。音質は自分がいいと思ったようにしますね。今の音作りはハイとローが伸びているパターンが多いので、音量を同じように入れようとしても入らないんですよ。そこで、音量をできるだけ近づけ、ハイもローも伸ばした状態でどこまで入れられるかというチャレンジが、こだわりですね。

──滝瀬さんが選ぶ1枚は何でしょう?

滝瀬茂 GREAT TRACKSで自分が関わったアナログ盤は300枚近くなるので、その中で選ぶとすると、自分でレコーディングしたものかな、特に坂本龍一さんの「GREAT TRACKS」ですね。自分が録った音源4曲を、ずっと夢だったバーニー・グランドマンにカッティングしてもらいました。GREAT TRACKSでアナログ盤を作るにあたって、それがまさに’80年代からやりたかったことなので。


坂本龍一
「GREAT TRACKS」

2020年7月22日発売



──今後、レコードはどうなっていくと思いますか? レコードブームについて思うこともあれば教えてください。

菊地功 アナログ盤の音が好きな人が、再生装置を買ってレコードを聴いてくれたらいいなと思っています。特に、自分好みにカスタマイズ出来ることにビックリするでしょう。レコードを聴いてみたいなと思った時が、その人のブームなので。レコードをいいなと思った人たちに向けて、しっかり届けていきたいですね。

北村勝敏 そして、レコードがいいと思った人が気軽に買える価格帯になって欲しいと思います。

菊地功 徐々にその傾向になりつつあるよね。4,000円が3,500円になってきていたり。でも、2枚組だと純粋に単価が上がってしまう。2曲聴いてひっくり返すのは正直面倒ですから、安易に2枚組にしないで欲しい(笑)。

滝瀬茂 今ブームになって良いことは、色々な人たちがアナログ盤を作り始めたことによって切磋琢磨し技術が上がって音が良くなっていることですね。ソニーの工場も4年試行錯誤し続けたから今の良い音になった。ブームがあるからこそ、時間もお金も使わせてもらい良くするプロセスを見つけ出せたのかもしれないです。音が良くなれば、音質を求めてわざわざ2枚組にする必要性もないですからね。

菊地功 今まさに、その方向に進んでいますね。音圧競争は終わり。もう次のフェーズになっていますから。気になる時は、ヴォリュームをちょっと上げればいいんです。



菊地功(きくち・いさお)

株式会社ミキサーズラボ マスタリング&オーサリングエンジニア

1974年にモウリスタジオ入社後アシスタント、レコーディングエンジニアを経て、’79年よりワーナーパイオニア録音課所属。中森明菜らのレコーディングを担当。その後’83年よりハミングバード録音課に所属し中村あゆみらのレコーディングを手がける。そして’95年ワーナーミュージック・ジャパン録音部所属後より主にマスタリングを担当。’00年のミキサーズラボ所属後はマスタリング部を立ち上げワーナーミュージック・マスタリングのマスタリングエンジニアとして、山下達郎ほか数多くのアーティストを担当し現在に至る。


北村勝敏(きたむら・かつとし)

株式会社ミキサーズラボ カッティングエンジニア

1977年にポリグラムRS(現ユニバーサルミュージック)に入社。テープ編集、マスタリング、レコードカッティングに携わる。’84年に日本ビクター(現JVCケンウッド・クリエイティブメディア)に移籍し、レコードカッティングやCDマスタリング、DVDオーサリングに携わる。’17年、ミキサーズラボとエンジニア契約を結び、ワーナーミュージック・マスタリングでレコードカッティング業務を開始。竹内まりや、山下達郎、坂本龍一、中森明菜、井上陽水、椎名林檎など手がけてきた作品は約8000タイトル以上を数える。


滝瀬茂(たきせ・しげる)

「GREAT TRACKS」プロデューサー

1980年音響ハウス入社。数々のレコーディングにアシスタント・エンジニアとして参加し、’85年MIDIレコードへ転職、坂本龍一、矢野顕子、大貫妙子、EPO他のレコーディングエンジニアとして活躍。EPICソニーに転職後、佐野元春の制作ディレクターとして手腕を発揮、ソニー・ミュージックダイレクト在職中にアナログ盤専門レーベル「GREAT TRACKS」を設立。

GREAT TRACKS オフィシャルサイト

GREAT TRACKS Order Made Vinyl オフィシャルサイト